第24話  王国の危機Ⅰ

「それで、急に帰って来たのは、例の妖精狩り達の事があったからでしょう?」

 ぼんやると大樹の元で寝転がりながら、揺らめく水の天井を眺めていたヴィーに声を掛けたのは妖精女王。

「ああ、うん。この近辺で妖精の目撃情報は無い。だけど、もしもどこか僕達の知らない村が襲われて逃げて来た妖精達が居るんだったら、何としてでも保護しなければ…ってね」

 陽の光を柔らかく通す村の天井から視線を外す事無く、ヴィーは答えた。

 当たり前だが、ヴィーは妖精女王が近づいて来ていた事は分っていたし、また女王も気付かれてない…などとは思っていない。

「私も知己の女王には連絡したのだけれど…妖精の村が襲われたって情報は誰も持ってなかったのよねえ…」

 そっとヴィーの側に腰を下ろした女王は、妖精女王同士の情報網にもその様な情報は無かったと伝えた。

「だろうねえ。きっと、かなり遠くの…そう、例えば国境を跨いで隣国とかの妖精なのかも…」

 先程から表情は全く変わらないヴィーではあるが、その内に激情が滾っているのを妖精女王は感じていた。

 普段からあまり表情を表に出さないヴィーではあるが、その目だけは如実にヴィーの心情を表しているのを女王は知っている。

「そうねぇ…私も知らない妖精達かもしれないわね」

 ヴィーと同様に天を仰ぎ見ながら、少しだけ寂しそうに呟いた女王が、次には優しい眼差しをヴィーに向けて続けた。

「それで、またあの時の様な事が起きるかも…って考えてたの?」

 水の天井から、柔らかな笑みを湛えた視線を妖精女王へと移したヴィーは、

「そう…」

 一言だけ返した。



 それは、今から2年と少し前の事。



 その日の昼過ぎ、マイラフ国王はいつまでサインしても終わらぬ書類の山を見つめながらも、執務を続けていた。

 何を決済するにも書類が必要であり、内容の精査・確認は各局で行っていはいる。

 書類の確認自体は、そんなに難しい仕事という訳でもないのだが、とにかく非常に疲れる。

 具体的には、夕方にはカップすら持ち上げれぬほど首から肩にかけてと手首が痛む。

 これも年のせいとは思いたくもないマイラフ国王であったが、それでも書類の山を見れば嫌にもなる。

 

 そんな時、内務大臣が軍務大臣を伴い執務室に数枚の書類をもってやって来た。

「お主等、また書類を増やすつもりか? わしの手を使えんようにして、何を企んどる?」

 たまには文句の一つも言ってやろうと思ったが、そんな国王の言葉などに意に介さず軍務大臣が書類をつき付けた。

「陛下、ギルドより危急の報告です。読んでください!」

 よく見ると2人とも顔色が若干悪い。

「ふむ?」

 別に決裁書類でないならと目を通し始めた国王は、その内容に絶句する事になった。


 オーゼン王国の南には広大な未開拓の森林がある。

 その森林より、見渡す限りの大地を埋め尽くす、数千にも及ぶ大グモの群れが王都を飲み込む勢いで近づいて来ている。

 それがギルド本部よりもたらされた報告書だった。


 執務などしている場合ではないと、内務・軍務及び主要な官僚たちとギルドの代表者などを緊急招集し、この未曽有の魔物の進行への対策会議を王城で執り行う事になった。

 謁見の間に机と椅子が次々と運び込まれ、全員が席に着いた所で、

「これより大グモの氾濫への緊急対策会議を行う。この場での礼儀は一切不要じゃ。王国の危機ゆえ、忌憚の無く具体的かつ実効性のある案を出して欲しい」

 国王が招集した面々を見回しながら、声を張り上げた。

「まず報告書を提出したギルド本部長のエルリス、現状の説明をして貰う」

 呼ばれたのは、金髪の美しいスラリとした森人種の女性だった。

「まずは報告書をみなさんご覧ください。時系列順で説明いたします。3日前に南から東方面の各支部より、森の中で大量の大グモを発見。数匹を狩ったものの、森の奥よりその数が増え続けたたため撤退。図を見ていただければわかるかと思いますが、ギルドの東と南の管轄の中間点で起こった事件でした。ギルドでは即座にこの情報を共有し、見張りを各支部より出して大グモの動向を観察。群れは主に南の草原に向かって移動していました。この時点で確認できた大グモの数は200前後です」

 一息でここまで話すと、全員が報告書を読み終えるのを待った。

「そして昨日夜、通信の法具を持たせた見張りより、南から東にかけたの森の辺縁に、さらなる大グモの群れを確認。徐々に森から出て王都方面に向かって他の群れと合流しているとの事。この時点で確認できたのは、総数約400。今朝では、その倍以上に数は膨れ上がっています。まだ走り出していないので時間はありますが、走り出した場合、王都まで3日もかからず到着するかと思われます」

 そのあまりの数と対応するための時間の短さに、集まった者は絶句した。

「王都を放棄して逃げるにしても、10万人にも及ぶ市民の安全な避難先はございませんし、時間もありません。このまま大グモが侵攻を続けた場合…王都は…」

 そこまで話すと、俯きストンと席に崩れ落ちた。

 

「聞いた通りじゃ。もう時間が無い。何か妙案はないか?」

 国王の言葉に、誰も言葉を発せなかった。

「軍務大臣よ、このような時こそ、お主等が意見してくれねば!」

「陛下…畏れ乍ら王都に駐留している衛士総動員しても2千500。大グモを倒すのに、1匹に付き5~6人は必要でしょう。ギルドの狩人も数に入れても、当方の数は4000にも満たないはずです。しかもこれは1対4であたれる平時の場合です。群れであればこの数倍の人数で1匹にあたりませんと、後ろから襲われます」

 軍務大臣は拳を握りしめ、見るからに力が入る体で震えながら答えた。

「勝てる見込みがありませんし、もうあまり時間もありません。市民の避難を優先し、我軍は一命を賭して殿を勤めます」

 悲壮な意見に、場は騒然となる。が、その意見が間違いだとは誰も言えなかった。

 人種のおよそ3倍ほどにも大きくなる大グモは、獰猛で肉食であり、その8つある目に死角はない。

 動きは非常に素早く、その表皮は剣をもはじくほど強靭。

 それが数匹だけでなく数百もの群れともなればは、もはや絶望的だ。

「…わかった。市民を北の海と西の皇国方面にすぐに避難させろ。衛士達の半数を東から南へ展開。すぐに動け!何としても民を守るのじゃ!」

 マイラフの言葉に、今まで一言も発しなかった面々も顔をあげ、即座に行動に移した。

 打つ手がない、勝てる見込みも無い、逃げ切れる保障もない…希望もない会議であった。


 国王は執務室に戻ると、皇国への通信の法具を取り出し皇帝へ避難民の受け入れ要請を行った。

 西の大国であるハーデリー皇国の女傑パウリーナ皇帝は、その報を聞き快く引き受けを了承し、皇国軍の派遣も提案した。  皇国としても対岸の火事と笑ってはいられない。

 もしも群れが"エサ"を喰い尽くした場合、より大きな"餌場"に向かってこないという保証はないのだから。

 マイラフ国王は丁寧に礼を述べ、王国から皇国へと伸びる街道に国境を越えて真っすぐに入ってもらう様、重ねて請願した。

 国境の関へと葉や馬を出せば明日には連絡が付くが、非難する市民達の足では関まで数日はかかる。

 皇国からの援軍が、今から急いで出立したとして、一体何日で到着するか。

 国王の頭の中には、この国が全滅する未来しか見えなかった。


 そう言えば、東の森も危険なはず。

 妖精達にも知らせねば。

 人目を避けて、度々妖精の村でしか採れない貴重な薬草や妖精女王の言伝をもって遊びに来る、あの可愛らしい妖精のためにも、この様な重大な危機は知らせておくべきだろう。

 国王は、古くからの約定に基づき所有していた、通信の法具を使い妖精の国に連絡を取った。

 事の詳細を聞いた妖精女王は、

『大グモの大軍ね…400? 800?。いいわ、私の息子…いいえ、騎士をあなたに預けましょう。千匹程度でしたら、私のかわいい騎士1人で殲滅できるはずです。…ぃけるゎょね…うんうん、そう…うん…。マイラフ国王よ、安心なさい。妖精女王である、この私の息子 " Knight of the Fairy Queen、Vee " を派遣します。明日の昼過ぎには着くでしょう。皆にそう伝えなさい。避難は必要ありません』

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