二章
第15話
「だからこの間の子は、うちで預かることになった親戚の子なんだって!」
「はいはい、ちゃんと分かってるよ」
「その反応、絶対分かってない……」
「ほんと分かってるって。初めての彼女ができたことを幼馴染に正直に報告するのが恥ずかしいんだよね?」
「ほら、ぜんぜん分かってないじゃん!!」
父が美少女になって、早くも1ヶ月が経とうとしていた。
最初は慣れないことも多くあったが、今では父が美少女化してしまったこの生活に慣れてしまいつつあった。果たしてそんな生活に慣れてしまってよいものなのか、いまだに疑問を抱え続ける毎日ではあるが、まあ人間は慣れる生き物である。
実際、父が美少女化しても、俺の日常はさして変わっていなかった。
朝食や夕食こそ父と一緒に食べるようになったけれど、それ以外は今まで通り変わらない距離感で。それこそ父と共に外へ出かけたのは、あのデパートへの買い物一回きりで、あれ以来、父と共に外出する機会は設けられていない。別に趣味が同じなわけじゃないし、共通の話題があるわけでもないし、それはごくごく自然な話であると言えばそうであるのだが。
まあおそらく一般的な親子も、今の僕らと同じくらいの距離感だろう。美少女化という異常事態のおかげで、父とはようやく健全な親子関係に戻りつつあると言ってよかった。まさに怪我の功名というやつだろう。
ただ今はそれよりも、愛菜の誤解を解くことに四苦八苦していて。
高級焼肉屋店近くでの遭遇から多少気まずくなっていた俺と愛菜だったが、今では普通に話せるまでに関係が改善していた。結局、愛菜は俺と銀髪碧眼美少女が高級焼肉店から出てきたことを他の誰にも言いふらさないでいてくれたし、俺の日々の平穏はなんとか護られていた。
しかし一点どういうわけか、愛菜にはあの銀髪碧眼美少女が俺の彼女であると勘違いされてしまっていたのだ。
「本当に誤解なんだって! あんな現実離れした美貌を持つ子と俺が釣り合うわけがないじゃん!?」
「テツ」
「な、なんだよ。急に真面目な顔になって」
「冗談でもそういうことは言っちゃダメだよ? 幼馴染の私の前で照れくさいのは分かるけど、もう二人は立派な恋人なんだから。あの子の彼氏はテツで、テツの彼女はあの子なの。釣り合わないとか、そんなこと冗談でも言っちゃダメ」
「だ、だからな、その前提が……」
「——テツとの付き合いは長いもの。テツとあの子の間に流れてた雰囲気が、久しぶりに会った親戚のそれじゃなかったことくらい、私には分かったよ。恋人らしくベタベタしていたわけじゃなかったけれど、かと言って、お互いがお互いの存在にすごく気を遣っているのが伝わってきて。例えるならまさに、付き合いたてのカップルのような距離感だった……」
「……」
実の父親とのやりとりがそう見られていたとは、なんだか心外である。一方で、何も知らないフラットな状態で俺たちを見れば、そういう結論にいたるのも分からなくもなくて。
こうしてこの約1か月間、愛菜の誤解を解こうとこうして朝の登下校の時間を利用しながら俺は奮闘していたのだが、それはうまくいっていなかった。いくら俺が違うと言っても、愛菜は頑なにその考えを改めてはくれないのだ。
別の角度から考えてみれば、愛菜に勘違いされている状況は悪くない状況でもあった。いま俺が一番に恐れるべき事態は、銀髪碧眼美少女の正体が俺の父親だと愛菜にバレてしまうことだ。もしそれが愛菜にバレてしまえば、厄介なことに愛菜を巻き込んでしまうことになるし、俺としてはそれだけはなんとしても避けたい。
しかし、この状況を受け入れ難く思っている自分もいて。なにより俺は愛菜に、俺に彼女ができたと勘違いをして欲しくなかった。
その理由を俺はうまく言語化できずにいたが、とにかくこの状況のまま日々が続いていくのはとても嫌だった。だから愛菜の勘違いを解消するために何かしら策を講じようと思っていて、だけど父のことを素直に話すわけにもいかず、まさに板挟みの状態で何もできずにいた。
「とにかくさ、この前の約束も無しで大丈夫だよ」
「……この間の約束?」
「ほら、放課後にアイス奢ってもらうってやつ」
そういえば、愛菜とは前にそんな約束もしていたな。しかしそれは果たされることなく、今日までやってきてしまった。
「そ、そういうわけにはいかない! あれは日頃のお礼を込めてのもので……」
「そういうわけにいかないっていうのはこっちのセリフだよ。彼女持ちの男の子に、そんなことさせられないよ。私に奢ろうとしてた分、あの子にご馳走してあげてあげなよ。……うん、きっとそっちの方がいい」
そう言う愛菜の顔は、いつも通りフラットなものに見えた。しかしそんなフラットな表情が一瞬だけ崩れたのを、俺は見逃さなかった。俺だって愛菜との付き合いは長いのだ。常人では見逃してしまうような愛菜の微妙な表情の変化に、俺なら気がつくことができる。
しかし気がついたところで、それまでだった。
今の俺が愛菜に言えることなんて、何もなくて。
「……こうやって二人きりで下校するのも控えた方がいいのかもね」
「そ、それは!」
「……それは?」
「……っ!」
言葉に詰まってしまう。
俺にとって、こうやって愛菜と過ごす時間は他には変え難い大切な時間で、絶対に失いたくないとそう心から思える時間だ。けれど愛菜の言っていることは最もで、俺が愛菜と同じ立場だったら俺も愛菜に同じことを言っていたと思う。
だから俺は情けなくも、俯くことしかできなくて。やがて俯くだけの俺に気を遣ってくれたのか、愛菜は話題を変えてくれた。
「そういえば最近、哲のお父さん見てないんだけど何かあった?」
「…………え?」
「ほら、前はよく朝の時間が同じになったりして挨拶することがあったんだけど、ここ一ヶ月くらいはめっきり会わなくなったなあって思って。何か病気とかになったわけじゃないよね?」
「……あ、ああ」
突然の追及に、心臓を掴まれた気分になる。
しかし、言い訳は事前に用意してあった。
「さ、最近父さんは仕事が忙しいらしくてな、通勤時間を早めたそうだ」
「へえ、そうだったんだ。病気じゃないなら良かったよ。……それにしても哲って、あんまりお父さんと話してないイメージあったけど、最近はそういうことも話すようになったんだ?」
「……ま、まあな」
「それは良かったね」
「……あ、ああ」
「なんか哲、さっきから歯切れ悪くない?」
「そ、そんなことはにゃい!」
「にゃい?」
「ない」
焦って変な語尾を使ってしまった俺に対し愛菜は疑いの視線を向けてきたが、それ以上追求してくることはなかった。もう一歩愛菜に踏み込まれていたりしたら、俺はボロを出してもおかしくなかっただろう。ここは愛菜の淡白さに救われた。
「……なんかいろいろと変わっていくものなんだね」
「……?」
「これがよく言う諸行無常ってことなのかな。……私も恋人、作ってみようかな」
「え?」
「え?」
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