第10話:女上司が外堀を埋めに来るそうです
間宮湊が働くのは、食品関係の専門商社。
湊の担当は冷凍食品。日本国内のメーカーと取引を行い、海外輸出を目標としている。
現在はアジア市場獲得を主軸に行っているが、ゆくゆくは欧州市場を狙う予定である。
世界一美味い日本食を世界中に届ける。
冷凍食品ならば、どこでも同じ味を再現できる。世界の人々に日本食の美味さを——。
その気持ちは少なからずあるのだが……。
「……………………」
就業時間なのに、間宮湊は眠っていた。
昨晩は女上司の予定に巻き込まれたのだ。
自分の好きなことをやる時間がなく、睡眠時間を減らしたのが仇になったのだ。
「ひゃっあ!!」
突然、間宮湊は変な声を出して飛び起きる。首元にひんやりとした感触があったのだ。そんな彼の動きに、その原因を作った女上司——葉月美乃梨はクスッと微笑んだ。
「……な、なんだ。葉月さんですか」
「私じゃダメなの?」
「はぁ……よかったです、葉月さんで」
「何その言い方。私、安く見られてるの?」
「違いますよ。他の先輩だったら、一時間二時間の説教を喰らう羽目になるんで」
「へぇ〜。私なら怒らないって思った?」
そう言いながら、美乃梨は缶コーヒーを渡してくる。先程、首に触れたのはこれか。
「ありがとうございます」
「他人行儀だね、その言い方」
「礼儀正しいと言ってくださいよ」
「まぁ、そ〜いうところが良いところかも」
でも、と呟いて。
「仕事中は居眠りはダメだよ。うとうとしちゃう気持ちは分かるけど、社会人なんだから」
母親みたいな口調で叱ったあと、美乃梨はデスクへと戻った。彼女の優しさを噛み締めつつも、湊はコーヒーのプルタブを開く。
ゴクゴクと喉を通るブラックコーヒー。
葉月美乃梨の砂糖たっぷりなお叱りと共にならば、この味も悪くないなと湊は思った。
「よしっ。今日もいっちょやりますか」
カフェインを注入し、眠気は吹き飛んだ。
気合いを入れ直して、仕事に臨まねば。
間宮湊がそう思った頃——。
ピコンと、スマホに一通の連絡が入った。
『
◇◆◇◆◇◆
メーカーとの取引は、危ない橋を渡る。
食品企業にとって、海外進出するのは大変喜ばしいことだと考える人が多いかもしれない。でも、問題は生優しいものではない。
「くそ……違うな。書き直すか……」
食品業界の大半は、国内市場だけで十分な利益を獲得している。故に、わざわざ海外進出を目指していないケースがある。
「うーん、これじゃあ。取引してくれない」
特に、日本とは全く異なる文化や地域性を持つ市場を狙うのは、極めて非効率。日本食が世界一美味いとしても、食文化が違う場所で、日本食が受け入れられるとは限らない。
「あぁ、物流整備や現地の法規制問題ッ!」
上記の内容を踏まえつつも、間宮湊は問い合わせ対応や顧客の要望に応じた見積書を作成しなければならないのである。
商社の役割は人と人、企業と企業を結ぶこと。故に、メーカーと取引先との間で、板挟み状態になり、精神を病む者も多い。
◇◆◇◆◇◆
「それでは終礼を始めます」
チームリーダーの葉月美乃梨が宣言する。
27歳とまだ若手の彼女だが、今年で入社五年目。既に、頭角を表し、冷凍食品担当のリーダーにして、マネージャー職も兼任中だ。
「今日の報告を一人ずつお願いします」
業務内容と進捗状況の報告。
明日のスケジュール日程を確認。
全員終わらせ、情報共有は完璧である。
「それでは本日の終礼を終わ——」
気弱そうな女の子が手を挙げた。
茶髪ショートの新卒ちゃんである。
仕事に不慣れで、ミスばかりを連発してて、いつも誰かに怒られてるイメージしかない。
「あ、あの葉月先輩。質問いいですか?」
「いいけど、どうしたの?
「あのあの、先輩と間宮さんは付き合ってるんですか? お、教えてください!!」
「時枝さん。それって仕事に関係ある?」
「ひ、ひぃ……あ、ありません」
「そうだよね。仕事に関係ないことは、今後終礼時には話題に出さないこと。いい?」
「は、はい。ご、ごべんなさいぃ〜」
葉月美乃梨に威圧され、時枝瑠璃子は涙目になりつつも、謝罪の弁を述べた。
「それでは終礼を終わ——りますっては、ならないか。やっぱり、皆も気になるよね」
二人の関係性を教えてくれ。
どこまでやったんだ。付き合ってるのか。
美乃梨を眺める視線が、そう訴えている。
「はぁ〜。どうする? 湊くん」
湊くんと呼ばれ、間宮湊へと目線が移る。
人前に出るのは苦手ではないが、羨望の眼差しで見られるのは大変困る。
そもそも論、先輩と後輩以外何もない。一応、ホテルで男女の関係になった仲でもあるが。ただ、それはノーカウントだろう。
それにも関わらず、いたずら好きな女上司は思わせ振りな態度を貫いたままに。
「もうさ、言っちゃう? 私たちの関係」
「わ、私たちの関係って……俺たちには何も」
「もうさ、言おうよ。隠し事は全部なしにして、本当のこと」
恋愛という名のゲームを制覇するために、外堀から埋めるタイプが存在する。自分の力一人では攻略できない相手を、周りの援助を得ることで、少しずつ攻め落としていくのだ。この手の奴等は極めて小賢しく、敵に回すと面倒だ。頭が回るだけに、厄介なのだ。どんな手段でも使うから。
「葉月さん、何を言ってるんですか?」
先手を取られたものの、間宮湊は言い返した。
葉月美乃梨は確実にこの状況を楽しんでいる。
間宮本人がどんな反応を取り、どんな顔色を浮かべるのか。
「もう良いんだよ、隠さなくても」
「隠してません。俺と葉月さんの間には——」
必死に否定するのだが、誰も聞く耳を持ってくれない。
周りの人たちは、やれやれイチャついていると呆れ顔だ。
おまけに、否定する間宮に向けられる目線は、もう全ての関係性は分かっている。自分の口で二人の関係を白状しろと物語っているのだ。
「——いつものように言ってよ、美乃梨って」
「一度も呼んだことありませんよね?」
「照れなくてもいいんだよ?」
「だ、だから、お、俺は別に照れてなん——」
間宮湊の口は止まってしまう。葉月美乃梨が人差し指を当ててきたのだ。これ以上は何も言わなくてもいいよ、という温かい瞳を向けて。
「うんうん、恥ずかしがり屋さんなんだね、湊くんは」
言い返したい気持ちは山々だったが、これ以上喋っても埒が明かないと思った。話しても無駄だと。空気で、雰囲気で分かってしまうのだ。
「ごめんッ!!」
葉月美乃梨は、皆の前で両手を合わせて謝罪してから。
「皆に報告したかったけど……湊くんがちょっぴり恥ずかしがり屋さんだからさ。今回はまだ心の準備とか、お互いの親御さんに挨拶もまだしてない状況だったから……有耶無耶になっちゃって。本当にごめんなさい!」
葉月美乃梨は、たった一瞬で社内の空気をガラリと変えてしまった。
あたかも、自分は間宮湊と付き合っています。それも、結婚前提にお付き合いしてて、結婚の報告を皆様にお伝えする準備を整えている。
そんな雰囲気を醸し出す文章をわざと紡ぎ、味方を手に入れたのだ。
職場仲間という最大の恋敵であり、最も結束する確率が高い味方を。
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