第11話
「いらっしゃいませ」
「13時からネット予約をしている古尾谷です」
「古尾谷様ですね。お席にご案内致します」
本当になんでもない日に高級焼肉店に来てしまった……。こんなことをしていたら、辻褄合わせで何かバチが当たってしまいそうだと思いつつ、受付のいかにもそれらしいイケメンのお兄さんに案内についていく。
高級焼肉店の店内は、実に華美な内装だった。床には赤いカーペットが丁寧に敷かれていて、壁には高そうな絵が何枚か飾られていた。まるで王族になった気分である。焼肉店に来店している客層も、熟年夫婦や何かお祝いをしている様子のファミリー層が中心であり、そのため美少女の見た目をしている父と高校生の俺の組み合わせの来店は、実にイレギュラーだった。
側から見れば、俺と父は地元の高校生カップルに見えていることだろう。しかしここはそんな高校生カップルが気楽に来店していい店じゃない。もちろんそんなことが店のホームページなどに書かれているわけじゃないが、それは暗黙の了解というやつだ。
受付のスーツを着たお兄さんは表向きには笑顔で快く対応してくれたが、内心はどんなことを考えていたかなんて……考えたくもない。世の中考えなくていい知らなくていいことだってごまんとある。知るということは時に、自分の首を締めることにも繋がるのだ。一方、父は相変わらずそんなことは気にしていない様子だった。この様子だと、自分が美少女化したこと忘れているな……?
窓際の景色のいいテーブル席に案内された俺と父さんは、一番安いランチセットを二つ注文した。ランチセットは三種類あって、松竹梅というようにどんどん肉のグレードと共に値段も釣り上がっていくシステムだった。一番上のグレードのランチセットだと、もはやランチの価格帯とは言えない値段のものだった。父はやたらと一番高いランチセットを俺に勧めてきたが、流石に一番安いものを選んだ。
「遠慮しなくてもいいのに……。こんな機会そうそうないし、追加でお肉でも頼むか?」
「別に、大丈夫だよ」
「本当に遠慮することないんだぞ?」
「本当に大丈夫だから」
「……そうか。哲がいいならいいんだが……」
ここはなるたけ穏便に、この昼食イベントを終わらせたい。これ以上、周りに白い目で見られるのは勘弁だった。
「どうした哲?」
「……さっきからドリンクメニューを眺めてるようだけど、今日はお酒は頼めないからね?」
「うっ……。やっぱりダメか?」
「当たり前じゃん。その姿で飲んだら捕まるよ」
「そうだよな、この体じゃそうだよな……。焼肉とビールは最高の組み合わせなんだけどなあ……」
それが美少女化した最大の弱点だなあ、だなんて父はぼやいていた。もっと他にあるだろうと思ったが、やはり父の考えることはよく分からない。
しばらく席で大人しくしていると、やがて豪勢な料理が運ばれてきた。運ばれてきたお肉はその新鮮さを誇るように赤く輝いていたし、付け合わせのサラダのきゅうりの皮は剥かれていた。一体、剥かれたきゅうりの皮はどこへ行ってしまったのだろう。何か他の料理にでも、使われているといいのだがきゅうりの皮の安否が気になる。
まあ、不憫なきゅうりの皮のことは置いておいおこう。今はそれよりも肉だ。肉のことだけ考えよう。こんな高価な肉を前にして、きゅうりの皮のことに思考を奪われ続けるのは実にもったいない。
早速俺は炭火で温まった網の上に、肉を一枚のせた。俺はあまり焼肉屋さんに訪れる機会はないものの、いつか訪れるかもしれないその日のために、動画投稿サイトなどで美味しいお肉の焼き方についてはよく学んでいた。
肉の種類によって肉の焼き方は変わってくるらしいが、基本的に過度に肉をひっくり返すのは良くないそうだ。せっかくのお肉を網の上で可愛がりたくなる気持ちは分かるが、片面がしっかり焼けるまでそのまま動かさない方がいいらしい。
やがてこんがりと十分に焼けた肉をひっくり返し、裏面も焼き目をつけていく。肉が焼けていくにつれて、次第にいい匂いが漂ってきて、口の中によだれが溢れてくる。
「もういい感じかな。……本当に食べていいんだよね?」
「ああ、哲には買い物を付き合ってもらったしな」
「いや買い物に付き合っただけなんだけど……まあいいや。じゃあ遠慮なくいただきます」
いい塩梅に焼けた肉を、タレにつけてそのまま口へと運ぶ。瞬間、焼けた肉のいい匂いが鼻腔を強く通り過ぎた。
「……ふふふ」
肉の美味さに、思わず笑みが溢れてしまう。
自分でもだらしない顔をしていたのは自覚しているが、それでも本当に美味しいものを食べたらそうなってしまうのは仕方がない。口に運んだ肉は溶けるようにとても柔らかくて、噛むほどに溢れんばかりの肉汁があふれてくる。これはご飯が進むというやつだ。ランチセットでついてきたご飯も、同時に口の中へ放り込んだ。
これが幸せか……。
「……そういえば昔、私と哲と母さんの三人で何回かこの店に来たことあったよな。たしかあの時は、なんのお祝いでここに来たんだっけ」
「俺の9歳の誕生日の時と、父さんと母さんの10回目の結婚記念日の時だ」
「哲はよく覚えてるな」
「……こんなお店そうそう来れないし、印象的だったから」
「そうか」
この焼肉屋さんに訪れたことは、美味しい記憶と共に強烈なインパクトとして記憶に残っていた。ここで3人で交わした会話も、なんとなくではあるが思い返すこともできる。
珍しく生まれた食事中の父との会話もそれまでで。例によって、それからは無言の食事だった。まあ目の前のお肉に夢中になりすぎて、会話をしている場合じゃなかったというのもあるが。ちょうど肉を食べ終わった段階で、店員さんがランチについてくるデザートの案内をしてくれて、一体どこで食事が終わるタイミングを見ていたというのだろうか。
そのまま食事は何事もなく円満に終わり、父がまたまたスマートに会計を済ませてくれた。今日一日で父への認識を今一度改めなくちゃいけなくなった。父がまさかこんなにもできる男だったとは。厳密に言えば、いま父は男じゃないけれど。
「……その、父さん」
「なんだ?」
「……お肉美味しかった、連れてきてくれてありがとう」
「それはよかった。また今度一緒に来よう」
「……うん」
「それはそうと、今日の夜ご飯は何にする? お昼ご飯はかなり豪華だったし、私はかなりお腹いっぱいになってしまった。だから夜ご飯は軽めに済ませてしまってもいいかなとも思っているのだが……」
「…………」
「哲?」
父が今日も俺と一緒に夜ご飯を食べようとしてくれているのにも中々驚いていたのたが、それ以上に、俺は目の前に広がる光景に動揺を隠しきれなかった。
「テツ……?」
それは父が俺を呼ぶ声ではなかった。
けれどそれは俺がよく耳にする声で。
美少女化した父と高級焼肉店から出てきたところ、なんとショッピングモールで買い物中だったと思われる幼馴染の愛菜に遭遇してしまったのだ。愛菜はじっと俺たちのことを視界にとらえているし、すでに俺のことをしっかりと認識してしまっている。
これはまずい。最悪の事態だ。
最寄駅のショッピングモールであったし、知り合いに会う可能性だって十分に考えられたはずだ。それなのに、その思考をまるっきり捨ててしまっていた。久しぶりの父との外出に、俺も少し動揺というか緊張に似たような感情に囚われてしまっていて、思考の範囲が狭まってしまっていたのだ。もっと周囲に気を配るべきだった……。
って、今はそんなことを後悔している場合じゃない。この状況をなんとか突破しなければならない。
次に俺がとる行動で、今後の命運が決まると言っても過言ではないだろう。どうしようどうしようと悩んだ末に俺が咄嗟にとった行動は——。
父の手を掴んで、その場から逃げ去ることだった。
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