君が奏でる物語

月代零

第1話 息苦しい教室

「――……やっ、た……!」


 できた、自分にも。知らず、感嘆の声が漏れていた。

 この世界に来て、初めて成功した魔法――自らが発した〝イマジン〞の輝きに、奏太は目を奪われていた。


 * *  *


「はい、今日はここまで。気を付けて帰れよー」


 帰りのホームルームが終わり、担任の教師が出ていくと、教室の中はにわかにざわめきに包まれる。

 各々部活動や委員会に向かう準備をする中、綾崎奏太あやさきそうたは手早く帰り支度を済ませた。

 奏太は部活に入っていないし、放課後遊ぶような友達もいない。従って、誰も奏太のことを気に留める者はいないはずだ。

 奏太はなるべく目立たないように、そっと後ろの扉から、金森中学一年二組の教室を滑り出た。



 靴を履き替えて足早に校門を出ると、ようやく歩調を緩めて一息ついた。

 やっと解放された、という感じがする。あそこにいると、上手く息ができない。

 いつからだろう、こうなってしまったのは。


 元々、友達と常にわいわい盛り上がって放課後も連れ立って遊ぶようなタイプではなかったけれども、学校が嫌いと言うほどではなかった。勉強はまあまあ、運動はちょっと苦手でぱっとしない、だが先生に目を付けられるほどではない、良くも悪くも目立たない生徒だと、自分では思っていた。

 そんな自分が、ちっぽけな正義感を発揮したのがいけなかったのだろうか。ある時をきっかけに、教室の空気が変わった。


 ある朝、教室に一歩足を踏み入れた時、それまで仲良しグループでおしゃべりに興じていたクラスメイト達が、一瞬だけいっせいに奏太を見た。奏太は異様な空気を感じたが、クラスメイト達は何事もなかったようにおしゃべりに戻った。

 気のせいかと思ったが、自分の席まで行って、近くの友人に「おはよう」と声をかけても、彼らはまるで奏太に気が付かないように、自分たちのおしゃべりをやめない。


 訝しく思いながら席に着いて、鞄に詰めていた教科書を中に入れようとした時、異変に気付いた。

 机の中に、ゴミや雑巾が放り込まれていたのだ。中身は空だったから持ち物に被害はなかったものの、その惨状と、クラスメイトの様子がおかしかったことの意味を察し、すっと胃の奥が冷えるのを感じた。

 ついにこの時が来てしまったか、と思った。うまく立ち回っていたつもりだったのに。

 周りを見ると、何人かが気まずそうに目を逸らし、何人かはくすくすとおかしそうに笑っている。

 頬がかあっと熱くなる。それは怒りのためか、あるいは羞恥心のためか。身体の中がわけのわからない感情でぐちゃぐちゃになりそうだった。


 誰がやったのかはなんとなく察しがつく。しかし証拠はない。そもそも奏太は、誰かを面と向かって糾弾できるような性格ではなかった。黙って耐える以外、方法を思いつかなかった。

 仕方がない。自分はどちらかというと日陰者で、この教室の中心からは遠い場所にいるのだから。



 それからも、似たようなことは続いた。

 クラスメイトに話しかけても聞こえないふりをされたり、グループを作ろうとするとあぶれたり、気が付くと持ち物がなくなっていたりなんてことは日常茶飯事。移動教室や準備する教材の変更があったことを自分だけ知らなくて恥ずかしい思いをしたり、掃除当番を押し付けられて皆帰ってしまったりということもあった。

 明確に暴力を振るわれたり、何かをされたというわけではない――たぶん。誰がやったという証拠もない。しかし、日々晒し者にされ、羞恥心を煽られ、今日は何をされるだろうと怯えながら学校に通うことは、奏太の心を疲弊させるのに十分だった。

 そして、相談する相手もいない、解決方法もわからないということが、何より堪えた。こうしたことは、この教室では奏太が標的になる以前から行われていて、担任教師もただのいたずら程度に考えているのはわかっているからだ。



 夕暮れの迫る道を、奏太はとぼとぼと歩く。表の大通りはクラスメイトも多く通るので、顔を合わせないように、少し遠回りになってしまうが、細い裏道を歩いた。

 人通りはほとんどなくて、家の塀や生け垣が続く、静かな道だった。地図を見ながら歩いているわけではないが、こっちの方に行けば家の近くに出るはずだと思いながら、足を進めた。


 すると、住宅街の一角に、ぽつんと何かの店が開かれているのが見えた。

 相当年季の入っていそうな、はっきり言っておんぼろな木造の店構えで、ガラスも曇って中はよく見えない。それでもなんとなく興味を引かれて、開け放たれた入口のドアから中をのぞいてみた。

 中は薄暗くて、古そうな壺や人形や絵画といったものが並んでいる。看板を探すと、ドアの横に「骨董品」というかすれた文字が読めた。

 こんな店がこんなところにあったのか。そのミステリアスな雰囲気に惹かれて、入っていいものか迷いながら、もう少し店の奥をのぞき込もうとすると、

「あっれえ、奏太じゃん」

 さも偶然というように、後ろから声をかけられる。

 しまったと思ったが、もう遅い。

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