第9話

「俺までランジェリーショップに入る必要なくない!? 父さんが一人で行ってきてよ!」

「そこをなんとか頼むよ、哲。ランジェリーショップって男一人で入るには、あまりにハードルが高い場所なんだよ! 哲だって、この気持ち分かってくれるだろう!?」

「その気持ちは分からなくないけどさ、今の父さん女じゃん。男一人じゃないから大丈夫だよ」

「大丈夫じゃない! 心はおっさんのままなんだよっ」

 

 なんて、側からみればおかしな会話で周囲の注目を集め始めてしまったので、とりあえず人気の少ないトイレ近くの隅の方へ場所を移動して。……なんとなく、女性ものの下着店にも行くんだろうなとは考えてはいたけれど、まさか一緒に入ることを求められるとは。

 まもなく俺と父さんは、話し合いを再開した。


「哲、お願いだよ。哲は黙って側にいてくれるだけでいいからさ」

「その黙って側にいるのが、すごく恥ずかしいんじゃん! 父さんが試着している間とか、いたたまれない空気になるのが目に見えてるって!」

「そこをなんとか!」

「どれだけ頼まれても、なんともならないから!」


 どうして俺がそんな羞恥プレイに身を投じなければならないのか。一向に考えを変えようとしない俺に対し、父はしばらく悩むそぶりを見せた。

 そして父は、何か考えが浮かんだようで。 


「分かった。じゃあ交換条件を出そう」

「交換条件……? どんな交換条件を出されたって、俺は絶対に首を縦には振らない」

「それは果たしてどうかな……?」


 と悪役めいたことを言って、父はその交換条件の内容を語り出した。


「そうだな……昼ごはんは、なんでも好きなものをご馳走しよう。このショッピングモールにはいろんなチェーン店が入ってるし、隣のビルにはちょっとお高めなお洒落なお店も入ってる。そのすべての中から哲の好きな店を選んでくれていい。どうだ? 悪い話じゃないだろう?」


 たしかにこのショピングモールにはフードコートがあった。そこにはたくさんのチェーン店が並んでいて、ハンバーガーからざるそば、スパゲッティに豚骨ラーメンまで。買い物をしていても、フードコート近くを歩くといい匂いが漂ってきて、俺は静かに腹の音を鳴らしていた。

 

 しかし、そんな簡単に懐柔されてしまう俺ではない。俺はそんなちょろい子じゃないのだ。一時の食欲に負けて、判断を間違えるほど馬鹿じゃない。

 そうだな。ここは一つ無茶を言って、俺の説得を諦めてもらうことにしよう。


「……隣のビルの焼肉屋さんに連れて行ってくれたらいいよ」

「構わないぞ」

「そうだよな、流石にあの店は無理だよな——って、いいの!? 隣のビルの高級焼肉店だよ!?」

「ああ、構わん」

「あ、あの誕生日とか何かしらの記念日の時にしか行けない、あの店だよ!?」

「ああ。今からネットで予約するな」


 そう言って父はスマホをポケットから取り出し、呆気なくその店の予約を済ませてしまったようだった。俺はただただ呆然と、その様子を眺めることしかできず。


「じゃあ昼食前に、最後の買い物を済ませてしまおうか」


 予約を済まされてしまった以上、俺は逃げ出すわけにもいかず。その父の言葉にただただ黙って首を縦に振ることしかできなくて。どうしてこうなった……? 結局俺は、自分の策に溺れてしまったのか?


 しかし、父のエスコートは実にスマートなものだった。お店をネットで予約する様はとてもこなれたものであったし、俺がもし女だったら惚れていた。そしたら百合だった。


 そういえば父は、あの美人な母さんを落としたんだったな。 

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