第2話 不思議なペンダント

 声の主は、クラスのボス的存在、飯島隆史いいじまたかしだった。後ろに四人ほど取り巻きを従えている。その中の一人、相田一樹あいだかずきは、奏太と目が合うと、気まずそうに逸らした。


「ちょうどよかった。俺ら、今からこの店で遊ぼうと思ってさ。お前も来いよ」


 そう言って、隆史はにやにやした笑いを奏太に向ける。


「いや……急いでるから」


 奏太は強引に彼らの横を突破しようとするが、狭い道ゆえ、ふさがれてしまった。


「そう言うなよ。すぐ終わるって」


 隆史たちは囲みを狭めて、骨董屋の店先、中からは見えない場所に奏太を追い詰める。


「あの店から、何か一つ取ってくるんだ。バレないようにな」


 奏太は目を剥いた。それは犯罪ではないか。

 しかし、奏太が何か言う前に、隆史は畳みかける。


「大丈夫だって。ほんのゲームだよ。店番してんのはじいさん一人みたいだし。上手くいったら、明日から一緒に遊んでやるよ」


 彼らはにやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべて、奏太を見ていた。その中で、一樹だけが、おどおどと落ち着かない目をしていた。

 気が付くと、奏太は背中を小突かれ、たたらを踏むようにして骨董屋の中に足を踏み入れていた。


 もう逃げられない。

 こんなことをしてはいけないという理性と、あいつらの言うことを聞かなければまた何をされるかという恐怖が、心の中で渦巻く。

 しかし、一歩店内に足を踏み入れると、その独特の雰囲気に、心の中で思わず感嘆の声を上げている自分がいた。外とは何か気配が違う。まるで、そこにあるものたちが生きているような気さえした。

 置かれている状況にも関わらず、少しわくわくして店内を見回していると、奥の方から声がした。


「何か探し物かね?」


 奏太は我に返って、びくりと肩を震わせた。奥のレジに座っていた店主らしき老人が、読んでいた新聞から顔を上げてこちらを見ている。その表情に、あまり好意的なものは感じられなかった。

 まだ何もしていないのだから、おどおどする必要などないはずだ。けれど、後ろめたいことがあることに変わりはないから、自然と挙動がおかしくなってしまう。しかも、ここは中学生が入るような店ではないだろう。子どもがおかしなことをするのではないかと店主が疑っても、仕方がないのだ。


「えっと、その……何の店かなと、思って……」


 しどろもどろになりながら、奏太は言い訳を口にする。


「まあ、壊れやすいものもあるから、迂闊に触らんでくれよ」


 店主はそれだけ言うと、再び新聞を広げる。それでも、まだ見られている気がして落ち着かない。

 やっぱり、店のものを盗むなんてできない。でも、やらなければあいつらに何をされるだろう。二つの気持ちがせめぎ合う。

 その時、視界の隅で何かがきらりと光った。


 不思議に興味を引かれて、その発生源を探した。すると見つけたのは、くすんだ金色をしたペンダントだった。楕円形をした本体の周りを、細く複雑に絡んだ細工模様が縁取っている。中心には、透明な石がはめ込まれていた。脇には留め金が付いていて、ロケットになっているようだった。

 開くと、中には澄んだ青空と、新緑の森が描かれた絵が入っていた。小さいながらも精密で美しく、目を引く絵だった。

 思わず見とれていると、絵の中の木立の間を、何かが動いた気がした。


(なんだ……?)


 絵が動くわけがない。訝しく思いながらも目を凝らしていると、


 ――……の声を、聴いて……。どうか……


 ペンダントから、何かの声が響いた、ような気がした。途切れ途切れで何を言っているのかよくわからなかったが、鈴を転がすような、女の子の声だった。

 いよいよ自分の感覚がおかしくなったかと思ったその時、


「こら! お前たち、何してる!」


 店主が突然、怒声を上げた。新聞を放り出してレジカウンターを乗り越え、ずんずんと早足でこちらに来る。

 怒られるのを覚悟して身構えたが、店主は奏太の横を素通りし、入口の方へ向かう。いつの間にか隆史たちが店内に入って来ていた。奏太のことを見張っていたのか、商品に何かするつもりだったのかはわからない。


「やべっ」

「逃げるぞ!」


 隆史たちはばたばたと店を出て行った。店主はしばらくの間、店先でその後姿を睨んでいた。それを尻目に、奏太もそっと店を後にした。



(あれ……?)


 慌てて店を出た奏太の手の中には、あのペンダントが握られたままだった。

 しまったと思ったが、もう遅い。さっと背筋が寒くなった。

 今すぐ返しに行って謝れば許してもらえるだろうか。

 でも、そんな勇気は出る気がしなかった。じゃあ、どうすればいい。だいたい、自分たちは中学の制服姿だ。すぐに学校も名前も特定されて、罰を受けることになるだろう。


 奏太はしばらくの間動くことができず、その場に佇んでいた。辺りは日が落ちて薄暗くなっていく。時折、通行人とすれ違う他は静かだった。

 やがて、奏太はとぼとぼと家に向かって足を動かした。ともかく、一旦帰って落ち着こう。

 どうしてこうなってしまったのだろう。こんな惨めな自分は嫌いだ。自分をこんな状況に追いやった奴らも嫌いだ。でも、どうすればいいかわからない。

 ぼんやりとしたまま歩いて、そういえばどこをどう歩いただろうと、ふと顔を上げた。そして奏太は、自分が見知らぬ場所に立っていることに気が付いた。


 見慣れたビルや白い住宅の壁は一つも見当たらない。周りは見渡す限りの森だった。

 日が暮れる時間だったはずなのに、木の葉の間にのぞく空は、どこまでも澄んだ明るい蒼をたたえている。瑞々しい緑の葉は、風にゆれてさやさやと音を立てていた。

 いくら考え事をしながら歩いていたとはいえ、全く知らない場所に迷い込んだりするものだろうか。それ以前に、歩いて行ける近所に、こんな森などあっただろうか。


――戻らないと。


 言いようのない焦りを覚えて後ろを振り返ったが、背後にも同じような景色が広がるばかりで、後ろに戻っても家にたどり着けるとは到底思えなかった。

 迷子になった時は、下手に動かずに救助を待った方がいいと何かで読んだが、人の気配など全くなく、助けなど来る気はしなかった。

 ポケットからスマートフォンを取り出してみる。親と連絡を取るのと、たまにゲームや調べものをするくらいにしか使われないそれは、電波が「圏外」と表示されていた。GPSも機能しない。

 しかし、途方に暮れる奏太に、更なる災難が降りかかった。

 がさりと、背後の茂みが揺れた。驚いて振り向くと、あっと思う間もなく巨大な影が躍り出て、奏太に飛びかかってきた。

 それは、奏太の身長の軽く倍はありそうな、大きく漆黒の毛並みをした、狼のような獣だった。その目は赤黒く光り、理性の感じられない獰猛な気配だけをたたえている。

 もっとも、それが漫画やアニメで見る狼のイメージと似通っているというだけで、それを狼と断定する知識は、奏太にはない。それに、これが狼だとしても、こんなに巨大な生き物ではないはずだ。


 奏太がその狼の一撃をかわしたのは、単なる偶然以外の何物でもなかった。本能的に避けようとした一歩を踏み外し、足を滑らせて転んだのだ。結果、狼に似た怪物の牙は、空を切り、奏太は難を逃れた。

 しかし、体制を崩した獲物を逃がすほど、獣は生易しくはない。くるりと着地して早くも二撃目を構えた獣に対し、奏太は腰が抜けて立ち上がることもできなかった。 

 夢でも見ているのかと思ったが、手に触れたひんやりした地面の感触も、転んだ拍子にすりむいた手のひらの痛みも、本物だった。これまで感じたことのない恐怖にがたがたと震え、歯の根が合わない。

 ここがどこなのか、あれが何なのかはわからないが、これだけは本能的に感じ取った。これは、現代日本で普通に生きる子供が経験するはずのない、生命の危機だった。


 動けない奏太に狼はひたと狙いを定め、姿勢を低くする。その四肢が大きく跳躍し、奏太はぎゅっと目を閉じた。

 しかし、想定した痛みはいつまでたってもやってこなかった。代わりに、ぎゃん、と獣のものらしい悲鳴のあとに、大きなものがどさりと地面に落ちる音がした。

 おそるおそる目を開けると、目の前に自分と同い年くらいの少年が立ちふさがり、獣と対峙していた。

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