第2話 田中、食卓を囲む

「ほら! ちゃんと婚姻届なるものも用意したぞ! これにサインしろ!」

「だからしないって言ってるだろ! 離せ!」


 無理やり結婚を迫ってくる姫様を、力づくで離す。

 まったく、婚姻届の存在なんてどこで知ったんだろうか。足立かそれとも視聴者あたりとは思うが余計なことを……。


「むー! よいではないか、わらわがこんなに頼んでいるのだぞ!? ケチ!」


 駄々をこねるリリシア。人前だと姫様らしく毅然とした態度を取る彼女だが、事務所の中だと大きな子どもだ。すっかりここを自分の家だと認識してるんだろう。

 それ自体は嬉しいことだ。異世界から来て心細い思いをずっとしていたら可哀想だからな。


 しかし……それの相手をする方は楽ではない。

 こんな風なことを配信やSNSで言ったら嫉妬に狂った彼女のファンに炎上させられそうだが。


「なんで結婚してくれんのだタナカ!」

「何度も言ってるだろう? 俺とお前は出会ったばかりだ。結婚なんて早すぎる。それにお前にはまだ国籍もない。婚姻届を書いたところで役所が受理してくれるわけないだろうが」


 俺はそう言って彼女が持つ婚姻届を指差す。

 名前の欄にはたどたどしく「りりしあ」と書かれている。どうやら文字も勉強中みたいだ。


「ぐぬぬ、わらわはまだ諦めぬからな」

「頼むから少しは諦めてくれ……」


 俺は今までポケットで大人しくしていたショゴスのリリをテーブルの上に置きながら答える。

 俺だって男の子だ。リリシアみたいな美人に求婚されて、嬉しくないわけがない。彼女がいい人だってことも知っているし、一緒に生活していることで情も湧いている。


 だけどだからといって「はい結婚します」とはいかない。

 俺たちを取り巻く事情は複雑過ぎる。それにリリシアだってこの状況で混乱しているだけかもしれない。元の世界に戻れるとなったら、その時も気持ちが一緒かは分からない。

 一時の気の迷いかもしれないプロポーズを受ける訳にはいかない。


「リリシアちゃん。あまり田中さんを困らせちゃダメですよ」

「うう……ホシノまで……」

「はは、俺は応援してるぜ姫さん。姫様と結婚したとなったら兄貴にも更に箔がつくからな」


 ダゴ助がそう慰めるが、リリシアはしょげたままだ。

 不憫ではあるけど、だからといって結婚するわけにはいかない。そんな理由で結婚を決めてしまったらリリシアにも失礼だ。


「じゃあ準備ができましたし、ご飯にしましょう! 今日も腕によりをかけて作りましたよ」


 星乃が言うと、リリシアとダゴ助が席につく。テーブルの上のリリも自分の皿の前に行く。

 テーブルの上には栄養バランスがしっかりと考えられた食事が並んでいる。星乃の料理の腕は確かで、リリシアとダゴ助もすっかりその味を気に入っている。


「へへ、姉さんの飯は今日も美味そうですね。いただきやす!」

「ぬわ!? おいダゴ助、それはわらわが食べようとしていたのだぞ!」

「リリシアちゃん、慌てないでもまだありますから!」


 騒がしく食事に興じる一同。リリシアはまだ上手く箸が使えないのでフォークを使っているが、ダゴ助は意外にも器用に箸を使って食事をしている。

 この光景も最近は見慣れてきたな。

 異世界人の二人がこっちの食事を気に入るかは少し不安だったけど、それは完全に杞憂だった。仕事で忙しい天月と凛の代わりに星乃がよくご飯を作ってくれてるのだが、二人はそれをいつも美味しそうに食べている。


 二人が星乃のいうことをよく聞くのは、胃袋を掴まれているからという理由も大きいだろう。まあ俺もその一人なので二人のことをあまり言えなくはないのだが。


「あ、田中さん。テレビのリモコンを取っていただいていいですか?」

「ああ、俺がつけるよ。ニュースでいいか?」


 俺は星乃にそう答えると、テーブルに置かれたリモコンを取りボタンを押す。

 すると空中に画面が出現し、ニュースが流れ始める。足立の交渉のおかげで事務所には最新型の空中投影機が置かれている。かなり画質がいいので休日は家で映画を楽しんだりもしている。ここでの暮らしは快適だ。


『――――先週の上野に続き、今日は秋葉原にも新しいダンジョンが出現しました。今週に入って新しく生まれたダンジョンは四つ。日本ではなく海外でもダンジョンの出現頻度は増しており、不安の声が広がっています』


 テレビ画面ではアナウンサーが真面目な顔でニュースを読み上げている。

 また新しいダンジョンができたのか。仕事には困らなそうだけど、こうもぽんぽん増えると不安だな。ダンジョンが増えれば魔物災害が起きる確率も上がる。それに天月たちもあまり帰ってこれなくなってしまう。ほどほどにしてほしいものだ。


「いやー、このテレビってのは便利ですねえ。俺の住んでたところにも似た物はありやしたが、一部の上位者しか使えませんでした」

「エルフと人間には似た物もなかったぞ。向こうの世界に戻ることができたらぜひ再現できないか試してみたいものだ」


 ハムスターみたいに口の中に食べ物を頬張りながらダゴ助とリリシアが言う。

 二人ともすっかりこっちの文化に夢中で暇さえあればスマホを触っている。こっちの技術を向こうに伝えていいのかという懸念はあるが……まあ少なくとも世界同士の移動手段が分かってない今、考えるだけ意味はないか。


 こっちの世界もこっちの世界でダンジョンから恩恵を得ているしな、などと考えながらテレビを見ていると。


『――――ここで緊急速報です。先ほど都内を走行中の特殊護送車が何者かの襲撃を受け、護送されていた特別受刑者が逃走した模様です』

「……なんだって?」


 流れてきた物騒なニュースに、俺は眉をひそめる。

 特別受刑者、それは犯罪を犯し刑に処される『覚醒者』を意味する。


 モンスターを倒すことのできる覚醒者は、当然ながら普通の牢屋で捕らえておくことはできない。そんな事しても手錠を壊し、壁を壊されて逃げられてしまう。

 だから覚醒者の犯罪者は、それ専用の特別収容施設に入れられるのだが……どうやらその途中で逃げられてしまったようだ。


 覚醒者を護送する特殊護送車には覚醒者の警備がつくはずだけど、いったいどうやって彼らを退け受刑者を逃がしたのだろうか。


「田中さん……」

「大丈夫だ。都内と言ってもここの近くじゃないし、ここは安全だろう」


 不安そうな目をする星乃にそう諭す。

 俺たちの事務所は魔物対策省の敷地内にある。よほどの馬鹿じゃなければここを襲おうなんて奴は現れないだろう。

 とはいえ早く捕まってほしいけどな。いったい誰が逃げ出したんだ?


『――――特殊護送車から逃げ出したのは、元黒犬ブラックドッグギルドの社長、須田すだ明博あきひろ。現在活躍中の配信者、田中誠さんの元上司としても知られています』

「……え?」


 思わぬ名前が耳に入り、俺は固まる。

 見れば星乃も目を見開いて驚愕している。なにも知らないリリシアとダゴ助はきょとんとしているが。


「おいタナカ、今テレビで名前が呼ばれたぞ。人気者だな」

「さっすが兄貴! 時の人ってやつですね!」


 意味を理解していない二人は呑気にそんなことを言う。

 俺はこの場で唯一俺以外に事態を理解している星乃に視線を送る。


「田中さん、この須田って人って」

「ああ、面倒くさいことになりそうだな……」


 俺はテレビに映る、二度と見ることは無いと思っていた元上司の顔を見ながらため息をつくのであった。

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