第4話
「ごめん。待ったか?」
「ううん、わたしもちょうどさっき来たところ」
「そっか、良かった」
美少女化した父を家に残し、俺はアルバイトへと出掛けていた。正直、父が美少女になるという緊急事態の後であったし、アルバイトを休んでもよかったのだが、あのまま家にいても父と気まずいだけだったので思いきって出てきてしまった。
アルバイト中は、自分の作業に集中しなくちゃな……。労働の対価としてお金を受け取るので、そこは責任感を持ってやらなくてはいけない。
アルバイトへは同じマンションに住んでいる幼馴染の
「テツ、なんかすごく顔色悪いけど大丈夫?」
「ああ。すごく大丈夫じゃないけど、大丈夫だ」
「そう答えられた私は、心配した方がするべきなのかな?」
「別に大したことじゃ……いいや、大したことがあったんだけど、気にしないでくれていい」
「そっか、分かった」
「それで納得しちゃうんだ!?」
「もっと詳しく話を聞いてあげたほうが良かった?」
「い、いや、それはそれで困るけど……」
「ならもう行こう。バイト遅れちゃうしさ」
まもなく、俺たちはアルバイト先へと歩き出した。
愛菜と俺は、小学校から現在の高校にいたるまで、ずっと同じ学校に通ってきた。意図的に学校を合わせてきたというわけではなく、お互いに近所の学校を選んで行ったら自然とそんな成り行きになった。
同じマンションに住んでいるご近所さんということもあって、昔からうちと愛菜の家族は家族ぐるみで仲が良かった。特にうちの母さんと愛菜のお母さんは仲が良く、よく二人でランチへ行っていたみたいだった。
うちの母さんがこの世から去ってからも、俺は愛菜の家族の皆さんには晩ご飯のおかずをいただいたり夕食の食卓の輪に入れていただいたりすることもあって、かなりお世話になっていた。
母さんがいなくなって一番辛かった時期にも、俺が一人にならないようにそっと側にいてくれて……本当に愛菜の家族には頭が上がらない。
そんな経緯から、愛菜と過ごす時間は昔からとても長かった。隣にいることが当たり前で、毎日顔を合わせるのが自然なことであって。
アルバイトも俺が始めると言ったら、愛菜も一緒に始めると言い出したのだ。1人で初めてのアルバイトを始めることを心細く思っていた俺は、そんな愛菜の申し出を断ることなく今に至っていた。
「先週までで研修終わりだよね。今日から独り立ちだ。上手くやれるかな?」
「愛菜は俺より容量いいし、きっと大丈夫だろ」
「だといいけどなあ」
これだけ長く一緒の時間を過ごせば、お互いに年頃の男女であるわけだし、俺と愛菜の間に恋愛感情が生まれてもおかしくはなかった。しかし俺たちの間に、そういった感情は生まれていなかった。
というのも、愛菜は基本的に何事に対してもフラットで、あまり感情を高ぶらせたり表情を崩したりしないのだ。だからなんというか、俺たちの間にはドキドキしたやりとりやイベントが起こらず、変な安心感が生まれてしまっていて。いい意味でも悪い意味でも、お互いがいつも隣にいる相棒という感覚だった。
愛菜は普通に可愛くて、普通にスタイルもいい。
肩のあたりまで伸ばした髪はきちんと手入れしているようで艶やかで綺麗だったし、目はくりっとしていて愛らしかった。だから昔から、愛菜に好意を抱く同級生は少なくなくて。愛菜は具体的に誰かと付き合ったりとかはしていないみたいだったが、愛菜がその気になれば相手には困らないだろう。
かくいう俺も愛菜を異性として意識したことがあり、この関係性を変えようと考えたことが何度かあった。しかしやはり今の関係が心地よくて、この関係を壊したくなくて、その一歩を踏み出すには至っていなかった。
なにより、愛菜という今の俺にとって他には代え難い大きな存在を失うのが怖かった。
「そういえば今日、うちで夜ご飯を食べて行かないかって、お母さんが誘ってたよ」
「ごめん。今日は遠慮させてもらうよ……」
「なにか用事でもあるの?」
「……今日はちょっとな」
「そっか、分かった。お母さんに伝えておくね」
いつもならこの流れで、夕食の食卓にご招待してもらうのだが、今日ばっかりは美少女化した父のこともあり遠慮することにした。
愛菜はこういう時にも、具体的な理由をしつこく聞いてきたりしない。まあしつこく理由を聞かれても「父さんが美少女になって帰ってきて、それどころじゃないんだ」と言えるわけがないので、聞かないでくれて非常に助かっているのだが。
そういえば母さんが亡くなってしまった時も、愛菜はいつもと変わらない態度で俺の側にいてくれた。変に優しくしたり、いつも以上に構ってくれることなく、ほんといつも通りに接してくれた。
そんな愛菜に、俺がどれだけ救われたことか。
俺は愛菜に返しきれない恩を感じているし、愛菜が窮地に追い込まれる事態があれば、俺が真っ先に力になってあげたいと思っている。
「テツ、なにか困ったことがあったら言ってよね」
「ああ、いつも気遣い感謝してる」
「そう思うなら今度、なにか奢って」
「そうだな。じゃあ今度の学校帰りに、駅前のアイス屋でなにか奢るよ」
「いいねそれ。レギュラーサイズのダブルでお願いね」
「意外と欲張りなこと言うなお前!?」
まあ、いつもお世話になってるから別にいいのだけれど。それからたわいない話を交わしながら、愛菜とバイト先へと向かった。
正直、愛菜には父さんが美少女になってしまったことを相談したかった。この意味の分からない状況に陥っていることを、共有したかった。
しかし父の『誰かに話せば命に関わる』という発言が引っかかって、話すことができなかった。それはもちろん、自分の命を危険に晒したくないという思いがあったからだが、一番はそんな物騒なことに愛菜を巻き込みたくないという思いが強いからであった。
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