第14話
「……」
「おい、哲。どうした?」
「……」
「おーい、哲。どうしたってんだ? そんな暗い顔をして」
「……別に」
「別にって顔してないだろ。何があったか知らないけどさ、僕に話してみなよ。話せば楽になることだってあるじゃん」
「ごめん。今は、そういう気分じゃないんだ」
「……そっか、じゃあまた今度聞かせてくれ」
「じゃあまた今度って、お前はそうやってこのまま友達を見捨てるのかよ!」
「今はそういう気分じゃないって言ったのお前じゃん!? お前は面倒くさい女子かよ!?」
今朝愛菜に避けられた俺は、朝のホームルーム前の時間で前の席のばやしこにだる絡みしていた。ばやしこというのは愛称で、ばやしここと小林は、中学の頃からの付き合いの友人だ。中学を卒業した後も同じ高校に進学することとなり、そして数奇な運命にも高校でも同じクラスになり、ばやしことはまた連む事になった。
ばやしこは俺より身長がちょっと低くて、ガリガリな奴だ。運動神経はまあ俺と同じくらいだが、勉強は確実に俺よりできる。要領がいいやつだった。
さっきから自分でも中々にうざいことをばやしこに言っている自覚はあったが、やっぱり愛菜に逃げ去られたことがショックで、よく頭が回っていなくて。ばやしこに八つ当たりしてしまっている格好になっている。巻き込まれているばやしこは、実に不憫だ。可哀想に。
一見して俺が完全に悪者であるが、ここは俺の気持ちも汲む努力もして欲しい。なにしろ今まで俺には愛菜に逃げ去られた経験など一度もなく、それが余計に俺の心を抉る事態になっていたからだ。思えば俺も愛菜のことを避けたことはなかったし、ショッピングモールで愛菜が俺に逃げ去られた時、愛菜もこんな気分だったのかもしれない……。そう考えると、同時にあの時逃げ去ってしまった申し訳なさもわいてきて。
「……ぁぁぁ」
「僕にどうしろって言うんだよ……」
それからばやしこに今朝のことをかいつまんで話した。中学の頃からの友人であるばやしこに俺は大きな信用を置いていたが、だからこそ美少女化した父親関連のことは話さなかった。
「なるほどな、幼馴染ちゃんのことで悩んでたのか」
「そうだ。どうにかしてくれ、ばやしこ」
「そう言われてもなあ。その手の経験は僕も少ないから、どうにもいいアドバイスができる気がしないな」
「だよな。お前にアドバイスを求めた俺が阿呆だったよな。ごめんな」
「なんかさっきから僕への当たり強くない!?」
別にばやしこに八つ当たりしようなんて気はさらさらないのだが、どうしても冷静じゃいられなくて。今の俺は触るとトゲが刺さる薔薇のようになってしまっていた。
「——まあでも、中学の頃から君らを見ている僕から言わせてもらえれば、君らって熟年夫婦並みの安定感があると思っていたんだ。ずっと一緒に過ごしているわりには、喧嘩をしたり言い合いをしたりしている場面をまともに見たことがなかったからね。だからそんな喧嘩まがいのことをしていることに、正直僕は驚いているよ」
たしかに今まで愛菜と喧嘩したことなど、なかったかもしれない。愛菜はいつもフラットで感情を昂らせるようなことはしないし、喧嘩にならないのだ。
「まあ考え方によっては、喧嘩って健全な人間関係を構築する時にはむしろ必要なものじゃない? だからたまには喧嘩することがあってもいいと思うけど」
「よし、廊下に出ろ。ばやしこ」
「落ち着こう、哲! そうやって始まる喧嘩に関してはろくでもない結末を迎える事が多いから辞めよう! 悪かったよ、分かったようなことを言って」
いざとなると、すぐ下手に出るばやしこだった。
基本的にばやしこは平和主義なやつなのだ。事なかれ主義ともいう。ばやしことはそれなりに長い付き合いだが、ばやしことも喧嘩したことはほんの数回しかないと思う。
「まあ、有用な解決策は提案することができないが、いい気分転換なら知ってるぞ」
「……」
「なんだ、その僕を訝しむ視線は」
「どうせいつもの二次元だろ」
「ああそうだ、二次元だ! 二次元だよ! 二次元はいいぞ! なんと言っても二次元は裏切らない! こちらが尽くした分だけ、あちらも尽くしてくれる最強のコンテンツだ!」
「現実世界で何か嫌なことでもあったのか」
「そうだな、今オススメなのは——」
俺のツッコミを無視して、ばやしこのありがたい二次元講義が始まった。最近話題のアニメ漫画の話から、ソシャゲギャルゲーの話まで。一度これが始まってしまうとばやしこはもう止まらない。話を止めようとするよりも黙って聞いていた方が、消費カロリーが少なく済む。これは前の中学では義務教育の範囲の一部になっていた。
お察しの通り、ばやしこは所謂二次元オタクというやつで、中学の頃からずっとこんな調子だった。二次元を愛し、彼は二次元に生きている。だからばやしこには三次元の女の子との噂なんてまず立たないし、奴の魂はこの次元には存在していない。
「——というわけでだな、銀髪碧眼美少女は最強なんだ!」
「銀髪碧眼美少女なんて現実に存在するわけないだろ」
「そうだ! だからこそ二次元は最強なんだ!」
「はいはい」
どうやらばやしこは、最近プレイしているソーシャルゲームのヒロインの一人である銀髪碧眼美少女を推しているらしい。そのヒロインについて、かれこれ5分以上は熱く語っていたと思う。
大体、このばやしこの推しというのは、週一で変わっていくものだった。こんなに愛を叫んでいても、大概一週間後には別の子に目移りをしていることがほとんどで。もはやそのことにツッコミを入れることはしていない。時間の無駄だから。
しかし今回は何やら様子が違うようで……。
「お前、先月も同じこと言ってなかったか?」
「半年前から僕の一番の推しは彼女だぞ?」
「それは珍しいな。お前の推しが半年も変わらないなんて」
「確かに言われてみればそうだな……。それほど、彼女が魅力的女の子なんだ!」
なんと半年間、ばやしこの推しが変わっていなかった。今までのばやしこの推しの変遷からして、それは異常事態と言えた。まあこの広大な世界において、ばやしこの異常事態なんて、本当にとても大いに極めてはなはだどうでもいいことなのだが。
そのヒロインがいかに素晴らしいかをばやしこはまた語り始めたので、俺はそっと耳をシャットダウンした。現実に銀髪碧眼美少女なんていうのはなかなか存在しないだろうし、ばやしこの二次元オタクはこのまま永遠に彼の肩書きとして君臨し続けるのかもしれない。
ばやしこは幸せそうだし、とやかく言うのも野暮というものだ。
やがて先生がやってきて、朝のホームルームが始まった。それでもばやしこはその銀髪碧眼美少女の語りをやめなかったので、背後から鬼の形相で迫っていた先生から軽く頭をはたかれていた。
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