第6話:彼女面の女上司は泊まる気満々のようです

「ねぇ、湊くん。早くここを開けて!」

「嫌です。俺は立ち退きませんよ」

「何が問題なの? 改善するから」

「さっきも説明しましたが、一人暮らし用のお風呂に二人で入るのは無理があるからですよ。分かりますよねー?」


 壁一枚を挟んで、二人は言い争う。

 その姿は、引きこもりの息子と、そんな息子に外に出ろと主張する母親のようにも見えてしまう。


「言い訳は聞きたくないよ、湊くん」

「開けませんよ、俺は絶対にね」

「壊してもいい?」

「ダメに決まってるでしょうが!」

「私とドア、どっちが大事?」

「比べるまでもありません。ドアです」


 舞台女優のようにわざとらしく、人影が崩れ落ちた。床に両手を突き、四つん這いになった状態で。


「ドアに負けた……ドアに負けるなんて、一生の不覚。もう立ち直れない」

「あー、小芝居はどうでもいいんで」


 演技はもう飽きた。

 そんな口調で言うと、磨りガラスに映る影は立ち上がった。ドアへと両手を張り付け、まるでパントマイムをするようにしてから。


「私が風邪引いたらどうするの?」

「体調管理ができない人なんだと思うだけです。社会人なのに甘いなと」

「早く、開けてよ。イジワルは禁止!」

「俺は悪くありません」

「悪いことしてる人は、皆そう言うよ」

「俺を悪者扱いするのやめてください」

「それなら早く開けて。今すぐに」

「嫌です」


 何度頼まれても肯定はしない。

 男女が一緒に風呂に入るなどおかしな話だからだ。彼氏彼女でもないのに。


「お願い……寒いから早く開けて」

「服を着れば済む問題ですよね?」

「……湊くんが開ければ済むと思う」

「先に言いますけど、開けませんから」


 あ、そんなことを言うんだぁ〜。

 美乃梨は苛立つようにそう呟くと。


「風邪引いたら責任取って、私の面倒を見ないとダメだからね。熱出したら、ウサギのリンゴしか食べないし、おかゆは卵と少量のネギを入れて、フーフーしてくれはいとダメだからッ!!」


 注文が多い料理店ならぬ、注文が多いワガママ娘である。ただ、自分よりも歳上の女性が、ウサギのリンゴやおかゆはフーフーじゃないと認めないと言い出す辺りがちょっぴり可愛い。


「段階を踏まえましょうよ、段階を」

「ふぇ……だ、段階?」

「そうです。段階です!」


 世の中の物事には順序があるのだ。

 順序を間違えると、面倒なことが起きる。それがこの世の理である。


「正しい順序があるんです。何事も」


 例を挙げるとすれば。

 彼女と別れる前に、他の女と関係を持ってしまうとか。別れてしまえば、浮気でも二股でもないのに。


「そっか。大事だよね、段階は」

「そうです。理解してくれたなら、服を着て、さっさと脱衣所から出て行ってください。今すぐにね」


 湊の説得が功を奏したのか、聞き分けが悪かったお嬢様は話を聞いてくれた。

 床に脱ぎ散らかしていた衣類を身に纏いながら。


「ありがとうね、湊くん」

「か、感謝されることでは……」

「私たちの愛をもっともっと深めるために、段階を踏んで考えてくれてたんだね。私たち二人のことを。ごめんね、私ワガママばっかり言っちゃって……」


 女上司は酷い勘違いをするのである。


「段階を踏むって大事だよね。幸せは少しずつ噛み締めながら生きていく方がいいもんね。私、欲張りだったよ」


◇◆◇◆◇◆


 長風呂は心身を癒す効果がある。

 一人暮らし生活では浴槽に入ることは殆どない。洗うのも面倒だし、シャワーにしようと諦めてしまうのだ。


「……………………」


 久々に湯船へ浸かり、日頃の疲れが取れた湊の顔は一段と若返っていた。元々童顔系イケメンなのだが、高校生や大学生ぐらいと言っても遜色ないだろう。

 そんな彼は鼻歌混じりに、身体に付着した水滴を拭き取っているのだが……。


「葉月さん。見えてますよ、目線が」


 僅かに開いた脱衣所の扉。

 その先には瞳の中をハートマークにし、血眼になって獲物を捉える双眸が。


「……気付くなんて凄いね」

「ドアの隙間に食いつくように凝視する瞳があれば、誰だって気付きますよ」


 二十世紀末期に日本の未来はウォウウォウしてた元アイドルの一人で、現在は幸せな家庭を持つ美人ママタレの粗探しに躍起になる人たちみたいな形相だし。


 実際に見たことはないんだけどさ。


「やっぱり、私たちって赤い糸で結ばれているのかも。運命なんだよ、これは」


 ポジティブシンキングが凄すぎる。

 否定を肯定にする能力は強すぎる。


「葉月さんは赤い糸で結ばれる前に、一生解けない手錠に結ばれてください」

「手錠プレイが好きなんだ、湊くんは」

「警察に捕まれって言ってんだよ!」

「警察に捕まる女の子がタイプなんだ」

「俺はどんな特殊性癖だ! 危険なオーラ漂う女の子は好きだが、実際にヤッちゃう子はNGだよ!」

「例えば、こんな子はダメ??」


 後ろを振り返ると——。


「……ひ、ひぃ」


 美乃梨の手にはアイスピックが握られていた。眼球を狙われたら、失明は免れないだろう。持ち方が、逆手だし……末恐ろしすぎる。どんな教育受けてきた?


「ひ、人を……驚かせるな!」

「ごめん。悪い子は逮捕しちゃう?」


 美乃梨は両手を合わせて突き出してきた。自分を手錠で縛ってくださいとでも言いたげな表情である。


 人様を揶揄うなんて、本当悪い子だ。


「何もしねぇーよ」

「何もしないというお仕置きプレイか」


 変なことを口出す美乃梨は無視。

 間宮湊はささっと衣類を着て、風呂場を出るのだが、そんな彼の後を美乃梨はトコトコと付いてくる。鬱陶しい女だ。


◇◆◇◆◇◆


 我慢の限界が誰にも訪れる。

 相手が上司だろうと関係ない。

 ウザいものはウザいのである。


 覚悟を決めたのは、風呂上がりの牛乳を一気飲みした直後の出来事であった。


「葉月さん。帰らないんですか?」


 真正面のテーブルに頬杖を付き、笑顔を浮かべる美乃梨は口元を緩めて。


「もちろん帰るつもりだよ」

「でも時間遅いし、もう帰ったほうが」

「大丈夫大丈夫。今夜はここに泊まるから。ありがとうね、心配してくれて」


 今夜はここに泊まる??

 初耳すぎる情報に、間宮は焦る。

 コイツ何を言ってるんだ状態である。


「あの……葉月さん。帰ったほうが」

「私のことは心配しないで。迷惑はかけないから。うんうん、本当大丈夫」


 葉月さん、知ってますか??

 帰らない客はもっと迷惑かけますよ。

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