第12話 深潭

Tは入手したデータを精査している。

ベタでの任務は成功し、次の目標地点を設定。『根』のネットワーク機能について、距離を無視することを立証したデータも転がっていた。各数値に関しては科学者好みとなっている点が気掛かりではあるが、一定の基準はクリアした段階と推測。今回、『根』が反応したポイントが国外に三箇所存在した。距離は不明だが、方角ははっきりしている。マップで照合した結果、1つ目は凍、2つ目はサクソニア、3つ目は陸地ではない、海中か空を示している、または宇宙の可能性もある。ルート検索を終える、各地の影響を計りつつ、索敵の可能な空域を選択。また、現時点ではカテドラルの追跡はないが、真相が割れているならば、彼らは必ず追ってくるだろう、殺すか、それ以外か、目的は分からない。


現在は国境近く、山間部を北西方向に飛行中。入国時と何ら変わりはない、ただ飛行のみで監視網を抜けるが、今回は明瞭な爪痕を残していく。既に国境すら意識していない、先の騒乱後では情勢自体が大きく傾き、バランスを求める声そのものが演出の仕事となるため、そちらへ注力してやれば良い。ベタは一年以上国内外の鎮静化に努めることになる。更に、Tはこの機会にAPT攻撃があったことを発露させる、被害の計上と拡大と末路と…多角的に渡り合う、これこそTの本領であった。更に二段階も潜れば、入手できる情報の密度も変わる。

「そして、追ってくればいい」(無論、そのすべてを相手取ることはできないが、時限であれば私に分がある。尤も、こちらに戦力を割く余裕はないと思うけど)Tは領空を抜け、ベタへ潜入した時点からフル稼働の状態を保っている。負荷を最大幅で推移させており、一縷の余裕もない。余命を挙げれば数ヶ月と決まっており、展開に応じて早まる可能性はある。「私はここにいる」鬼ごっこのように無邪気な声が溢れた。


一つ目の国境を越え、ジェノヴァへ入ると強力なノイズが飛び込んできた。

この感覚には覚えがあるが、外装の計器が反応した訳ではない。補足できない現象の1つ、恐らくは『根』の共鳴だろうか。

(外装を抜けるほどのノイズだが、通信は阻害されず、影響もない。これは別の何かに当たるが形容できない…つまり、細分化が困難なデータ、若しくは別の何か…その塊だけが、ただこの空域に存在していることになる。金塊と同様、何処を切り取ってもそれはただ金と呼ばれるものである。しかし、別の見方もある。この空間にそれだけの塊を配置した者がいる。現状では判別すらできないが、いくつかの情報さえあれば解決できる。そして、共鳴というのも外れてはいない)外装に収納されている『根』のカプセル、サイズは2cmに満たないが、微かに振動している。

「燿のノイズ…」黒の外装に対し執拗な反射を繰り返す。

(これは、少し不味い…)憤怒、憂愁、憐憫、怨嗟の声が外装を突き抜ける。

(確かに、私はそれだけの業を負ったが、又は、負っていたが、当初よりそういう設計の元に造られている。与えられた人格、つまり、初期データも容姿にパラメータを当てただけに過ぎないが、変遷も想定内ではある。無論、AIなくして平衡もまたあり得ないが…)しかし、この場に於いてはすべてが誤りだ。指向が洗脳ではなく、これがあるがままの状態、つまり、零であることを理解し、あろうことか受け入れてしまった。戦時への移行は当然のように解かれ、残りの4機のAIは稼働しているにも関わらず沈黙を算出している。

(不味い…)焦燥や拘泥が規定値を超すことなどあり得ないと思っていたが、これも初めての経験という訳ではないらしい。虚構の世界を渡り歩くための虚構、それが崩れてしまうその前に塗り替えるより他はない。それ以外は敗北と言える。

Tは不意に肩を叩かれた、それも下から…こんこんとリズミカルな振動が確かに伝わる。背面飛行中ではあり得ないことだが、もはや夢か現かも判別できない、それほどまでに深く墜ちている。即座に周辺にレーダを照射したが、その羂索の外側、こちらを見据えている人物。深山の丘、その一画だけが陽を反射し、新緑を裂いている、その青年は石に腰を掛けていた。やはり照合のできない存在、雰囲気からしてカテドラルではない、第三者と思われる。スレートグレイのジャケット、その手には何も持っていない。(このような場所で、断絶されている訳でもないが…まるで仙人のように湧いて出た訳ではないだろう)Tは理解を超える存在に今は辟易している。

(平生であれば、喜々として銃を構えただろうか…今はそれすら、賽を投げるまで分からない)Tは場に飲みこまれるようにその地に降下した。(どのみち、今の状態では何処にも行けないだろうから、脱却するための情報が必要だった。情報さえあれば私はまだ戦えるだろうか…心掟までは喪えない)


「『槍』を落としたのは君か」ジャケットの青年が声を掛けた。一見とは思えない柔らかな声色、視線は眩しいのか、伏せたままで。グレイの髪色に赤み掛かった瞳。旧知の仲のような雰囲気を纏っていた、表情がなくとも微笑んでいるようだ。「私はクレヴァスの紋章官だ、このような自己紹介に意味があるとは思えないが、相手が君であるならば…寧ろ十分だろう。折角来たんだ、質問があれば受けよう」

(紋章官…クレヴァスは中央に位置する島国の一つ。しかし、対外秘である情報には変わりない。彼の発言に嘘はなく、肩に届いた振動の謎も解けない。私を始末するつもりなのだろうか…恐らく、彼にはそれが可能だが、現状でも通信が遮断されていない以上、その意思もないのだろう。但し、前提を覆すだけの何かがこの場に渦巻く、燿のノイズとの関連もあるのだろうか)

「先のノイズは貴方の仕業だろうか?」Tは今も場に飲まれている、ノイズの影響が大きいため、思考に制限の掛からないこの状態こそが自身を追い詰める。

「いいや、違う。あれは元々あったものだろう。時と場所が交錯すれば何処にでも現れる普遍の負荷。ノイズという表現には風情を感じるが、あれは紋章兵器の残滓でもある。非常に危険なものでもあることに変わりはないが。尤も、君の体験は副作用に過ぎない。つまり、電磁波に並走する形で『根』の共鳴が発生し、混線と勘違いをした君が正であると認めた。貫くと言うよりは、寄り添うに近い。吹き抜けた風は君を置き去りにした訳ではない」Tに知り得ぬ情報が矢継ぎ早に出てくる。Tの頭は冴えている、決して酩酊している訳ではない。

「紋章官であれば『根』の兵器について知っているだろうか」Tが何かを尋ねたことは初めてのことだった。それどころか、まともに会話すらしたことはなかった。

「そちらは紋章兵器ではない。さっきまでは知らなかったが、今は何となく理解できた。カテドラルも同じだ、ベースは『根』のネットワークを利用したもので、それが生物か植物かの違いでしかない。但し、あの少年は違う。『根』の兵器とは異なる存在だ」

(彼は何者だろうか、クレヴァスの紋章官というのは嘘ではないと思われるが…私の何を識っている?その目的も分からない。分からないことだらけだが、思考だけは加速し続ける…)

Tが沈黙していると、ジャケットの青年は続けた。「君も存外に色々と抱え込んでいるね。今の君に嘘はないが、色々ものがひっくり返る時が来る、その時を楽しむべきかどうかで悩むくらいが丁度いいと思うが…」

「貴方は何者だろうか?この場所に於いては、色々なものができすぎている…」

「説明は難しいが、言うなれば、虚構の住人。例えば、ここではない何処か、なんて言葉があるだろう?」ジャケットの青年は手振りだけで冗談を促す。「そんな、とても嘘っぽいものがあるとする。斯様な環境でも人は適応する機会があるということだ。君が求めていたものも同じだろう、望みがあれば拒む理由もないが、きっと君は受け取らない。そういう風に出来ている、世界の仕組みそのものであるかのように振舞うのが精々だから。そして、先程から君が怯える理由も出自は同じだろう。接点のないのだから、敬意も畏怖も必要ない」

(接点ならここに出来た…理由も容易に作ることができるのではなかろうか)Tは計器から流れてくるデータを静観している。(何でもいいのに…解に到達し得ないのは感情の作用だろうか、与えられた変数が多すぎる…)

「作らせない」ジャケットの青年は手を軽く振り、空気の流転と断絶を証明した。赤みが増した瞳が僅かに発光し、その残光にさえ力を灯している、洗練された所作には弾丸を差し込む隙間さえ存在し得ない。Tは確かに雰囲気や気配に作用する何かの片鱗を感じ取った。(確かに、計器では超低周波音の他、いくつかの数値の変動も捉えたが、決してそれだけではない。寧ろ、それ以外の要素が多すぎる…外装が無力と感じるほどの衝撃が、こんなにも遅れて到達するのであれば、眼前で事象には永遠に届かない、少なくともこの命では足りないだろう…)

「自己紹介はこれくらいにしておこう…もう落ち着いた頃だろうから。時間もないのであれば行けばいい、これが君の最後の仕事になるだろう」

(彼は知り過ぎている…私には見えない何かを数値化しているのだろうか、質問を受けると言ったが、今思えばあれが嘘だったに違いない。目的は私から情報を引くため、但し、他意はない。目的そのものが嘘であることから、単に情報戦を吹っ掛けたに違いない。それも、ただの戯れとして…)Tはその表情を変えることなく笑った。

「あなたの話は本当に面白いが、今の私にはそれが恐ろしくもある…素敵な時間をありがとう。あなたの言う通り、次が私の幕引きでしょう」

「ああ、それは嘘だ」彼は表情もなく微笑んでいる。「ひっくり返ると言ったろう、天地がな。君は君を認識できなくなるし、また、隣人も既に息づいている」

「つまり、あなたが何かを仕掛ける」

「いや、既に全てのカードが場に出揃っている。面白くなるのはこれからだ」


一抹の休息を終え、Tは飛び立つ準備をする。最後くらい派手に飛び立つ気でいたが、それは叶わなかった。

「資源は大切に…」その一言を切っ掛けに、Tは遥か上空へ吹き飛ばされた。予備動作も音もなく結果だけが、ただ残された世界。Tは事象の後にしか認識できないことが、これほど溢れている世界に僅かながら感謝をした。

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