第6話

「そうだ。母さんが残してくれたレシピで作ったんだ」


「……そんなレシピあったんだ」

「ああ。最期に母さんが『哲に作ってあげて』って書き残してくれてな、私がずっと持っていたんだ。母さんから頼まれていたのに、今まで作ってやれなくてごめんな。仕事で忙しく……って、こんな言い訳聞きたくないよな。すまん」


 そう父親は申し訳なさそうに、何度も俺に謝ってきた。そんな父親に対し、俺はなんて言えばいいのか分からず、ただただ黙ることしかできなかった。そのレシピを早く渡してくれれば良かったのにと思う一方で、父がレシピをずっと持っているままだったのも何だか分かる気がして。


 ハンバーグ好きの俺がいつも母さんにねだって、毎週末に作ってもらっていたハンバーグ。それには遠く及ばないけれど、目の前のハンバーグはそのハンバーグを十分に彷彿とさせるような味だった。


「……すごく、おいしいよ」

「そうか、良かった」


 父は少し頬を染めて、嬉しそうにしていた。そんな父親の表情を見るのはなんだか照れ臭くて、ますます父の顔を正面から見ることができなくなって。


 俺は純粋に、この味をもう一度思い出すことができてとても嬉しかった。なにより、もう二度と思い出すことができない味だと思っていたから。



 それを境に父とは会話が弾み——なんてことはなく、それからは無言の食卓だった。これまでまったく喋ってこなかった親子だ。いざまともに喋るタイミングが生まれても、そこに会話が生まれるはずがなかった。


 今までも父とは同居こそしていたが、お互いの生活リズムが合わず、顔を合わせる機会さえあまりなかった。どうしても互いに伝えなくてはならないことができればメールか書き置きでやり取りをしていて、それは実に事務的なものだった。


 これからはこうして、父と食卓を共にすることが増えるのだろうか。それともこれは今日限りの晩餐となるのだろうか。


 父の考えていることが、俺には分からない。

 今までは父が何を考えているのかなんてどうでもよかったけれど、今はその気持ちにも少しずつ変化が現れているような気がして。


 そうして、食事も終盤になりかけた頃。


「哲、今日は一つ頼みがあるんだ」


 そう前置きして、父は真面目な表情になった。

 字面だけ見ると、親子が深刻な場面を迎えているように思えるかもしれないが、実際は美少女の真面目な顔がただただ可愛いだけの空間だった。その表情でメガネとかかけてみて欲しいな、と俺が馬鹿なことを考えている他所に、父は頼み事とやらを口にした。


「明日、私と一緒に買い物に行ってはくれないか」

「買い物……?」

「ああ。この体になってから、まだ必要なものが揃っていなくてな。服のサイズとか今までとはまったく違うし、早急に買い揃えないといけないものがいろいろあって……」


 そりゃ中年のおじさんと、ぴちぴちの美少女では服のサイズも何もかもが合わないだろう。父が美少女化した今、身の回りの生活必需品を一新しなくてはならないのは容易に想像がつく。


 しかしそんなことで父が俺を頼ってくるとはらしくない。俺と父はいつだって最低限の関わり方しかしなかったし、そのくらい1人でなんとかしようと、いつもの父なら考えるはずだ。ただ今回ばかりは、そういうわけにもいかないようで。


「今日、この夕食の支度のために買い物に出かけたんだが、まだこの体になってから日が浅く慣れなくてな。軽い荷物を持っただけで体のバランスを崩してしまったり、満足に歩けなくなってしまって。終いには、通りがかりの人の手を煩わせてしまわせたんだ……」


 今日の夕食の材料はどうしたのだろうと少し疑問に思っていたのだが、そんな経緯があったのか。それならあらかじめ、アルバイトへ出かけた俺に買い物を頼んでおいてくれれば良かったのにと思ったが、俺と父親のこれまでの関係性を考えればそれは無理な話で。俺の中でそれとなく罪悪感が生まれた。


「それで、俺に荷物持ちを頼みたいと?」

「ああ。別にネットで買ってもいいんだが、如何せん知識がまったくなくてな。間違ったものを買ってお金を無駄にするようなことはしたくないんだ。哲、頼めるか?」


 そう正面から頼まれしまえば、断りずらい。普段から父には十分な生活費を出してもらっていたし、今日に限っては夕食まで作ってもらっていた。そのくらいの頼み事は、受け入れるべきであろう。


「分かった。買い物、付き合うよ」

「ありがとう。じゃあ明日の10時、玄関に集合で頼む」

 

 そうして、父親と買い物の約束をした。父と買い物に行くなんて、果たして何年振りのことだろうか。

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