第3話 悪魔

 悪魔だから異形と言うのは軽率極まりない。異形と言うならば天使とてそうではないか。形容詞が冠につくのだ。悪魔とは醜悪な異形とな。だが、それは単に識別をしやすくするために記号でしかないだろ。悪魔から見れば、いやそれこそ天使からすれば、人間こそ異形に見えて仕方ない。

 そもそも人はなぜ我らのことを悪魔と呼ぶのだろうか。心に巣くった悪魔のせいで、と人は己の行為が非合法とか非道徳的とかになった場合には、それを悪魔のせいにするが、そんなの我らの知ったことではない。悪魔とは何たるかを知らないくせして、残虐な行為は人ならばしないなどと、まるで人類というのは人のことは十全に知っていて、人の知らないようなことをしでかしたからそれは人の行為ではないと、なんともなあ屁理屈こくわけだ。なんたる醜さ、まさに悪魔だな。そうさ人は悪魔さ。違うって? ああ、そうか。違うさ。ちょっとした冗談だ。こっちから願い下げだ。我らが人なんぞと同じなんだだと言ってられるかってんだ。

 けれども、その愚昧な人とはいえだな、醜さがあるからこそ、残虐な行為をするからこそ、賢俊であろうとする、美を求める、清廉潔白な行為をしようとする。偽善だ、ああ、すばらしい、偽善こそ人間が取るべき美しきありようではないか。そうだ、偽善を行え、そうであればこそ、神は人間に憐れみを施すだろう。偽善を行う人だからこそ、我ら悪魔は人をたぶらかすことはしないだろう。愚劣な、醜悪な、残忍な人間などはびこっていては支配などできないではないか。高潔な、美麗な、高邁な人間などはびこっていては支配などできないではないか。それらが戯れるシーソーの間でバランスをとる人間、どっちかに動こうとしてつんのめりながら、また戻ろうとする人間、そうだからこそ支配する価値があるんじゃあないか。すばらしい! 偽善たれ、人間よ。そうだ、君が理解したとおりだ。そんなことを言うならば、すでにもう人類の歴史が悪魔によって支えられてきたではないかと、その通りだ。神は? といまさら言うのだろうか。神はいるではないか、愚昧にして賢秀、醜悪にして美麗、残虐にして高邁な人間を高みから見つめているではないか、そして憐れみを施しているではないか。神の慈悲は既に与えられているではないか。偽善を行う人間に、だ。偽善を行う人間だからこそ、神は慈しむのだ。悪魔が神を語るな、などと感情的になってはならない。君は人ではない存在の意見こそ傾聴すべきと思っているからこうして話に乗ったのだろう?

 さて、長話になってしまった。君に考える時間を与えよう、おっとこれは失礼。与えるなんて悪魔たる我がなんと傲慢に申してしまった。いずれにせよ、君の考えがまとまったら、呼びかけてくれたまえ。

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