第5話

「……ただいま」


 時刻は夜の7時過ぎ。

 昼の12時から6時間労働をしてきた俺は、ようやく自宅へと帰ってこられた。これからこのヘトヘトの体で自分の夕食を作らなければいけないという事実に、軽く絶望する。


 こんなことなら、愛菜のお母さんの料理をご馳走になれば良かったな……。なんて後悔しながら玄関で靴を脱いでいると、ふと部屋の奥の方からいい匂いが漂ってくるのに気がついた。


 なんだろう、この美味しそうな匂いは。久しく嗅いでいなかった匂いだなとは思いつつ、恐る恐るリビングへと向かうと。


「あ、おかえり哲。アルバイトお疲れさま」


 俺を出迎えてくれたのは、エプロン姿の美少女だった。もとい、父親だ。母さんがよく着ていた花柄のエプロンを装着していた美少女は、それはよく似合っていて、写真を撮ってそのままプロマイドとして販売したら飛ぶように売れそうだった。


 まあ、これだけの美少女であれば、何を着ても上手く着こなしてしまうことだろう。メイド服とかチャイナ服とか、色々似合いそうだな……。なんて俺が父親で余計なことを考えていると、目前の美少女が突然にモジモジとしだした。


「そ、それとな、哲。今日は父さんが夜ご飯を作ってみたんだ。よ、良かったら一緒に食べないか?」


 父のその一言に、思わず顎が外れそうになる。


「……ご飯をつくった? 父さんが夜ご飯を作った? お湯を注ぐ系とか、レンジでチンする系ではなくて?」

「も、もちろんだ! それらが調理をしたと言えないことくらい、私だって知っている! 今日は私の手でしっかりと調理したぞ!」

「…………」


 信じられない。俺は父がまともに料理をしているところを見たことがなかったし、父と料理という二つの単語にどうも関連性を見出せなかった。

 そうしてしばらく、俺が固まっていると。


「……も、もしかして哲は、帰宅後はご飯よりも先に風呂に入りたい派だったか? 風呂も沸かしておいたから、哲の好きな方からでいいぞ……?」


 父親が俺に気を使ってそう言ってくれた次の瞬間、ぐう〜と腹がなる音が正面から聞こえてきた。今の腹の音は俺の腹から出たものではなく、それは明らかに父の腹から聞こえてきたもので。


「……えへへ」


 自分の腹の音が鳴ってしまったことに美少女は腹を押さえながら、顔を真っ赤にして照れている。なんだこの愛らしい生き物は。父さんじゃなかったら一瞬にして、恋に落ちていたところだ。


「ふ、風呂は後でいいかな。お腹空いちゃったし」

「わ、分かった。じゃあご飯の準備するから手を洗ってきてくれ」


 慣れないやり取りにお互いに戸惑いつつ、俺は洗面台へと向かった。


 洗面台で手を洗いながら、しみじみと考える。 

 父と食事を共にするのはいつ以来だろうか。ここ数年、父の帰りはいつも遅かったし、俺は先に夕食を食べていた。だから父と食卓を囲む機会など、滅多になくて。久々に父親と食卓を囲むと考えると、なんだか少し緊張してきてしまう。別に緊張するようなことでもないと頭では分かっていたのだが。


 ——にしても、父の手料理か。一体、どんな芸術作品が登場するのだろう。せめて安全に食せるものであることを祈ろう。

 それでもせっかく父が作ってくれた料理だしな。どんな作品が出てきたとしても、完食することをここに誓おう。


 手を洗い終わり、恐る恐る食卓へと戻ると。


「……これ全部、父さんが一人で作ったのか?」

「ああ。ネットとかで調べながら、見よう見まねで作ってみたんだ」


 なんと予想を反して、食卓には豪勢な料理の数々が並べられていた。ご飯に味噌汁、サラダに漬物まで。どの料理からも美味しそうな匂いが漂ってくる。味噌汁やご飯からは湯気がたっていて、もしかすると、俺は父のことを見誤っていたのかもしれない。


 ……って、あれ? なんだ、皿の中心に乗っている歪な形をした肉の塊は。

 俺がしばらくその塊を眺めていると。


「あはは、それはハンバーグだ。焼いているときに形が崩れてきてしまって、ボロボロになってしまったがな。見た目は悪いが、それでも調味料の配分はしっかり測ってやったから、味は美味しいはずだ」


 これをレストランでハンバーグと言って出したら、SNSで炎上不可避な見た目をしていたが、それでも漂ってくる匂いは美味しそうだった。見栄えも料理の一つの大事な要素であるが、やはり一番重要な要素はその味だろう。

 食卓に向かい合わせに座って、手を合わせる。


「いただきます」

「い、いただきます」


 その合図で、まず俺はハンバーグに手をつけることにした。父親がそんな俺をちらちらと脇見してきていたが、構いやしない。


 ころころと転がるハンバーグを必死に箸で追いかけながら、ようやく箸でハンバーグを掴無事に成功し、それを口の中へ放り込んだ。口に入ってきたハンバーグは形が歪で小さく、もさもさとした食感ではあったが……。


「……おいしい」


 父の言う通り、味付けはとても美味しかった。 

 ケチャップとウスターソースの割合がちょうどよく、俺の口に合うというか……このハンバーグからは、とても懐かしい味がした。


「もしかして、これって——」

「そうだ。母さんが残してくれたレシピで作ったんだ」

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