第10話
「……じゃあ行くぞ」
「……うん」
いよいよ俺と父は、ランジェリーショップへと入店してしまった。父と二人きりでランジェリーショップに入店する男子高校生は、なかなか稀なのではないだろうか。稀というか前代未聞というか、きっと何かの法に触れていると思う。
もちろん俺はランジェリーショップに入店するのは初めてであった。男子高校生がそんな機会があるはずがないし、刺激的な光景を前にして、目のやり場に困るというか、どうしても挙動不審になってしまう。
横目で眺めた女性ものの下着たちは、明るい照明に綺麗に照らされていて、それはまるで宝石のように輝いていた。一つ一つ丁寧に見てまわりたいという不思議な衝動にもかられたが、この状況でそんなことをするわけにもいかず。にしても、この中から自分の好きなものを選んだりするのは実に楽しそうだなあ。少し女性が羨ましく思えたりもした。
ふと隣の父の様子を確認してみると、父も店内の雰囲気に呑まれてしまっているようで表情が固くなっていた。顔色もあまり良くなくようで、緊張しているのが伺える。父のそんな挙動は新鮮だった。
「いらっしゃいませ〜」
そんな怪しげな二人が入店してきたが、ランジェリーショップの綺麗なお姉さんは微笑んで俺と父のところへ寄ってきてくれた。
「なにかお困りでしょうか?」
「……はい。あの、下着を買おうと思っているんですけど、その買うのは初めてで……」
「そうなんですね! 貴重な初めてに当店を選んでいただき、ありがとうございます! 初めてのご購入であればまず、採寸から始めましょうか」
「お、お願いします」
それからは小慣れた店員のお姉さんが、初めての買い物をリードしてくれるようだった。ショップ店員さんに少し苦手意識を抱いていた俺だったが、今日ばかりはまるで救いの手を差し伸べてくれる女神のように思えた。心の中で最大限の感謝を伝える。まずお姉さんに試着室へと連れて行かれた父さんは、そこで採寸を行い、早速服の上から胸のサイズを測ってもらうことになった。
俺はそっと試着室の近くから離れる。父の胸のサイズなど、気になるはずがない。気になるはずがない。無事に数分で採寸を終えた父は、今度は下着を選定する行程に移った。女性物の下着はカップ数の差以外にも、形がそれぞれ異なっているようで、バライティ豊かだった。
基本的にカップ数の前に示されている分数によって布面積が異なるようで、分数が1に近づいていくほどフロントの布面積が大きくなるらしい。他にもワイヤーがないタイプのものであったり、ウエストまで支えることができる丈が長いタイプのものがあったり、本当に様々な種類が取り揃えられていた。
って、俺は一生自分では使わなそうな知識を今身に付けているな……。男がブラの種類に詳しかったら、逆にキモいだろうに。いや多様性の時代だから受け入れてもらえるか……?
なんてしょうもないことを悩んでいる俺を他所に、下着のデザインや形に特にこだわりのなかった父は、初心者にオススメのものをお姉さんにいくつか選んでもらっていた。父は下着を選んでいる時も表情が固くなっていて、いくら外見は美少女でも心は男のままであるようだった。ただお姉さんはそんな父の様子を、初めてで戸惑っていると解釈してくれてたようで、問題にならず助かった。
そうして、お姉さんのおかげで意外とスムーズに下着購入を終えられそうだと、少し気を抜いたのが間違いだった。カーテンの向こうで父がお姉さんオススメの下着を試着しているを待っている間、お姉さんが俺に話しかけてきたのだ。
「彼女さんのお買い物に付き合っているんですか?」
「いえ、父のです」
「…………はい?」
まずった。
突然の質問であったので、思わず正直に答えてしまったのだ。お姉さんは意味が分からないという顔で、こちらを不思議そうに見つめてくる。そりゃそうだろう、お姉さんからしてみれば今の俺の返答は意味がわからないはずだ。とにかく、すぐに訂正しなければ。
「父っていうのは……?」
「ま、間違えました。妹です」
「妹さん……? それにしては、髪の色とか目の色とかあんまり似てないですよね……?」
「じゃ、じゃあ、親戚で預かってる子ってことで……」
「……じゃあ? ことで?」
俺の咄嗟の言い訳の完成度があまりにも低く、お姉さんの俺を訝しむ視線がより、強いものになってしまう。残念ながら、俺はそんなに頭の回転が早い方じゃないんだ。
「い、いまウチに遊びにきてるんですよ!」
「そうなんですね〜。日本ではあまり見かけないようなあの外見だと、海外の出身の子なんですか?」
「そ、そうですね」
「どちらの国で?」
「え、えーっと……」
と俺がお姉さんからの質問責めに戸惑っていると。
「あのう……」
父が遠慮がちな声と共に、試着室のカーテンから顔をひょいと覗かせた。
どうやら父は試着が終わったようで、正しく着用できているか、お姉さんに確認をしてもらいたかったようだ。実にナイスタイミングである。父の声に反応したお姉さんが更衣室へ入って行き、そのおかげで俺はなんとかお姉さんとの問答から免れることができた。
しかし、今の俺と父さんの関係について、父さんと何も話し合っていなかったのがなによりまずかった。今の俺と父さんは、側から見れば明らかに親子には見えなかったし、その設定について口裏合わせでもしておくべきだっただろう。小さな綻びはやがて、大きな問題へと繋がってしまうものだろうし。
まあ今後、父と二人で出かける機会があるかどうかなんて分からないし、それは必要のないことかもしれないが、そのことは教訓として頭の隅に記憶しておこう。
それからフィッティングと呼ばれる、下着の細かい調節をお姉さんに施してもらい、無事に父の下着を買うミッションを達成した。お姉さんには哀れみのような蔑みのような視線を向けられ続けたが、それには気がつかないふりをして店を出た。
「付き合ってくれてありがとうな、哲」
「……もう二度とこんなことしたくない。生きた心地がしなかったよ」
「あはは。じゃあ買い物も終わったことだし、お昼ご飯食べに行こうか」
「……本当にあの店で大丈夫なの?」
「ああ、心配ない」
「今日は別に記念日でもなんでもないよ?」
「確かにまあ、そうだな。けど私にとってはちょっとした記念日であるし、今日はいいんだ」
「……そう、ならいいけど」
その言葉の意図はいまいちつかめなかったが、美味しいお肉が食べられるのならそれに越したことはない。俺は黙って父の後を追った。
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