凍解氷釈

@sig_en

第1話 定説

空から『根』のカプセルが落ちてきた。


三叉の人工衛星に彗星の一片が衝突し、基板の一枚を破壊した。基板は三枚で構成されており、通常であれば制御を失う筈などなかったが、定格をクリアできなかったため"事故"と判断された。間もなく衛星に格納されていたミサイルの一つが誤作動を起こし、宇宙空間に射出された。標的の設定がない場合、ジャイロセンサの補正に従い、基本的に直進する。しかし、そのミサイルは『根』のカプセルが保管されていた衛星を捕捉し、撃ち落とした。発端はそれだけのことだが、誰の意図にもない自体が発生し、結果として、『根』のカプセルは凍という国に落下した。想定し得る中では最悪の結末だった。尤も、想定できた者も存在しなかったというのが定説となっている。


落下したものは三種あった、隕石と天使と『根』のカプセルである。


天使はただそこに在っただけ。天使が予測した時刻に彗星が衝突し、天へと弾いたもののそれだけしかできなかった。衝撃でその身体は大破し、反動のままに大気圏へと落ちた。天使はその先のことを思案したものの、自由の利かない身体に落下以外の選択肢は存在しなかった。重力に引かれ落下速度を増し、目まぐるしく変わる視界の中、摩擦で火の付いた翼をそっと反らした。轟音と共に街に落ちたが、その姿は誰の目にも映らなかった。光は変則的な屈折を繰り返し、その存在感だけを演出した。天使は視覚や聴覚、その他の感覚でも捉えることはできないが、そこに在ったという概念が、事実よりも遅れて、記憶の中で変化を遂げた際に顕現するものであった。或る人の記憶には、雪だるまのような輪郭の柱に四対の翼があり、一対の枝のようなものを持っていた。

ほぼ同時、天使より後に落下してきた隕石と『根』のカプセルが天使に突き刺さり、そのまま貫通し、数キロメートルに及ぶクレーターを作った。凄まじい衝撃の中、天使は残存する意思を集めたが足りず、一部の力場を解放せざるを得なかった。翼は煤のように黒く染まり空へと拡散し、柱からは光の粒が零れ全方位から侵蝕していく、そして、最後にはその姿を保つことを諦めた。そこから先は意思が存在せず、また到達できない領域に塗り替えられた。想いは記憶の投影に過ぎず、そうあるべきと定められたことが解として吐き出されるだけ。何のための存在なのかは誰にも知りえない、時という概念の中にだけ許された存在だった。


そして、『根』のカプセルは恐るべき兵器であった。"紋章"を持つ兵器であり、その威力は非常に強大であった。『根』の兵器とは、簡単に説明すれば金属で出来た植物であり、ただ成長をする過程で広範囲を破壊する。地下には根が貫通し、地表には蔓が走り、空には枝が刺さり、葉は天を割く。ただそれだけの兵器であり、特定の意思を持って人や建物を攻撃する訳ではないが、植物としてのあり方は変わらなくとも危険度は高い。成長するほど、根の数が増すほど、疎通の回数は増えていく。メモリが増設された電子回路のように、比較は容易ではないが、演算能力も爆発的に増すとされる。但し、対象を選択できない点で兵器としては使い物にならなかったため、過去に使用されたことはなかった。

『根』のカプセルは地中深くに刺さり、カプセル部が熱で溶け出した。根はその熱を利用して成長を始めた。根の数が増えるにつれ、成長速度も上がっていく。『根』のプロジェクトが存在していたときの基本理念は地下の破壊であったため、コンクリートや鉄であっても、その成長を阻むことはできない。尤も、対策は取れた筈だったが、未知の兵器を使用されたこと、それを上回る速度で成長したことで失敗に終わった。国として申し訳程度の施策をし、当然のように弁明は繰り返された。『根』の兵器は存分にその脅威を示すことに成功したと言える。そして、十年の月日が流れた。


国民は希望を失いながらも生きるという選択をせざるを得ない。意思は総数で割られることで均一化を果たす、どのような状況下でも個の意思が制限されることはなく、大小に関わらず異端であれば異端として処理がなされる。是非は二の次であったため、慣例の如く物量にものを言わせる結果となった。

但し、水面下では別の動きがあった。軍部の一部機関に於いて、とある計画が始動していた。目的は禁じられた兵器を使用し、過去を清算することであった。その兵器の名を『撰』と言った。遺伝子編集に重ね、演算能力を高めるための電脳化、及び、拡張デバイスとしての各種装備の製造からなる複合的な兵器であった。『撰』を使用することに抵抗はあったが、科学者としてプロジェクトに参加できたことを誇りに思う、科学者の一人が答えたが、発言が漏れた場合は命がないとの自覚はあったため、これを最後に姿を消す予定ではあった。但し、その計画の全貌は非情であった。科学者はこの場では確率に基づく合理のみが解を弾き出すと知っていた筈なのに、何故かこの場と今後を区別している自身を認識できずにいた。その原因は、機構の発足時に遡るが、刷り込みによる認識阻害であった。

最初の犠牲者は内部から出た、これも計画に必要な犠牲であった。国の結晶とも言えるべき兵器の一つ、誰の手にも負えない存在となっていた。果たして、プロジェクトの参加者で生き残った者が何人いるのか答えられるものはいない、関わったものは数千人はいたが。目的を知らされずに参加した者が大半ではあったが、とあるリストには全ての名前が記載されていた。この機構に名称はなく、元は同士であったが、指揮系統は存在した。しかし、そのリストには分け隔てなく名を連ねていた。自負があるからこそ、須くそのような判断をした。自分たちがどのように判断され、若しくは、死ぬべき存在であったのか、まるで神と対峙するような心境であったのだろうと予測できた。他に、傍観者も存在した。プロジェクトの参加者には含まれないが、全貌を知る者。書記はすべての時代に存在し、今回もまた望まれない仕事を押し付けられたのだった。


「世界樹?あれが?それはない、エグい筍みたいなもんだ。但し、それだけの情報量では見合わない、説明できない"欠片"が存在するのは確かだ。実際、俺も最初は尺度を疑ったくらいだ、そんなことはこれまで一度もなかった。いや、三度ほどあったか…仕事外でのことだが。まぁ、それについてはどうでもいい。とにかく、測量込みで記録した結果、情報量の乖離を確かめた、というそれだけの話なんだ」書記はいつものように気怠そうに話す。

「それこそ欺瞞ではないのか。欠片なんてもんは存在しなかったと仮定すりゃ話は変わるってだけなのでは?」先人は興味がなさそうに返した。単に否定することで、相手の気分を盛り上げようとしただけなのかも知れない。「ところで、『撰』についての記録はそれしかないのか?」

「うーん、さっき話した通りだ。そもそも俺が専任って訳ではないし。まぁ、洗脳されりゃ得てして幸福度は増すもんだが、あれはどうだったんだろうか…」答えはあっても、書記は言葉を濁した。その先は言わずもがな、単にイメージを揃えるための発言だった。

「結論は今見ているものに近いか、同じだろうが、彼女の行く末は見届ける必要がある、そう考えられないのか?と言っても、一定期間で構わないのだが」先人が答えた。「ところで、お前の記録とやらを見たことはないんだが、それは私情を挟んでいるものなのか?」

「俺の場合、書記と言っても紛い物だからな。但し、それとは別で、寧ろ、私情ありきでなきゃ基準を満たすことはないだろうからな、一度の過ちで俺は立場を失うだろう」書記は草臥れた体を起こしたが、目に飛び込んできた陽があまりにも眩しくて、打ち負かされたような動作で元の姿勢に戻った。「とりあえず、俺の仕事はここまでだ。この先にはちょっと興味ないかな。つい今しがた、別の仕事が飛び込んできたってのもある。まぁ、『根』も『撰』も通常は紋章兵器には数えないと思うがな、時代が変わりゃ基準も曖昧になり、それぞれということか…という訳でこれ以上の話で得られるものはない、ここらで解散としよう」書記は仰向けのまま片手を振った、帰れという意のジェスチャーだった。

「その点には同意する。だが、視点を弄ればその可能性はあったということことに他ならない、単に未完成というだけで。さて、手順さえ間違わなければ、この地点で再び見えるだろうか、時間までは読めそうにないが。尤も、この地に何があるのかは知らんが、大抵のもんはそうなっているってことか」先人は手の甲でコツコツと二度ベンチを叩いた。「さて、俺は凍へ向かうとしよう」互いに独り言のような会話を終えた。先人はあるべき姿を追いかけることのみを考えており、書記はすべてがどうでもいいと思っていた。互いに顔見知りではあったが、協力関係にはなかった。目的は合致する部分があるため、それぞれが思うように動くのみでも悪い結果になることは少なかったため、互いに認めていた。

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