第9話 排架
先人は西を目指した。
二人は図書館を後にし、樹海をひたすら歩く。『根』の少年Uは現在も成長を続けている。成長とは思考のみに限られ、意識は端的に言うと底地だった。但し、知識欲だけはあるように見える。相変わらず、感情については欠けているように思えるが、淡々とやりとりを続ける様は傍から見れば"普通"というやつなんだろうか。Uは基本的に眠ることはないが、時間帯によって性能の一部が落ちることが分かった。何に左右されているのかは不明であり、また、本人にも自覚はないようだった。
破壊された建造物やその他を様々な角度から通り越していく、玩具を与えられた子供のように一つずつ確認する。Uの格好は裸に近いが、瓦礫等で怪我をすることもなかった、但し、表情はなくとも痛覚はあるので学習には困らない。自身のテリトリーのすべてを利用し、所作の一つ一つが洗練されていく。視野の確保、歩行法、ルート選択等。Uは見かけよりもずっと体重があるため細い脚に負荷が掛かると痛みが走りやすいのかも知れない。尤も、ペースが乱れない点を挙げれば、痛みもあって然るべきものとして受け入れていると思われる。それ以外を体感できないのだから当然の帰結かも知れない。尖った破片を踏み抜いた時も僅かな反応は見られた。だが、外傷はなかったため、その痛みを耐えさえすればそれで解決なのだろうか。但し、同様の失敗を繰り返すことはないため、回避すべき対象としての認識くらいはあるのだろう。
その傍らで、先人は書記が残した言葉を思い出す、書記が指摘した情報量の乖離について。検証する必要はあるが、現時点では何も決められなかった。領域か、本体か、少年か、視野を狭めれば間違いなく酩酊する結果が続く。そして、最中にあれば中庸も何もあったものではない、そんな芸当は書記にしか許されていないだろう。目下の急務としてUを運ぶ必要があるため、これ以上囚われないよう注意を払うことだけを考えた。
『根』の領域は離れてからは、先人が用意した車で移動し、トリトンという都市に出た。通りは人で溢れており、Uは珍しいものを伺うような気配で道行く人を追っていた。ちなみに、Uの服は先人が用意した。元の格好では非常に目立つためだ。少年が注目を浴びる分には構わなかったが、隣にいる自分にその視線が向けられるのは避けたい。
「とてもつまらない会話に見えるけど、どうして笑っているんだろうか」Uは思ったことを口にした。
「簡単なことだ」先人が答える「つまらない会話ではないからだ、彼らにとってはな。言葉だけを追っても意味がない、言葉は伝達手段の一つでしかないからな。肝要なのは伝達事項にある」
先人が手を振り先に進むように促す、交差点の一角にある喫茶店に入り、二階の窓側の席に座る。鉄筋の建物だったが、内階段は木造だったため、Uが上がる際には軋む音が響いた。席からは通りが見える、窓枠には観葉植物が置いてあり、目が届いていないのか乾燥気味であった。
「うーん、記憶と照合してみたけど、やはり退屈しているようにしか見えないよ」
「そっちか…あれは接待というやつだ。その言葉は聞いたことがあるだろう?」
「客でもないのに持て成すことにどんな意味があるのだろうか…」
「そこには必ずメリットがある。例えば、相手の機嫌を損ねることで、自身が不利益を被ることになるとか。人は絶えず計算して動く。逆に算数ができないやつはどうにでも転ぶということだ。それを相手が良しとしなければ、別の結果も見えただろうが」
感情なくして対人は困難極まる。握り締めた拳は怒りを、流した涙は歓喜で、震える身体は何のためにあるのか、二択でも必ず踏み外す。実際の要素は少なくとも二十を越えるが、いくつ数えたところで正解とはならないだろう。だが、Uはそれらをクリアしなければならない、その先にしか望まない平穏は手に入らない。
「僕は『根』から離れても大丈夫なんだろうか…いつも囲まれていて、そこには不安も安心も全部ある気がする…それがないからと言ってどうとかって話にはならないんだけど…」Uはとりとめない疑問を吐き出し、先人が答える。
「お前の考えている通りにはならない。その思考は意思からなるものではなく、相対的な評価そのものであるから。結局、お前は『根』から脱却できずにいるだけだ、無論、その利点も挙げれば限がないが。まぁ、今は小難しいことは放っておけ。それより、目に入る全てをなぞればいい。この世界はそれほど悪くはないからな。それからでいい、まだ何も始まっちゃいないのさ」Uはぼんやりと先人の手元を眺めていた、次に意図を理解し通りの人々に目を向けた。曇りようのない眼で数百メートル先まで追っていた。Uが無言になってからは、先人も静かにコーヒーを流していた。騒々しい通りでも意識を内に向ければ何てことはない、空からは時々光の粒が降りてきては陽の光に紛れて消えていった。
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