第14話 淋漓

Tの眼前に突如現れた『根』の少年Uは、熙色の瞳を真っ直ぐに向けていた。


「やっと追いついた。僕自身、もう覚えていないと思っていたけど、その声に間違いない」Uは草臥れたような、安堵したような仕草を見せたが、表情は変わらない。しかし、表情はなくとも感情が読み取れる。飽くまでも人としての反応を準拠したものに過ぎないが。そして、Tはただの一言も声を発していなかった。

(気配がなかった…まさか、対峙がこの瞬間になることは予想できなかった。何故、少年を認識できなかった?分からない。視界に突然現れたように見えた…まるでブラックボックスのような存在となっていることは戦闘に於いて確実に障害となる、今は視界から外せない…また、声とは一体何を指しているのか?この少年には何が聞こえたのか…)

Tは情報が足りず、動くことができずにいる。この領域だけが切り取られたような錯覚に陥っていた。

(情報が足りない?声が止んだ…いや、ずっと静かになっている。通信機器の故障ではないが、感覚だけが間延びしているような、不可思議な現象。何よりも早期解決が求められる)


「僕はその答えを持っている」Uは最初の言葉にそれを選んだ、Tが相手にしないことを知っていたから。そして、続けた。「君もそれを知っていたから、あの時、僕を殺さなかったんだ」

Tは僅かに視界を逸らし、レーダが活きていることを確認する。

(今は識別できている。これならば問題はないだろうか)同時に『鳥籠』の精密動作にも異常がないことを確認した。


「そして、君はそれに気付かなかった訳じゃないけど、知らないんだ。知ってしまえば君はすべての役目を終えて活動を停止する、つまり、死んでしまうから。何者かがそれを阻止したんだ」TはUの話を流している。真偽は問題とならない、今の自分が意見されないことを知っているから。


「つまり、君から正解を聞けば良い、と」Tは適当な相槌を打った。

「聞いても意味がない、君には理解できないのだから。それを特定するまでは」

Tは理解したような気になっていたが、不意に条件が曖昧になるような感覚に襲われた。

(認識が離れていく…識別が取れない…エラー?恐らく、この少年が言っていることに嘘はない、精度は別として。要するに、負論理とすれば良い。演算を違わせることで言語を移行させる)


「ならば、すべきことは何も変わらない。情報はこの地下にあるのだから」Tは独り言のように呟く。

「地下には何もない、『根』の残骸が放置されているだけだよ」

(確かに、その可能性は高い。しかし、ベタのように新たな手掛かりや痕跡は必ず在るものだ…)Tはわざと時間を使う。


「つまり、構図はこうなる。私は破壊をし、君はそれを止める、と」Tは大げさなジェスチャーを混ぜて皮肉混じりに答えた。

「そうはならない。この場に於いての最大の過ちは、君が僕のことをいつでも殺せるつまらない存在だと思っていることだ」Uは無表情で淡々と事実を告げた。「最短だけが最速じゃない…君は今すぐに認識を改めるべきだ」

少年の声は、Tにとても優しく響く、言い換えれば、心地良い。

(だが、会話の内容はそうではない。要するに、私の選択は間違いだと言っている、この少年が答えを持っているらしい。しかし、この状況下ではとても会話にならない。この戦争に幕間はない、そして、幕引きも既に決まっている。それだけの人数を犠牲にした、勿論、数の問題ではないが、これでも計算した限りでは最小だ。意思、思考、思想が時間の経過と共に揺らぐ…この少年の領域は危険だ。何時からか分からない、遡れない、恐らく、その類の干渉を受けている。それなのに攻撃とは認識されない、また不知の存在を疑ってしまう。但し、何も問題はない、修正もほぼ同時に完了したのだから)


Tは少年のことを一瞥もしない。その理由は既に観えていたから。

(確かに、これ以上は不要だろうか…)

計器が示した彼の体重は200kgだが、これは飽くまでも一般的な計算に密度や組成を加味したもので、正解ではない。現に彼の体重はこの瞬間も揺らいでいる。100kgから200kgと振れ幅が大きい。外見は人間そのものだが、脳もなく、腕も飛び、脚もない。故に、その点が『根』に依って特別に強化されたものと見て良い。尤も、脳の機能というものが何に由来しているのかは分からないが、体重と同じように揺らいでいるのだろう。若しくは、浮いているという表現が正しいのかも知れない。つまり、彼の中に記憶媒体は存在しないということだ。私のように集積回路で補完している訳でもなく、常に膨大な情報を流している状態なのだろう。当然、そのすべてを受信することなどできない、垂れ流した情報を何らかの方法で制御している。ただ、それだけに過ぎないのであれば、不可視の存在に対処することは困難だろう。そして、少年の言葉を鵜呑みにすれば、その根拠を弾き出す必要があるが、あの時からそれほどの時間が経過した訳ではない。内在していた能力が、短期間で顕現したものと思われる。但し、その結果は第三者であるルリエベ・カトラスに依って齎されたものに相違ない。それからの道程を目の前の少年と重ねてみた。

(彼が伝えたことは感傷と一部の知識のみだろう。少年に知恵はない、でたらめな点呼を通して意思決定がされるのみ。何れにせよ、障害となるのであれば殺す以外の選択肢は存在しない。私は少しだけ少年の行く末を案じたが、それは明らかに相反する行為だった。ここまで来れば、バグの一つや二つは些事に過ぎない…)


TはUに向けて腕を上げる。同時に左肩から針を飛ばす。音もなく2発放たれた、少年は避けなかった。見えていないのか、聞こえていないのか、避けるまでもないのか、そう思った次の瞬間、少年の足元、地面から根が飛び出して来た。弾を弾く、それも正確に。

(その速度はあり得ない)Tは静観している。

予め空へ撒いた弾丸の雨が落ちて来たが、もはや少年は動く必要すらない。先んじて飛び出した根がその軌跡すらも計算していた。更に、最大の問題はその音に現れていた、単に軌道を塞いだのではなく、着弾時のエネルギーを外へと逃がすように適応した。

(異常だが、既に起こったことであれば…計算はできる)

Tは即座に兵器の段階を引き上げた…その身体に負荷が増す。瞬間に走った引き千切られるような痛みをすべて飲み込み、一段と暗いカーテンの中に意識を沈めた。そして、殺し得る手段の検索を終えた。

すべては同時に行われたことだった。Tの後方に浮かぶ『鳥篭』からミサイルを発射、爆心地の対極にブレードを設置、極小サイズの閃光手榴弾をばら撒く、起爆は任意だが、想定した反応速度を上回る設定をし、今一度、光や音に対する反応を測る。ミサイルの着弾は3発、見た目は同じだが3発目のみ破壊力が大きい。肘に付属していた地雷を発射。音響兵器を起動、効果は定かではないが周波数の特定を急ぐ。

「だから、言ったのに」少年はTとの距離を詰めるように駆け出した。

Uの後方でミサイルが着弾し爆発する、T自身も巻き込まれないような距離を接敵しているため直撃はない。少年も振り返りはしない、蹴った地面から即座に根の障壁を創造し衝撃波をいなす。

(以前、対峙したカテドラルの少年とは違う…そして、速すぎる…予め分かっていたような反応に近い)

Tはこの時点でも特に脅威と認識はしていなかったが、既に想定の距離を上回った。


(ここから先は詰将棋と同様、温存などあり得ない、一手毎に命を削る)

「真価を示せ!」Tは自身に聞かせるように言葉を放つ。

TはUに距離を詰められないよう脚の装置とジェット、複合プロペラを駆使している、攻撃もより苛烈になっていく。

この場にある駒と言えば、TとUだけではない。当然、軍隊や都市部の治安部隊も入り交じっている。Tは障害とならないよう適時狙撃しているが、Uはそれすらも防ぐ。但し、Uの目的は単純だった。この場で誰も死なないように立ち回る。死ななければ良いと考えているのか、遠方より障壁を操り、時には衝撃を与え身動きが取れないレベルの怪我を負わせることもあった。


(戦場の数が多すぎる…)Tは初めて苛つきを覚えた。

(そして、少年の射程が想定よりも長い、あれならば『鳥籠』を破壊することは容易だが、そうしないのはあれを必要としているからだ。恐らく、先の障壁もそうだが、私にとってあれが必要だと考えているから破壊しないだけだ…何のため?)


Uは全ての攻撃に対し、的確に最小限の動きで防いでいる。但し、Tの計算速度には到底及ばないので、本能のみで動くしかなかった。Uは目に映るすべてを否定する、ただそれだけを『根』に命じている。理想の世界は再現できない、近い表現を模索することで、少しでも正解へと近付けるように。声なき声はその形を明瞭なものへと変化させていった、Uを通して兵器として確立した。言語能力さえあれば1回の通信で済んでしまう、それまでは色分けされたシグナルを回数や数で区切るしかなかったため、時間は掛からずとも近似値しか求められなかった。『根』の兵器に紋章が与えられなかったのは確率の問題に過ぎなかった。


「君に会えばその答えが分かると思っていたけど、やはり望まない展開となった」Uは困ったような素振りを見せる。

(少年を中心に『根』が張っている、金属の激動を観測、とても静かだ。残滓が集まって形作るのか、『根』の数が爆発的に増えていく、この状況に対処すべく必要な処置だろうか)

「結局、生き残るのはどちらかという問いにしかならない」

(私は『根』の兵器があったから生まれたけど、本質的には被害者に数えられる。憎しみはなくても、この気持ちは兵器としての格が問われているのだろうか)

Tは鹵獲した戦闘機をUへ向かって飛ばす、残弾も後方の軍隊へ向けて発射した、後のないフルスロットル。

「そんなものに拘泥する理由が分からない。お互いに行き着く先は分からないし、そんなものは存在しないかも知れない。けど、僕と君は手を結ぶ未来だってある」

戦闘機が横滑りをするように墜落する、パイロットは既に死んでいる。Uは障壁1枚で戦闘機の軌道を逸らした。超音速による激突、轟音で身体が跳ねる。Uはそれでも傷付きはしないが、痛みだけは脳を貫く。

「痛みには慣れないけど、それだけなんだ…何も失った訳じゃない」UはTに聞かせるように静かに溢す。

一方、Tも外装による衝撃の軽減はしているが、すべてのダメージを防げる訳ではない。外装のカラーから針が伸び、身体に薬液を注入する。脳を焼き、生命を差し出す。

(薬液も残り数本では心許ないが、もう必要ないのかも知れない…)


もう何回目になるのか、TはUに向かって針を飛ばした。距離が近いため、Uは衝撃波で吹き飛ぶが、咄嗟に腕を重ねて身を守った。

(違和感は確信へと変わった。彼は私が傷付かないように立ち回っている。どれも障壁で防げた筈だが、そうしなかった理由は距離が関係している。私が衝撃波を受けないようにいなしている、それだけだ。私が感じているもの…君はまるで生命そのもののような柔らかな光に包まれている)

Tは動きを緩める、外装の兵器も残り僅かとなった。Uは、吹き飛ばされながらも、足元から『根』を飛ばした。間隙を縫うような不可視の一撃、障壁を槍のような形に変えて、Tの外装を貫いた。ジェットの片割れが破壊される、反転、Tは残りのジェットを撃ち出し、ワイヤーでUの右腕に固定、そのまま最大出力で飛ばす。

(もはや、帰り道など必要ない)

Uはジェットに引き摺られる形で滑ったが、即座に体重をコントロールし、『根』を杭のようにして身体を固定した。遠心力でジェットパーツを叩き付ける。絡まったワイヤー毎身体を振り抜く、ワイヤーが腕に食い込むが止まれない。瞬間、地面から自身に向けて『根』の2本の槍を撃ち出す、鋏のように交差させ、伸び切ったワイヤーを切断。そのまま槍は伸びていき再度、Tの外装を貫いた。3本の槍で


「僕らは凍の国同士の人間なんだ、争う必要なんかなかった。決着なんてつかないのに…」Uはここで起こったすべてを否定した。

(時間軸の計算まで出来るのであれば私と何ら遜色がない。焦燥感は私と彼の双方にのみあって、『根』の兵器にはまるで影響がないのであれば、今も淡々と準備を進めているのだろう。恐らく、解はこれであっている。今起動した『槍』を君はどう捌く?零距離、爆心地はここ!)

「些事など時間に焚べてしまえばいい、何も残りはしない」Tは微笑んだ。

(『槍』を地下へ通せば、機会が生まれる可能性もある…まだ何も終わっていない)


『槍』の起動は即時『根』にも伝播した。

Uは遅れて叫んだ。「ここに爆弾を落とす?君もいるのに!?」

Uには莫大な情報を処理することは出来ない、それはとっくに諦めていた。しかし、直感だけは働く。寧ろ、直感以外のものはこの場では何の役に立たない。今も、Uの頭の中には、遠い昔に聴いたあの声が響いている、まるで鐘のように響く歌声。この瞬間だけは、理解が追いつかなくず心が奮える。その音は「謳え」と、ただそれだけのシグナルを繰り返した。


Tを搦めた槍をそのまま空へと伸ばす、飛ぶような勢いで離れていく。

「これだけじゃ足りない!」『根』はUが考えるよりずっと早く動いた、半径20キロメートル圏内の『根』を全て使う、上へ上へと柱のような枝を伸ばす、空を塗り替えたかのように、あっという間に視界を埋めていく。天蓋が3重のドーム型の建造物。『根』に依る盾で『槍』を迎え撃つ。

「声が、はっきりと聞こえた…これでも足りない。けど、その時は来てしまった」どのような形であれ結果だけは確定した、Uはそこまで理解した。


音速を超え衝撃が突き刺さる、『槍』が天蓋に衝突、根の欠片は四方に飛ぶ、それでも『槍』を目指し、ひたすらに伸びる。どちらが速いのか、『槍』も『根』もUには追えないが、位置だけは正確に分かるという不思議な感覚に包まれていた。

「正解も不正解も分からないのに、これしか出来ない」Uはこの場に居る自分に、少しでも価値があれば良いと願った。


無音の中で『槍』は『根』を飛ばす、形状だけを見れば巨大な槍に無数の槍が立ち向かうような図となった。

Uの目にもはっきりとした『槍』の形が見えた。数千の『根』を散らしたところで『槍』が爆ぜる。Tは地下の破壊を目論んでいたが、地中貫通爆弾は中空で爆発した。質量を殺し、次に爆発への干渉、計算ではこれでいい。

「止めるだけじゃ全然足りない、衝撃波だけで死にそうだ…」Uがそう思った時には『根』の枝や葉が振動し始めていた。光が溢れ、何も見えなくなった。

「脈動のように、何でもないことのように、この世界を」『根』はUの願いを完璧に捉える、Tには3重の障壁を置いた。外周にはモノリスのような障壁がそびえ立つ。但し、Uはそれだけしか考えていなかった。障壁の外にいたUへの衝撃は想定以上のものとなった。ワイヤー状の『根』の弦が振動し、波を殺していく、熱の侵蝕が始まる、Uのすべてが燃えていった。それでもUは、死にはしなかった。


流れた空気が戻り、静寂が降り注ぐ。

Uは、Tを囲んだシェルターが破壊されていないことに安堵した。焼かれた身体を押して歩き出す、Tの安否を確認、相応のダメージは負っているが呼吸はあった。

「君も僕もまだ生きている」Uは独り言のように呟いた。「でも、これは一体何になるんだ…」

外装のカラーが起動し、最後の針が打ち出される。薬液を注入され、Tは意識を取り戻す。Tの外装は半懐し、機能のほとんどを失った。それでも一縷の望みを演算してしまう。

「これが…本当の最期だよ…」Tは視線を落とす。ここへ来てようやく得られた自由を憂い、涙した。「ごめんね…」誰にも聞こえないような声が空気を震わせた。Tの最期のAI、6号機が起動した。

(何のため?)Tは薄れゆく意識の中に謝意と疑問だけを残した。


Uは瞬間、空を仰ぎ見た。

「嘘だろ!?」Uは崩れた天蓋の隙間から、灼けた空に3機の『槍』の飛来を確認した。

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