第11話:女上司を褒めたら、病み度が急上昇した
お祝いモードに包まれた職場内。部署が違う人々からも「おめでとう」と言われて、間宮湊は対応に困り果てていた。否定したところで、まだ隠してるつもりかーと苦笑される始末だ。
「……葉月さんは何が目的なんだ? 俺を困らせて」
葉月美乃梨と肉体関係を持ったことは事実だろう。
だからと言って、彼氏彼女になった記憶はないのだ。
もしかしたら酒に酔った勢いで、とんでもないことを言ったかもしれないが……今更、過去に戻って確認などできない。
「はぁ〜。それよりも、今日は仕事だ、仕事ッ!」
終礼後、お祭りモードになった社内。
高嶺の花を失った男性メンバーと、孤高の王子を失った女性メンバーは意気投合し、飲み会を開くことになったようだ。
「平和だな……ゆっくり仕事ができるなんて」
というわけで、社内に残っているのは間宮湊のみ。
パソコン前に座り、異国の言語を読み解きつつも、資料作りに励んでいた。気合いを入れ直して、集中モードであった。
イケるッ!! 今ならば、最高の資料が完成する!!
そんな調子が良いときに、突然、視界が暗くなった。
背中に当たる生温かい柔らかさと、目元に触れる指先の感触。誰かがイタズラしているのである、ちょうど良い機会に。
「誰〜だぁ?」
首筋に触れる吐息と甘ったるい声。
誰だと聞かずとも分かってしまう。誰かなんて。
「葉月さんですよね〜? 手を退けてもらっていいですか?」
「すご〜い。湊くん、声だけで私と分かるなんて運命?」
手を退けてもらったけど、逆に抱きしめられる形になった。
集中しているから、この場から退けて欲しいのだが……。
上司に対して、強く言えるはずもない。
「俺に絡んでくるのは、葉月さんしかいませんから」
「湊くんは私のものだって、皆んなも理解したのかもね」
「葉月さんのものになった事実はないんですけど」
「なら、今から契約書でも書いてみる?」
葉月美乃梨が取り出したのは一枚の紙切れ。
『間宮湊の所有権は、葉月美乃梨に譲る。今後、間宮湊はヒモとして、葉月美乃梨の所有物になる』と書かれていた。
「ここにハンコを押すだけでいいから」
「ハンコ押したら、元の生活に絶対戻れないよね?」
「爛れた甘々な溺愛生活が始まるだけだよ、私と湊くんの」
爛れたという言葉に唆られてしまうが……。
「謎のヒモ推しやめてもらえますか? 俺なりませんから!」
「なら、ペットにする? 可愛がってあげるよ、ミナト」
「そ〜いう問題じゃない!! 絶対になりませんから!!」
「そっか。なら……この契約書は破棄にするよ」
美乃梨は紙切れを引っ込めると。
「これは大事な書類だから、ハンコをお願いね!」
「仕事の書類ですか……ん? こ、これ——」
確認せずに、そのまま手に取った湊は強めな口調で。
「——婚姻届じゃないですか! 危うくハンコ押しそうでしたよ」
「押さないと幸せになれないよ?」
「不幸のメールの亜種か!」
「私が幸せになれないの! 湊くんとしか結婚しないって決めてるから!」
「人生に変な縛りプレイを設けるのやめてもらってもいいですか?」
結婚相手を決めてると言われても、こちら側は了承したわけではないし。
あまりにも強引すぎる。話し合えば、もっと分かり合えると思うのに。
「……そうだよね」
葉月美乃梨は重々しい口調で。
「ヒモになる予定の湊くんと結婚するんだもん。苦労するよね」
「俺がヒモになる前提で話を進めるのやめてもらってもいいですか?」
「……ミナトの食事代は毎月二万円から三万円。お小遣いもあげたいし、カッコいい洋服も着せたい。そのためには、もっともっと私が働かないとッ!?」
「ペット扱いは勘弁してください。せめて、人間扱いをお願いします!」
集中モードだったのに、一気に興が削がれてしまった。
もっと仕事を進めたかったのに。葉月美乃梨に絡まれたら無理だな。
「で、湊くんは何をやってるの?」
「資料作りですよ。来週に提出なので早めにやっておこうと思って」
「仕事熱心だねぇ〜。頑張る人、私は大好きだよ!!」
「締め切りギリギリというのは考えただけで嫌になるんで」
間宮湊は官能小説家を志す男だ。
今までも新人賞に応募し、締め切りの苦しみを味わっている。
故に、仕事も早めにさっさと終わらせて、少しでも余裕を持ちたいのだ。
「へぇ〜。そっか。なら、私も今日は残ろうかなぁ〜」
「ご自由にどうぞ」
「うん、なら今日は私も残って一緒にお仕事するぅ〜」
「まぁ、俺は五分後ぐらいには帰りますがね」
冷酷な口調でそう呟くと、社内で孤高の王子様と呼ばれる男は続けて。
「葉月さんは一人でお仕事頑張ってください。最後の最後まで」
「そ、それは困る。湊くんが居ないなら、私も残業しません!!」
五分後、間宮湊はパソコンを閉じ、荷物をまとめた。
隣には、彼の支度を待つ美乃梨の姿もある。
「一緒に帰ろっか。家近いし。このまま二人っきりで」
「あぁ、今日は友達と飲みに行く予定なんで、パスで」
「……そっか。今日は、私の家で宅飲みかぁ〜。いいねぇ〜」
「誰もそんな話してませんけど、記憶を改竄するのやめてください!」
「ごめん。湊くんの口から友達なんて単語が出るなんて思わなくて」
「友達というか、戦友というのが一番シックリくるんですけどね」
「戦友……?」
美乃梨が呟くと、湊はその意味を教えてあげた。
「大学のサークルで一緒にゲームを作っていたんです。今は、俺が第一志望だったゲーム会社で見習いイラストレーターとして活躍してて、最高なんですよッ!! 女の子を超絶可愛く描くし、風景とかも絵画レベルだしッ!!」
「ふぅ〜ん。なんだか、嫉妬しちゃうなぁ〜。湊くんがそこまで褒めるなんて」
「もしかして、葉月さんも褒められたいんですか?」
「…………それは褒められたいよお、大人になっても、ずっとずっとね」
「なら、俺が褒めてあげます。葉月さんは頑張ってますよ、この職場で誰よりも」
時計を確認する。戦友と約束する時間になりそうだ。
「それじゃあ、俺はもう帰りますんで」
湊は甘えん坊な上司に別れを告げ、会社を後にするのであった。
一人取り残された葉月は、愛する彼が座っていた座席へと突っ伏す。
そして、心の奥底に溜め込んでいた愛情表現を吐き出すのであった。
「……湊くんは褒め殺しさんだね〜。私を置いて行っちゃうなんて」
葉月美乃梨は口元の緩みが治らなかった。必死に止めようとするのだが、勝手に口角が動いてしまうのだ。彼が少しだけ、自分に従順になってくれたから。
「でも……私は一度掴んだ幸せは離さないよ? 置いて行かれるぐらいなら、追いかける。どこまでもどこまで〜も、ずっとずっとね……うふふふ、湊くん」
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