第4話 転訛
「流石に疲れた…」先人は夜通し歩き続けた、破壊された都市を横断するのは容易ではない。道なき道を阻むものも、やはり『根』と残骸のみ。好き放題に成長した植物は正解という形にはならない、それは感性以前の問題で、奇譚のない世界を参照しているからなのだろう。
『根』はステージに依って成長方法が異なる。第一ステージでは、竹のように地下茎が放射状に伸びる。つまり、地下を進み、次に地上を破壊する。また、根の先端部にてコピーを作製、種子も胞子もないため、枝分かれに近いが、そこが新たな起点となり同様の成長を繰り返す。地下茎が重畳し、密接に絡み合い、より強固な配列となる。コピー、またはバックアップと言い換えても良いが、憖この点をクリアできたために計画が早期に頓挫せず、また完成しなかった要因でもあった。そして、下から突き上げる形で破壊された、主に建造物は、想定よりずっと脆く、また、排斥が最も困難な形で倒壊した。基礎を破壊されたため、当然の帰結ではあったが、盲点であったことは都市計画の再考を余儀なくされた。
先人が動けば、当然『根』は捕捉する、無論、その先の意思は存在しないため、何かの妨げになるという訳ではないが、対比される相手としては巨大の範疇を超えており、規格外にして不透明というだけで無垢の重圧が過り、その回数等を断片的に意識するだけでも疲労の一因となった。杞憂とまではいかないが、天が落ちるという保障はあったからだ。ただ、その時は今ではない、逆に言えば、それだけの康寧しか残されていなかった。
天蓋の葉は不規則に振動し、耳障りな音を立てる。また、その反響に呼応するようにまた振動を繰り返す。まるでキャッチボールでもしているかのような無邪気さに、本来あるべき姿を重ね心底嫌気が差した。樹海よりもずっと深く暗い、徒な人工物。ただの革靴であったなら既にずたずたに引き裂かれていたであろう。それなりの備えこそあれど無傷とはいかないため、先人の心労もまた際限なく積まれていった。
「天も地もあったもんじゃないな、すべてに於いて不快な空間だ。分かっちゃいたが、覚悟が足りていなかった…それも随分と。止むを得ず動くだけの俺には過ぎたる注文だったってだけの話だが、何もそれは今に始まったことではない。何かを救うだとか、そんな大それた願いもある訳がない。俺はただあるべき姿を追うだけだ。万物に共通する祈りはそれくらいなもんだろうから。さぁ、お前が何を思うのかは分からないが、多分、俺と一緒で大したもんではないだろう。死人に口無し…闇の中で口を開けてりゃそれで足りる命だ。だが、こういうもんは初めこそが肝要だからな、それを見せてやりたい。さっきからそればかりを考えちゃいるが、このイカれた都市ではどうにも調子が狂う…この構築された環境こそが成果ではないと主張し、同時に沈黙を繰り返す科学者の姿がダブって見える」愚痴を溢し続けること数時間、先人は『根』の爆心地まで辿り着いた。
この地点はトーラスと呼ばれているが、特に意味はないのだろう。何せどこかの書記が残した記録に基づいているからだ。天からの爆撃を受け、地中深くまで『根』のカプセルが刺さったが、元々この深さまで発芽しない設計になっている。勿論、カプセルが正常に機能すればの話になるが。「あの場にいたのは誰か、俺にはそれが分からない」先人は『根』に覆われた岩盤を見上げ、かつての空には何が映っていたのか考察を始めた。そして、次に傍らに臥している少年を見据えた。思っていたよりも幼い、髪は黒く瞳の高さで止まっている、成長がないことから、当時のままの状態を保存しているものと思われた。服は身に付けているが、これは外殻と言っても良い。既に繊維ではなく、『根』に侵食された結果、別の素材となっていたから。少年の姿を保っている理由はDNAを手に入れたものと見て間違いはないだろうが、その方法までは分からない。「まぁ、時間だけはまだあるか」先人は懐中時計を指でなぞり、この道のりが現時点までは正しいことを確認した。
「今の気分はどうか?『根』は大きくなりすぎた、情報が巡るのに何十年も掛かるのであれば、効率も何もあったものではない」先人は横たわる少年にそっと話し掛けた。「つまり、お前が単位に回ることはないということだ」先人は諭すように告げたが、少年の方は聞く姿勢とは程遠く、反応もないままに数分が経過した。だが、緩やかにプログラムが進行していることも理解していた、先人はただ待てば良い。その程度の教師役くらいであれば務められるのだから。
「あぁ、僕には話すことさえ難しい…頭が割れそうだ…流れの中にあって本流をコントロールできるはずがない」少年はうっすらと目を開き、頭を抱えながら辿々しく返答した。表情に変化はないものの、その苦しみは十分に伝わってくる。また、会話におかしな点がないことを確認し、『根』に裏打ちされた恐ろしいほどの学習能力を正確に計測しようと努めるが、蓄積した疲労と帰路とを天秤に掛け、どうにも落胆の色は隠せない。「しかし、痛みがありゃ人とそう変わらんか」先人が溜息混じりに吐き出した言葉に少年は反応しなかった。「止せ、そのイメージじゃない。お前は自分の姿を見誤っている…と言っても今は聴こえていないのか。こいつ…あれだけ話し掛けてやったのに…効果がなかったのか…」先人はいくつかのプランを比較し、少しばかりの脱力と共に決断をした。
「絵的には虐待となるだろうが気に病むことはないさ。何故なら、お前の方が俺より遥かに頑丈だからな…」そう言って、先人は少年を蹴り上げた。外殻の上から力を加えるため、反動でダメージを負うのは必至…少年の身体は見た目よりはずっと重く、外殻と合わせて100kgを優に超えている。これを真正面から蹴り飛ばすというのは正気の沙汰ではない、先人は自身の身体に細工をした。大きく鋭い一撃が必要となるため、まずは自身の質量を数倍まで上げ、また、回復のための手段を用意した。右足を引き、重力の案内を受け、綺麗な弧を描く。少年のお腹辺りに靴が刺さりそのまま甲で押し上げた、人体ではあり得ない大きな音が響いた。少年はそのまま後方に20メートル程度吹っ飛び、コンクリートの壁に背中から叩きつけられた。人体の急所を守るように身体を丸め、頭を両腕が遮っていた。その行動パターンまでは先人の読み通りであった。一方で先人はというと、まず衝撃で足の骨が砕けた、対策として、膝から下の感覚を薄く伸ばしてはいたが、視覚や経験からも情報は飛んでくるためそれなりの激痛が走った。但し、次の瞬間には完治した。「あいつは傷一つ負っていないが、俺はこの様だ。そして、やはり防御をしたな…」先人は自身の身体の状態を測りながら、ゆっくりと少年に向かって歩き出した。反動とは別の疲れが残ったため、右足は若干引き摺るような動きとなった。
「今の感覚だ…俺は信じているぞ、お前がただの一撃で理解できることを」すべての音を遮るように、先人は怒鳴った「さぁ、証明しろ」痛みがあるからこそ少年はあのような格好を取った…これが新たな価値観だ。「人は痛みを恐れ、痛みに破れ、自身を殺す。一瞬でもいい、声なき声を黙らせろ、それがお前のあるべき姿だ」先人は固唾を呑んで少年を観察した。次に、自身の右脚に視線を移した。「何度もできることではない…」先人は再度ポケットの中の懐中時計を指でなぞり時間を確かめた。ページの上書きには相応の時を要するため、正確な時間を把握しておく必要があった。
「苦痛と覚醒と…騒々しさと物々しさと…片時の静寂と対揚の声…僕は違う、何者でもない」少年は呟く、その瞳は燐光を帯びている。身体に変化が生じたのに理由などないのだろう、大局を見ればこそというやつだ。誰が言っていた、鶏が先か、卵が先か、解は「同時」に集約される。それだけのことだ。
「目覚めはどうか?そして、お前が何者か教えてやる、俺に付いて来い」先人は安堵し、少年がゆっくりと立ち上がるのを見守った。その足取りに迷いがないことを確認し、ついでに、思い切り蹴り上げたことを謝っておいた。これは、念のためというやつだ。
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