第3話 森閑

Tは少年を発見した。


そこは、かつては都心の中心部であったが、今は影も形もない。『根』の兵器の爆心地であり、発芽したポイントであった。地下50メートル、当然、すべてのインフラは破壊され、光も殆ど入らないため肉眼では何も見えない。採光のために通していたと思われるファイバーから僅かに光が洩れている程度で、人が活動するには道具に頼らざるを得ない環境だった。緊急時の備えとしての設備だろうか、自然エネルギー用のタービンや発電機の残骸が転がっている。元々は、地下鉄や高速道路などが走っていた階層と思われるが、『根』による破壊が加わり、秩序のない空間が拡がっている。柱も折れているが、絡まった『根』が支柱の役割も果たしており、これ以上崩れるということもなかった。遠くの音、近くの音、流水、水滴、『根』の振動が聞こえる。その他に外装の駆動音が反響し、誰に対してでもなく常に私の居場所を示しているようだった。


そのような暗く静かな場所で人が生活しているとは考えにくいが、現にあれは今も徘徊を続けている。容姿としては10才前後の男の子だろうか…その少年は私のことを気にも留めず、当てもなく彷徨っているようだった。レーダーに依る調査の結果、人と呼べるものではなかった。まず、人とは組織の構造が異なる、一部は人間だが、大半は『根』に近かった。但し、形は人間であることから何らかの形で遺伝子を手に入れたものと推測される。少年が望んだ結果が反映されたとは考えにくい。


「あれをゾンビと呼ぶべきか…」Tの知識の中には存在せず、推論からも解が出力されない未知の存在、人間の形をした植物だった。当然、『根』の実験結果のデータは、自ら収集したものではないが、所持はしている。人間との融合といった前例はなく、養分として取り込まれることはあってもそれ以外はない。そして、更に驚愕の事実が判明した。電磁波に依る意思の疎通が確認できた。今この瞬間も、恐らく、少年と『根』の間で数十万回のやりとりがなされている…この短時間でそれだけの往復があった。少年の行動から分析すると、少年が一方的に受信していると考えるのが妥当だろうか。知識の外の存在ではあったが、こちらに関しては前例があるため、そういうものだと認識を改める他に選択肢はない。但し、私の計画には何ら支障はないため、無視すれば良い筈だった。しかし、その程度の応対で有能と数えられるのだろうか…せめて、楔を打ち込む必要はあった。それは手の届くところに居るのだから。


Tは声を掛けてみたが、少年からの返事はなかった。そもそも表層には全く反応が見られない。声が届いているのかすら分からない。しかし、通信量が増大したことを確認したため、そのまま観測を続けることにした。更に数十秒後に反応があった、立ち止まり、顔をこちらへ向けたようだが、この闇の中で見えているとは思えない。となれば、耳の位置を変えたのか、先の声に反応し、位置を割り出すことに成功したのか…何れかと思われた。

Tは再度呼び掛けてみた。言葉は分からないらしいが、今度は返事があった。

「…こんにちは…」少年はぼそぼそと話し始めた。どうやら私の発音を真似たようだ。正確な発音になるにつれ、声量が上がっていく。今までは発声することすら知らずにいたのに…そもそも植物が話せるものなのだろうか。そうであれば、この学習能力は異常である、二回言葉を聞いただけで、一分も経過せずに言葉を発したことになる…計り知れないポテンシャルに、私の鼓動は僅かに早まった。『根』の兵器の本分は別にあったということだろうか…そう捉える他はない状況だ。この少年は今までここで何をしていたのか、そもそも何処から来てここで徘徊するに到ったのか…その答えは組織構成にあった。彼は10年以上前に宇宙より撃ち出された『根』の兵器に巻き込まれて死んだ人間だった。隕石を含め、事故に巻き込まれた人間は数万人はいたと思うが、この少年だけが植物として動いているのか、将又、生かされているに過ぎないのか。だとすれば、選ばれし少年ということになるのだろうか…それ以外の言葉で語るにはどうしても要素が足りない。一抹の不安を解消したが、疑問は尽きない。


「君は誰か?」Tは、到底答えられないであろう質問を投げたが、どのように学習機能が働くのか、その一点のみを計算すべく、少年の返答を待った。

「きみはだれか…」少年は答えたが、その言葉が質問であることを知らない。何となく声の響きが、揺らぎが、先程とは別であると理解したようだが…直後に電磁界に数値の変動が見られた、外装の計器が目まぐるしく反応する。

「僕は誰か…僕に名はない…君は違う、僕と君は違う…」

少年の記憶を起こしたのか、または、『根』を通して言葉を学習したのか、眼前の出来事を疑い、思考に遅れが発生した。答えは後者だった…少年の脳は確かに破壊されていた。あの状態で記憶が機能するとは考えにくい、やはり、今しがた言葉を覚えた上での発言と思われる。

「少し驚いた。君は会話ができたのか?」

「いや、僕は話せない…僕と君は違う…そのことだけは分かった。僕の隣でいつも囁いている。僕は誰なのか…」少年はその言葉を最後に話すことはなくなった。その場に倒れるように座り込み目を閉じ、俯いたまま動くこともなかった。もはや、何も聴こえていない様子だった。通信料も安定している、これが彼にとっての睡眠なのかも知れない。


Tは一通りの調査を終えた。『根』の爆心地から離れ、次の目的地へと向かった。驚きの連続であった、このようなハプニングを目の当たりにしようとは…面白い。私の世界が傾いた瞬間でもあった。目的を忘れ、少年を見守ることにした。彼が世界に出てくることがあるのかは分からないが、少なくとも徒に徘徊することを止めた。「この光の下で見えるその時は『根』の兵器として私と相対することになるのだろうか。尤も、その対策は十分に用意してあるけど」Tは少しだけ笑った。彼女もまた兵器でありながら、人であった。


先人は彼方より彼女が離れていくのを目視した。彼女のレーダーに捕捉されないよう注意を払いつつ、目的地へと歩を進める。

「やはり、こうなったか。俺に教育者が務まるとも思えないが、他にいなきゃやるしかない。どのみちってやつだ…」先人は愚痴をこぼしながら、険しい道を見据える。「こんな道を進むのに時間など数えない、か。結果だけを見ても化け物に変わりはない。俺はやっぱりただの人だな、大義に見合うだけの力もない。この世界は理想を語ったもん勝ちなとこはあるが、どれも時限式だろうから…俺にはその時が訪れるまで待つことしかできない」愚痴は止まらない、隣で鈍く光る『根』の幹を見た、不意にぶっ叩いてみるも殴った拳の方が痛い。ガンと重たい音が響いた。


「やはり悲惨なことになっているな、『根』を制御するには時間が足りず、言葉も足りずってところか。しかし、既にそいつは在るもんだから、とんとんに持っていくにはこれしかないのだろう」先人はバッグから筒型の装置を取り出すと地面に放り投げた。小規模の爆発を起こし、筒を中心に光の粒が拡散した。拡散した光は、先人を中心に隊列を組むように辺りを照らした。歩を合わせるように移動を繰り返す、まるで虫のような振る舞いだが、この発光体は生物ではない。

「ここからあそこまでは数日掛かる。次のフェーズまでの時間はあるが…時間だけはたっぷりあるが…俺の体力が心許ない。だが、今は俺しかいない。あいつがいれば任せられたんだが…どこかで俺のこぼした愚痴も聞いているんじゃないのか?」先人は淡い期待を乗せた呟きは届かない。

「どう考えても返事はないな…」先人は託すことを諦めた。但し、今度会ったときに一発殴ってやろうと、今の自分に誓いを立てた。できるだけ早くその時が訪れることを祈った。「俺に見えて、あいつに見えない。そんなもんはないと思うが、そういう状況下ではないということか、分からんが…」先人は、心配しようにも自身も過酷な状況に置かれていることを即座に思い出し、そんな無駄なもんよりこっちに気を回そうと思った。

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