第2話:付きまとう女上司から逃げてみた
長い髪を左右に揺らしながら歩く上司——葉月美乃梨を見ていると、間宮湊は呆れ顔になってしまう。
ゆっくり休みたいと進言しているのに、葉月美乃梨は聞く耳を持たないのだ。だが、しかし、湊だって、易々と家まで連れて帰るはずがない。
これ以上、優雅なプライベートをグチャグチャにされるのは生憎御免なのだ。
ちょっとした仕掛けを行ったあと、葉月美乃梨と他愛ない話を進める。
高層ビルは色鮮やかに立ち並んでいるのに、どうして自分の心は灰色に染まっているのだろうかと思ってしまう。
そんな折、遂に仕掛けが効果を示す。
トゥルトゥルトゥル♫
突然鳴り出したのはスマホの電子音。
「あ、ちょっと電話いいですか」
「私より電話取るんだぁ〜。へぇ〜」
「ごめんなさい、あははは……」
葉月美乃梨に平謝りしながらも、間宮湊はスマホを耳に当てる。
「えっ? お母さん? どうして電話なんて掛けてくんだよ。今は上司と一緒に居るんだけど……突然電話は困るって」
間宮湊は細工を施した。
スマホのアラーム機能を使ったのだ。
「う、ウソだろ。今日急に泊まるって言われても困るって。えっ? 彼女? できるわけないじゃん。部屋の片付けとかできてないし、日常生活をガミガミ言われるのが嫌だからに決まってんだろ」
故に、今彼は何も聞こえていない。
電話なんてかかってきていないのに。
お得意な演技を披露しているのだ。
「まぁ、だからさ、今日は絶対に家に来るなよ。わ、分かったな。って……今から迎えに来い? はぁ? あ、ちょっ、ちょっとま、ぁぁ……全然、話聞いてないし。急に電話切るし。はぁー」
当然現れた親フラグ。
これには流石の女上司も家に来るなんて言うまい。どうだ、参ったか。
と、思いながら、間宮湊が余裕な表情を浮かべていると。
「はい、それじゃあ」
葉月美乃梨が手を差し出してきた。
間宮湊はどんな意味なのか、さっぱり分からずに黙ることしかできない。
「早く渡しなよ。あとはこっちが何とかするからさ」
「えぅ? あの渡すって何を……?」
「湊くんの鍵だよ、鍵」
「どうして俺が鍵を渡す必要が?」
何言ってるの? この人、怖い。
と、本気でドン引きする湊に対して、美乃梨は懇切丁寧に説明した。
「湊くんがお母様を迎えに行っている間に、私が部屋の片付けしててあげるから。あ、別に私も一緒に行ってもいいと思うんだけど、今日会うのはちょっと急過ぎるなと思うし。ちょっとだけ湊くんの部屋に、女が居る気配を醸し出しておくぐらいでいいと思うんだけど、どうかな? それとももう紹介する??」
「親に紹介ってどうして?」
葉月美乃梨を紹介する必要がない。
間宮湊はそう思うのだが……。
「いやぁー。それはさ、私と湊くんってまぁー色々あったじゃん。だからさ、親御さんからもしっかり挨拶したほうがいいと思うの」
色々あったとは??
二人の間ではちょっとしたことはあった。
だが、わざわざ親に報告するものでは。
「あ、勿論さ、私が湊くんの上司だから。そーいうのはビシッとするべきかなってさ」
葉月美乃梨は親指を立てて。
「だから不安にならなくて大丈夫。全部私に任せてくれれば成功するからさ」
ただ、間宮湊も黙ってはいられない。
このままでは鍵を明け渡す流れになる。
それだけは避けたいので、言い訳をする。
「葉月さんには迷惑かけられませんって」
「港くんのためなら、迷惑と思わないよ?」
「そーいう問題じゃなくてですね……」
「あ、私の心配してるの? 港くんが『葉月さん頑張って』と思ってくれるだけで、私はもっともっと頑張れるから大丈夫だよ!」
葉月美乃梨はサイコパスなのかもしれない。いや、単純に空気を読めないだけかも。
ともあれ、大変困る女上司を持ち、間宮湊の表情は徐々に歪んでしまう。社内でも評判のイケメンも台無しである。
◇◆◇◆◇◆
葉月美乃梨を追い返すのは大変だった。
何度断ってもグイグイと来るのである。
このままでは埒が明かない。そう判断し、もう一度電話偽装作戦を実施した。
母親が早く迎えに来いと催促したという旨で、間宮湊は女上司から逃亡したのだ。
で、現在。
適当に時間を潰して、普段では使わない駅から地下鉄に乗車し、間宮湊は自宅のマンションへと戻ったわけなのだが……。
「おかえりなさい。湊くん」
葉月美乃梨がマンション前に立っていた。
玄関前に立ち尽くして、間宮湊の帰りを待っていたのだ。表情は緩やかな笑顔である。
「やっぱりウソだったんだね。電話なんて」
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