第2話 始期

目を覚ますとノイズ混じりの光が瞳に飛び込み、汎ゆるものに数値が付与された。また、観点に付随し、数値は常に変動していた。『撰』の兵器として誕生した彼女に名前はなかった。ランダムで選ばれた値である「T」と呼ばれていたらしい。らしい、というのは目を覚ます、誕生するまでの一切の記憶というものが存在しなかったから。彼女のすべては創造されたデータに依るものだった。


「こんな世界だったっけ…」頭の中で最初に浮かんだ呟きは、次の瞬間に巻き起こった情報という名の嵐に掻き消された。莫大な情報が脳内に一度に流れ込み、思考の隅々まで埋め尽くした。例えるならば、数百ものスクリーンにて同時上映されたような煩雑さだったが、どうやらこの程度では問題とならないらしい。十二分に並列処理による演算が可能なようだ。傍から見れば、一瞬驚きはしたものの、決して対象を探らせはしない。その程度の所作に見えたことだろう。しかし、脳内では既に何億通りものシミュレーションを走らせ、現状での到達点の近似値を得ることに成功していた。この場合の到達点とは"開戦"までの準備期間を指していた。

Tは、この過分な変動を繰り返す目まぐるしい光景がプレゼントであることを認識した。これが私に与えられた世界で付随する数値はただ消すために在る、と。思考さえ追いついてしまえば何てことはない。対象の寸法、素材、密度、構造、温度等が目視で認識できるように作られた。また、対象が生物であれば、更に多くの情報を引っ張ることができるが、精密検査となればそれなりのエネルギーを消費することになる。適宜選択する必要はあるが、ほとんどは戦地以外では求められないだろう。


Tに与えられた主題は次の二つで「すべてを詳らかにすること」「出自を隠すこと」であった。

次にすべきことは確認、Tは身に付けていた数億の部品から成る外装を一瞥した。身体を保護するための鎧ではなく、武器としての側面が勝っていた。極小部品が複雑、且つ、密接に絡み合っており、一部パーツを回転させると、連動したパーツが同じようにカタンと回転するように変形を繰り返していく。刃のように単体から成る装備もあれば、複数のパーツを組み合わせて使用する仕掛けもあった。主要なパーツはとしては炉心、ジェット、ミサイル、偵察機のバグ等がある。

砲の照準を合わせるように、変形を繰り返し、イメージと僅かな誤差もないよう慎重に調整をする。戦闘時には秒が惜しい、所作を含むデータを改めて入力していった。所謂、カタログスペックでも戦地へ赴くことはできるが、付与される条件の数がそのまま敗北の条件となり得るから。「内部のパラメータについては、感情が作用している。激情が有効という訳ではなく、非情が優れるということもない。係数が混沌では先が思いやられる…但し、これが事変というだけで何も間違いはない。辻褄を合わせるだけの生に祝福など不要だろうか…」虚構で練り上げたTの精神には何者も介入しない。

一通りの確認を終え、置かれた状況について再考する。この部屋の四方は壁で囲まれており、一面は鏡であった。地下のため窓はない、簡素な寝台が一つあったが、外装があるため横になることは難しい、覚醒した際も外装に支えられる形で直立していた。「この先、私が眠ることはないのだろうけれど…」入力された記憶は常に正解のみを示していた。如何にたやすく目標を得ることができるか、全能の赫灼のみが彼女の存在意義であった。


「時間がない」発声に問題がないかを確かめつつ、まずは全方位への侵略を開始した。

「それじゃ、戦争を始めましょうか」Tはネットワークを介して国内外へ出鱈目な攻撃を繰り返す、対象は問わず、出方を窺うことで推し量れば良い。主要な機関であればそれなりの情報セキュリティが用いられているものだ。あからさまな機関ではなく、個人端末からの専用線を洗い出すのが主たる目的となる。利用できるものは多ければ多いほど望ましい。戦闘であれば、当然、外装より外で完結することが望ましい。意識の外で常人には到達し得ない壁を構築していった。そして、同時に第一の目的地である『根』の爆心地へのルート検索を終えた。


施設内は閑散としており、周囲に人の気配はしなかった。Tには現況に関連する汎ゆる情報を自動で収集し続ける機能が備わっている。図面を解凍し照合、誰かが入力したものか、即時入手したものか、Tには区別がつかないが結果のみを享受することに問題はなかった。図面からこの建物は組立用の施設だったことが分かる、リフトの数や強固な柱が主張している。外装を構築し、速やかに撤退したのだろう。私がこの瞬間に覚醒することは決まっており、また、手綱を締めるということもない。兵器としての自負がそのまま彼らの総意となる。それらは、ねじれの位置に存在するような違和感と共にあり、決して彼らとは交差することも交錯することもない。ある意味では完全な自由であると言える。

Tは地下室から移動し、建物の外に出ると、滑走路を挟んだ対角の建物の脇にあるベンチに人影を確認。丁度200メートルの距離であったため、この銃で問題はない。即時発射、炎に包まれ絶命したことを確認。発射された弾丸は二発あった、初弾で脳を破壊、次弾で全身を焼いた。「火葬である必要はどこにもなかったけど、データは得られた」Tはリストに記載されていた人物と照合し、削除した。「感情の錯綜、ノイズの処理に時を与えるのはAIの演算結果だろうか。美しくはないけど、摂理に数えることくらいはできる…」何を以て斯様な人格を当てたのか、思考は置き去りにされ、一縷も救えない物語。「そう、結末はそのように決まっている」月明かりと残り火と数値で紡ぐ輪光と…象る精神は誰の心性か。


Tは脚の装置を起動した。膕より踵に向かいレールが伸び、バネが沿う形で展開、また、アウトソールより二本の支柱が折れ、支持点を作る。これによってバネの荷重を調整し、誤差のない速度と方向を得ることができる。グラウンド等の条件にも依るが、時速100キロメートル程度の走行が可能で、他装置と組み合わせることで更なる速度を出すこともできる。「これよりルート検索の結果をなぞることになるが、『根』の爆心地では全てのインフラが破壊されているため道なき道を進むこととなる。調査内容としては、保持データの再確認に留まるが、必要な処置ではある」カンっと鈍い音が響き、Tは山間の軍事施設を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る