第25話  王国の危機Ⅱ

 妖精女王との通信を終えたマイラフは、何を言われたのかさっぱり意味が分からなかった。

(妖精女王は、何を言っとるのだ? 妖精女王の息子? 妖精女王の騎士? そんな者が居るのか? そんな者の話など、は今まで聞いた事もないぞ。それに、大グモの大軍に対して派遣するのが1人? 女王は大グモを知っておるのか? 明日の昼には着く? 馬鹿な、どうやって? 早馬であっても無理な距離だぞ? 避難は必要ないとは、一体どういう事だ? そもそも数百程度とか言ってなかったか? 大グモに対する秘策でもあるというのか? 呪術でも使って何か出来るとか言う方が真実味があるぞ…?)

 真っ暗な執務室で、マイラフの頭の中は、ひどく混乱していた。

 疑念が晴れぬまま執務机に目を落とし、そういえばサインをしなければいけない書類が溜まってたな…なぜかそんな事を考え苦笑した。

 

 バンッと乱暴に執務室の扉が開かれたのは、そんな時だった。

「陛下! 大グモが走り出しました! 群れは予想通り、明日の昼過ぎから遅くとも夕方までには王都に届きます!」

 終わった…我が王国は、ここで終わりだ…マイラフはがっくりと項垂れた。

「大臣よ、避難は?」

「時間的に西への避難は取りやめさせてます。大グモにあたる可能性がありますので。避難は北門から海へと向かって進めております…が、さすがに全員は厳しいかと…」

「わかった、市民を優先しろ! 一人でも多く逃がす! 全衛士並びに狩人には南門を守るように通達! この街を盾にしてでも時間を稼ぐぞ! 城の武器も食料も全部出すのじゃせ! 我が民を守るのだ!」

「はっ! それでは陛下方も避難のご準備を…」

 内務大臣が国王一家の避難を促すが、マイラフは毅然とした態度で、

「わしは王じゃ。この国と民に責任を持たねばならぬ。妃と子達を逃がしてくれ。なに、わしもまだ戦える。大グモの1匹でも道連れにしてやるわい」

  内務大臣は、その言葉に昔を思い出した。

 

 一衛士として訓練を重ねて来た若かりし頃の国王…いや、その頃はまだ王太子だった。

 ただ民を守る為、国を守る為だけに日々磨いた剣技。

 今は、国の重鎮と成りはしたが、当時は側仕えとしてよく一緒に訓練させられたものだ。

 ああ、こんな人だったな…と、大臣は当時を思い出し、

「では私も久しぶりに、槍を持つとしましょうか。最近デスクワークばかりで、運動不足で方がコリ気味だったのですよ。ちょうどいい運動になりますな」

 そう言って、ニヤリと笑った。

「景気づけに一杯やるか。そうじゃ、あの筋肉馬鹿も呼べ! どうせあいつも残るじゃろ?」

「そうですな。では呼んでまいります。ああ、王妃様達には、お早く準備をとお伝えください」

「うむ、わかった。では後程な」

 軍務大臣を筋肉馬鹿というぐらいには、2人共仲が良かった。

 

 王の居室では、一家が揃っていた。

 みな一様に口を閉じ、マイラフの言葉を待った。

「もう聞き及んでいると思うが、避難の準備を始めてくれ。皆、北の海へ向かう様に」

 王妃は国王の言葉を正確に理解した。

「向かってくれという事は、あなたは残るのですね?」 

 王太子と王女も、無言でマイラフを見つめる。

「ああ。わしは残る。一兵でも欲しいからの。まだまだ戦えるわい」

 豪快に笑って見せたが、もちろん勝ち目など無いのは分かりきっている。

「さあ、時間が惜しい。お前達は避難の準備をして朝までには城を出るのじゃ」

「「あなた(お父様)、私は残って戦います!」」

 王妃と王女の言葉が重なった。

「お前達、何を言い出す…」

「何を? ではありません! あなたは私の剣技を忘れたのですか?」

「そうですお父様! 私の剣技であれば、十分な戦力になるはずです!」

 王妃と王女も、共に残るという。

「いや、しかし…」

 マイラフが何か言い淀んでいると、

「ヴェルナンド、あなたは逃げなさい。あなたさえ無事であれば、オーゼン王家は再興できます。良いですね、必ず逃げ延びるのです!」

「そうです、ヴェルナンド! 私は王国の剣になると、幼少より剣技を磨いてまいりました。ですが、貴方は生きるのです!」

 ジェーン王妃とアメリア王女が、共に王太子ヴェルナンドに向かって叫んだ。

 それを聞いたマイラフは、思わず天を仰いだ。

 少しでも気を抜くと、その目から涙が零れ落ちそうになったからだ。

「ジェーン、アメリア、2人共本気なのじゃな?」

 天を仰ぎ見たまま、マイラフ国王がそう言うと、2人は黙って頷いた。

「わかった。ヴェルナンド、お主はすぐに北門へ向かえ。王家の血筋を絶やすわけにはいかぬ。何があろうとも、絶対にじゃ!」

 マイラフの言葉に、ヴェルナンドは自分の不甲斐なさで涙が溢れた。

 生来の虚弱体質の王太子は、誰かに守られねば生きてはいけぬ。

 家族は自分以外、揃って死地に赴くのに、自分では足手まといになってしまう。

 それが悔しくて悲しくて、病弱な体を呪って、一緒に戦って死ねない事が苦しくて、もう二度と会えないかと思うと辛くて、涙を止めることが出来なかった。

「いいですか、ヴェルナンド。苦しくても辛くても生きて血を残す事が、あなたの…いいえ、我等王族の使命なのです。私たちは命を賭してあなたを生かすのが使命。人にはそれぞれ役目があるのです。それを理解しなさい」

 王妃がその豊満な胸に王太子の頭をかき抱きながら、諭す様に優しくも厳しい言葉を掛けると、王太子は黙ってそれを聞いた後、しっかりと王妃の背に手を回して抱きしめた。

 そして、しっかりと大きく頷き涙を拭くと、全員の顔を目を正面から見て、

「…皆様、ご武運を」

 そう言うと、王太子は後ろを振り返らず、しっかりとした足取りで王家の居室から出ていった。


「うちの女共は、怖いのぉ…」

「あら、何か仰いまして?」

 マイラフの言葉に、王妃がにっこり笑いながら答えると、

「誰よりも強いし怖いし頑固だし…だが、誰よりも優しくて美しいと思ってな」

 マイラフの言葉に、王妃と王女は顔を見合わせて笑った。

「では準備を始めましょうか」

 力強い王妃の言葉に、国王と王女は黙って立ち上がった。


 夜も大分更けて来た。

 王都のあちらこちらで篝火が灯り、多くの市民が北門へと避難の為に列をなし並んでいた。 

 周囲を囲むの衛士達によるものなのか、それとも迫りくる恐怖によるものか、はたまた己の行く末に絶望しているからなのかどうかは分からないが、特に声を荒げる様な者もおらず、粛々と列をなして北門から王都の外へと歩みを進めていた。

 暗い夜空に輝く星々が朝焼けの中に消え、眩い陽が中天に上った時、それが大グモとオーゼン王国との決戦の時だ。

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