第9話:結婚を断ったら、女上司がヒモにならないかと迫ってきた
——だからさ、湊くん。養われてよ、私に。
言われた内容を瞬時に理解できなかった。
何度も頭の中で反芻させ、発言内容を噛み砕き、それからやっと返答を出せた。
「嫌です、誰が養われるなんて」
「安心して。全部私に任せていいから!」
「葉月さんに任せるのが怖いんですよ!」
「怖がらなくて大丈夫だよ。安心安全!」
「安心安全を謳うのは詐欺師だけですよ」
聞き分けの悪い後輩を持つ葉月美乃梨は、唇を尖らせた。「全然話聞いてくれないね」と悲しげな表情を浮かべつつ。
「三食昼寝付きの生活を保証するよ。間食もOK。トイレとお風呂も自由。家事もしなくていい。ただ、息を吸って、家に居ればいい」
「トイレとお風呂も考慮に入れてる時点で、危険な香りがぷんぷんするんですけど……」
「なら、週に二、三回ぐらいに減らす?」
「風呂はまだしも、トイレは無理ですよ」
「でしょ? なら文句は言っちゃダメだよ」
三食昼寝付きに間食あり。
トイレお風呂自由。
憲法が定める健康で文化的な最低限度の生活とやらに、ギリギリ入るぐらいだろうか。
「で、養われる立場の条件は何ですか?」
「湊くんには、私の家に居てほしいだけ」
「それだけ……?」
「うん。湊くんを独り占めしたいだけなの」
家に居るだけで養ってもらえる。
必要最低限の生活が送れる。
それは大変嬉しい話なのだが……。
「葉月さん。それって監禁ですよね?」
「監禁じゃないよ。湊くんが自分からその生活を選ぶから。私は強要も脅迫もしない。湊くんがその生活を求めるだけだから」
「俺が求める……? ありえませんよ」
監禁生活なんてバカバカしい。
自分の好き勝手に動けない。自分の意思で動けないなんて、終わっている。
自由を奪われた人間は——。
「自由を奪われた人間は家畜以下だっけ?」
全てを見透かすように、美乃梨は呟いた。
「ど、どうしてそれを……?」
「覚えてないの? 湊くんが教えてくれたじゃん。二人の記念日に。過去の過ちを」
二人の記念日?
酒を飲んで悪酔いした日のことか?
あの言葉が出るってことは……まさかな。
あの日に過去の話をしたのか。
今でも何度も夢見る世界線のことを。
「湊くん、私はぜ〜んぶ知ってるよ」
「………………」
「また書きたいんだよね、
「………………そうですか、バレてますか」
大卒で入社して三年目。
仕事に打ち込み、他を圧倒するスピードで結果を出し続けるモテ男——間宮湊。
出来る男と評判の彼は、毎度の如く、女性社員の噂話に出てきては、歓声を沸かす。
しかし、そんな彼には秘密があった。
「湊くんは官能小説が書きたいんだよね」
「はい。まぁ……そうですねぇ」
間宮湊は目を細めて、遠い日を思い出す。
心の奥底に留めた過去の記憶を。
◇◆◇◆◇◆
大学生活は有り余る時間を如何に使うかが、問われる期間である。勉学、恋愛、バイト、サークル、何にでも時間を投資できる。
そんな中、間宮湊という男は、有り余る貴重な時間をゲームに捧げた。それも、エロゲーというマニアックな世界へと。
エロゲーというジャンルは、紙芝居だと罵られることが多いし、一般的知名度は極めて低く、大半の人間からは疎まれる存在だ。
だが、漫画やアニメでは体験できない興奮が。情熱が。魅力が。素晴らしい作品を作ろうと奮闘するクリエイターの熱量があった。
純文学の世界に足を踏み入れれば、文豪の名を得られたはずの作家が書き残したシナリオ。生まれた時代が違えば、国宝と評され、美術館に提示されてもおかしくない神絵師たちが描いたイラスト。時代を問わず受け入れられ、人々を熱狂させ、ときに切なくさせ、そして号泣させる楽曲。
当時大学生だった間宮湊は、天才たちが生み出した作品の数々に心を奪われた。次第に、自分自身でも作りたい欲が湧き、サークルを立ち上げた。仲間を掻き集めて、ゲームを作り、コミケに参加した。最高だった。
そして、大学四年生、就活が訪れた。
第一志望の会社は、自分の人生を変えてくれたソフトを開発したゲーム会社。
内定を貰った。同人界隈でも有名な書き手になり、少しずつ才能を開花させていた。
ここで自分は憧れの人たちとゲームを作るんだと思っていたのだが……。
『はぁ? 何言ってんだ。ゲーム? それもエロいゲームで金を稼ぐだと? お前を何のために大学に行かせたと思ってんだぁ? あぁ? お前をな、立派な大人に、立派な社会人にするために、大学に行かせたんだ』
両親に猛反発された。
人様に言えない。自分の息子がエロいことでお金を稼ぐなんて、誰にも言えない。
『俺たちはな、お前を遊びに行かせるために、大学に通わせたわけじゃないんだよ。お前が真っ当な人間になって、少しでも世のため、人のためになる職業に就くためにだな』
一族の恥晒しだ、とまで言われた。
父親は激昂し、母親は隣で号泣だった。
二人の姿を見ていると、だんだんと申し訳なさが込み上げてくる。
高い学費を払った結果、一人息子が一般的に名も知られていないゲーム会社。それもエロゲ会社へと入り、未成年にしか見えない女の子が犯される様を文字起こしするのだ。
『大体だな、その会社は何だ。給料はどうだ? 福利厚生は? 休みは?』
憧れの会社で働きたかった。
だが、給料は安いし、休みも少ない。更には、福利厚生も悪い。やりがいはあるかもしれないが、未来ある若者が己の人生を捨ててまで賭けるほどの価値はなかった。
欺くして、間宮湊は専門商社へ入社した。
夢だったゲーム会社のシナリオライターとしての道を捨て、お金を稼げる営業マンへ。
同じサークルに所属していた人たちは、憧れのクリエイター職を続けており、才能溢れる人たちで溢れる厳しい世界で戦っている。
時折、彼等と飲みに行くこともあるが、毎度のことながら、後悔の渦に苛まれた。
辛い辛いと言いつつも、満面の笑みを浮かべ、輝いた瞳で業界の話をする彼等を見て。
——あぁ、自分もこうなりたかったんだと。
ただ、一度決めた人生は変えられない。
過去を悔やんでも意味はない。
そう思い、湊は仕事に打ち込んだ。
判断は間違ってなかったと。
見誤ってなかったと。証明するために。
だが、しかし——。
営業成績が伸びても、上司に褒められても、社内で表彰されても、嬉しくなかった。
そうだ、間宮湊は見誤っていたのだ。
悪魔の囁きに動揺され、人生を変えてしまったのだ。あのとき、瞳に狂いがなければ。
——心が満たされる生活を送れていたのに。
◇◆◇◆◇◆
「おーい。聞いてるか〜い?」
葉月美乃梨は手をぱたぱたと振っている。
ぼぉーとしてて、全く気付かなかった。
ピクッと動く湊を見て、美乃梨は微笑む。
「もうぉ〜。一人で考え事はよくないよ」
「ちょっと過去を思い出してまして」
「やっぱり未練タラタラなんだねぇ〜」
「そ、それは……ま、まぁ……はい」
一度諦めた道だった。
自分の人生を捨てるほどの価値があるほどのものじゃないと、切り捨てたものだった。
だが、今なら分かる。価値があると。
未来を投げ打ってでも、やりたいと。
だからこそ、湊は官能小説を書いている。
シナリオ業とは違うが、本能の赴くままに書きたいモノが詰め込める。
仕事があるから、毎日は書けないけれど。
それでも順調に書けている。半年に一回ある官能小説大賞には、十分間に合うはずだ。
去年の結果は二次選考落ちと、三次落ち。今年の結果は一次通過が決定したところで、次の発表はまだ来ていない。期待はできる。
「湊くん、ヒモになりなよ。それで好きなだけ小説書けばいいと思う。働きながらだと執筆時間が全然取れないでしょ? だから、私のヒモになれ——」
浮き浮き気分で話す女上司には悪いが、その気は一切なかった。仕事を辞めてまで、官能小説を書きたいと思ったことはない。
勿論、執筆欲が溜まり、仕事中でさえ、無性に執筆へ取り組みたい日はあるけれど。
十分我慢できる範囲だし、仕事を辞めるなんていうのは、あまりにもリスクがデカい。
「残念だけど、ヒモにはなりませんよ?」
「えっ……? 最高の環境なのに?」
「もう二度と自由を奪われたくないから」
自由を奪われた人間は家畜以下である。
誰かに支配された時点で負けなのである。
湊の場合は、両親の言葉に惑わされた。
あのとき、二人を無視して、己の道を突き進んでいれば、と何度も後悔したのである。
故に、間宮湊は自由に執着するのだ。
もう二度と人生を見誤るよう過ちを起こさないために。幸せを必ず掴むために。
「そっか。なら、ヒモになりたいと思ったら、私に相談してよ。いつでも加入できるように、部屋の掃除とかこまめにやるから」
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