第7話 月影

Tは隣国へと移動した。


その国はベタ、七大国の一つ。広大な領土を持ち、人口は世界で二番目に多い。七大国とは、大陸毎に定められた七つの国を指す。簡単に説明すれば、その大陸で一番の強国ということだ。


対して、凍の国はと云うと、歴史こそ長いが領土も狭く資源も少ない。技術なくして立ち行かない立場にあるため、国策として研究事業を推進している。兵器の研究・開発もその一つで、集合部門・壁と、空集合部門・擂が主たる機関であった。兵器、対兵器の開発、紋章兵器の研究を軸とし、『撰』の再構築に関しても機関から引き抜いた人材が主となった。表向きは在籍型出向となったが、そのすべてがまやかしであった。『撰』の設計としてはオブジェクト指向を採り、班毎に一つ、または、複数のオブジェクトを担当した。オブジェクト間の連携については、それだけを扱う班が別に存在した。そのため、自身が関わったオブジェクトがどのような役割を与えられるのかは知り得ない情報であった。但し、該当の班についての予測は容易で、多くはAIだと思っていただろう。クラスについての関心を持つ割合というのも半数に満たなかったが。


「その技術が問題だった」Tは基本的にフル装備の状態にあるため、入国の手段は限られる。隣国と言えど海を隔てているため陸路は使えない。海路では時間が掛かるため、空路を選択した。飛行能力に暇疵はないが、潜伏先の後補地にはそれぞれ欠点があった。Tは既にいくつかのチームから狙われているため、その点を考慮すると、更に条件が厳しくなる。潜入後も一定の準備期間が必要となる、邪魔が入るものと仮定した場合は、最大で1年は掛かるだろう。発端は産業スパイだろうか、特許庁にも当然のように紛れている。私に使われた技術は万を超えるが、特定の技術には官吏を通すという義務があった。恐らく、その際に目を付けられていたものと思われる。現時点での任務は情報収集か捕獲のいずれかであることが推測される。「尤も、この先は殺し合いにしかならないけれど」Tにはそれ以外のことは何もできはしない。「早期での決着が望ましいが、隙を見せない限り寄って来ない可能性もある」Tは最も危険な候補地を選択した。兵器の調達に遅れないよう出発するとしたら、今夜発つのが望ましい。飛行パーツは、二機のジェットだが、両の手に収まるくらいの小型のものだ。取付箇所はいくつかあるが、安定を重視する時は肩や腰に装着する。当初の設計では背中にあったが、炉と干渉するため着脱可能なユニットとして開発された。低空飛行のためステルス性は極めて高いが、合わせて、視認ができないよう反射率も可変するようになっている。


「ミサイルさえ入手すれば、他は誤差のようなもの」Tは無表情でそう吐き捨てた。当然、人が持つであろう感情はインプットされていたが、対人以外では用のないものと認識し、明確に区別していた。それは、或る人から見れば不自然なことかも知れないが、そもそも監視されることがないため、そのような対応を取っている。合理主義に於ける限度や幅と謂ったものを確率で弾き出した結果との比較にはならず、人非ざる者としての矜持を手にすることでバランスを取っているようだった。Tの自尊心はとっくに崩壊しており、言葉の上を転がるだけで半生を繕い、死を待つばかりの心境を常に捨て続けた。


Tはジェットを装着し、領空を抜けた。

月明かりもなく辺りには空を裂く音だけが響いた。仰向けの姿勢で飛行しており、空白の空を眺めていた。オートパイロットに移行してからは、その瞳を閉じた。星や衛星が瞬く、静かな夜の微かな幕開け、闘争心もなくただ標的を据える。Tにとっては散歩と変わらない、その程度の戦争を何億と描いたところで心が動く筈もない、期待もなく、不安もなく、ただその時が来ることを知るということ。ただ、その一つにあの少年を見た、彼が場に出るならば私はこうするだけ…外装に附属する数々の計器が沈黙し、飛行のみをサポートした。造作もない事が積み重なれば、それがずっと続けば、いつか私に届くのだろうか、宇宙を覗いても果てはなく、思考は光速を超えた。その時までに全てを終わらせようと、あの少年の陰に隠れるように、ひっそりと夜明けを追い掛けた。 


航行は順調。レーダーに反応があった、500キロメートル圏内に戦闘機を二機発見。超音速での巡航、速度では敵わないが、決着はどのみちロックオン次第になるだろう。つまり、レーダーの性能で決まるのだから万に一つも私には勝てない。

「例えば、目の前に突然山が出現したらどうすべきか」Tはデーターベースへ干渉し、レーダーを狂わせた。

「なんだ…ぶつかる!」「意識が飛んだのか…避けろ。視認できないが、レーダに反応がある!」2機とも左へ急旋回したが、その先で閃光弾が爆ぜた。当然ダメージはないが、この状況に思考が追いつくのはいつになるだろうか。「管制は…通信不可の状況…何時からだ!正に攻撃を受けている!」同時にミサイルのレーダに補足され、アラートが鳴り響く。一機がフレアを射出。

「三度の礼節、応えるは歴戦のみ」後続が指南役か、Tはミサイルがダミーであったことを暗に告げる。

「フレアは古い…」ミサイルは当然のようにフレアをすり抜け、着弾の手前まで加速する。

「爆ぜることはないが、アラートを二度狂わせることには成功した」彼らはどこから攻撃を受けているのかも分からず、闇雲に囚われた、間もなくTの射程圏内に突入する。二機は簡単に鹵獲された。パイロットがいるにも関わらず鹵獲されるという自体に思考が追いつかないため、射出座席もできない。尤も、既に機能が制限された状態のため、考え得るすべての行動が封じられた訳だが、理解するのにまだ時間が掛かるのだろう。

「悪気はないけど、この結果に追いつかない限り明日はないから。まぁ、それが軍人ってものでしょう」Tには二人を同情する暇さえあった。そして、二機の戦闘機に搭載されていたミサイルをベタへ向け全弾発射した。ミサイルの標的は軍事施設と高層ビル、同盟国からの先制攻撃に何ができるのか、当然思案する時間などある訳はない、ただマニュアルに沿ったプログラムが走るだけ。「迎撃が遅すぎる。破壊は確定した」Tは鹵獲していた戦闘機を解放した。オフィスビルが倒壊し破片が落下する、早朝のため人は詰まっていないだろうが、夜明けと共に死者の計算がなされる。軍事施設では格納庫を狙ったが、大した被害はないだろう。「愚鈍な政府はそのままが良い、この先も扱いに困ることはないだろうから…」Tは爆炎に紛れるようにベタへ潜入した。

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