第3話:女上司が家の前で待ち伏せしてました

 どうしてここに葉月美乃梨がいる。そもそも論、どうして家を把握している。

 色々な疑問が湧くのだが、間宮湊は一旦呼吸を整え、鬱陶しい女の対処を試みることにした。


「ウソだったんだね、さっきの電話」

「……そ、それは」

「知らなかったなぁ〜。純粋無垢な湊くんが平気でウソを吐いちゃう人間だったなんて。それも大切な大切な私に対して、あんなことを言っちゃうなんて」


 近所迷惑という言葉を知らないのか。

 真相が発覚し、崖から飛び降りる前の犯人みたいな声を出している。

 痴話喧嘩と勘違いされ、隣近所の人が玄関から顔を出してきたら物凄くマズイだろう。マンション内で変な噂が立つのは、御免なのだ。


「何か弁解の余地はある? 一応聞くけど。まぁ、無いと思うけど」

「………………」

「そうなんだぁ、あはっ」


 社内で美人と評判の彼女は、僅かに口元を開き、乾いた笑みを溢した。感情が一切入っておらず、物凄く不気味だ。


「私のことそんなに嫌い? 家に上がらせたくないぐらいに? 要するに、もう用済みってこと? あの日、囁いてくれた愛は全部ウソだったってこと??」


 女という生き物は、沸点が低い。


「……何か、本当にバッカみたいだな。湊くんが何か弁明してくれるだろうなと思ってた。何か下手な言い訳でもしてくれるかなって。それがどんなに下手でも、ウソだとバレバレだとしても」


 一度スイッチが入ると、壊れた笑い袋のように、同じことを繰り返してくる。

 配慮という言葉を知らない彼女たちは、心の奥底に溜めた感情を四方八方に飛ばし、周りを不幸にさせるのだ。


「——私、そのウソを信じてたのに」


 経験上、間宮湊はそう確信している。

 特に、質が悪いのは、泣けば全て許されると勘違いしている奴等だ。

 このパターンの女は碌な奴がいない。


「私、もう帰るね」


 瞼に涙を溜めた葉月美乃梨は、この場を立ち去ろうとする。正直な話、ただの面倒な女ならば、さっさと家に帰って頂けば幸いな話なのだが……。


 相手は職場の上司で、何かと注目を集める美人さん。目を充血させた彼女の元へ下心満載な男共が集まり、「どうしたの?」と訊ねれば……最後。


 間宮湊の居場所は消えてなくなる。


「帰る?? ちょっと待ってくれ!」


 声を掛けると、美乃梨はすぐに止まった。どうせ呼び止められると踏んでいたのかもしれない。計算高い女である。


 それから踵を返し、間宮の前に立つ。


「やっぱり、湊くんも好きなんだね」


 好き?


「呼び止めたのは、私ともっともっと一緒に居たいからなんだよね〜。照れるなぁ〜。恋愛は押し引きの駆け引きが大事だもんねぇ〜。やるなぁ〜、湊くん」


 何を言っているんだ? この女は。


「でも、改めて分かったね」


 何が分かった?


「私たちが両想いだってこと」


 間宮湊は身震いした。得体の知れない恐怖に襲われ、鳥肌が立ってしまう。

 葉月美乃梨と関係を持った日は、酔った勢いで愛を囁いたかもしれない。けれど、アレは一夜限りの愛であり、今となっては無効とも言うべきもので……。


「私ね、夢だったんだ。彼氏の家で料理を作るの。大好きな彼のために料理を一生懸命作って、それを食べる彼が幸せな表情を浮かべてくれて。私はその笑顔を見るだけで、幸せになるみたいな感じの……そんなどこにでもある日常がね」


 彼氏の家??

 葉月美乃梨と付き合ってなどいない。

 飛んだ勘違いをされたものである。


「葉月さん、今日は帰ってください」


 変な女を自宅に入れたくない。

 間宮湊には、その一心しかない。

 葉月美乃梨を一度家に上がらせてしまうと、大変面倒な事態になる。

 と、第六感がビンビン働いている。


「えっ……むっ、無理。そんなの無理」


 葉月美乃梨は否定した。

 計画通りに進まないことに苛立ちがあるのか、片足をバンバン床に叩きつけている。まるで、砂場の城を壊すように。


「湊くんの隣に居たい。ずっとずっと」


 目を点にした状態で、近づいてくる。

 両手を水平に上げて迫る姿は、ゾンビ映画に登場してもおかしくなかった。


 間宮湊は逃げ出したかった。一旦、マンションを引き返し、本日はネカフェに泊まることさえも考慮に入れていた。だが、一度感情が爆発した女性を一人残すと、大抵碌なことが起こらないのだ。


 深夜帯、奇声を発し、ドアを何度も殴る蹴る等の暴挙に出る可能性がある。


 色んな女性と経験を持つ間宮湊はそう予期し、真っ青な表情で縋ってくる女上司からの熱い抱擁を受け入れる。


「離さないよ……湊くんだけは」


 ギュッと抱きしめる腕力は強い。

 ただ、自分から抱きしめたりはしない。あくまでも、相手側からのみ。


「湊くん。中と外どっちがいい?」

「中と外……? んっ?」

「なら、今泣いちゃうけどいい?」

「そ、それは……」

「それなら家に入れてよ、早く」


◇◆◇◆◇◆


「へぇ〜。湊くんの部屋ってこんな感じなんだぁ〜。ふぅ〜ん、片付いてるね」


 人様の家に入るなり、葉月美乃梨はトコトコと辺りを見まわし、物色し始めた。旅行の際、ホテルの部屋を最初に確認したりするが、それを人様の家でも実演するとは許し難い。ただ、気持ちは分かってしまうので、強くは言えない。


「で、葉月さん。どうして写真を?」


 パシャパシャパシャ。

 葉月美乃梨はスマホで撮影しているのだ。間宮湊が住む部屋の中を。


「湊くんがどんな部屋に住んでるのか。気になっちゃって。こっそり湊くんが使ってる物を自分の家にも置いて、隠れてペアルックを楽しんだり……ぐへへ」


 許可など出してはいない。

 勿論、この先撮影禁止という注意書きも無ければ、忠告もしなかった。

 だが、記録媒体に残されるのは……。


「私ね、湊くんに満たされたいの」

「はい?」

「私の人生は湊くんが居ないとダメなの。湊くんだけで、人生を埋めたいの。湊くんと過ごす時間だけで、全てを埋め尽くしたい。二人の時間を増やしたい」


 遊園地に遊びに来た観光客みたいだったのに、葉月美乃梨の表情は一瞬にして暗くなった。急落の差が激しいので、若干だが、間宮自身も身構えてしまう。

 どんな行動を取れば、穏便に済むか。


 だけど、と葉月美乃梨は一拍置いた。


「だけど、私たちは社会人。先立つものはお金でしょ? お金がないと何もできない。湊くんを幸せにすることも、湊くんを独り占めすることもできない」


 お金があっても、独り占めはできない。どんな手段を使うのかは考えたくないが、絶対にそれだけは不可能な話だ。


「だけど、湊くんと同じものを身に付けてたり、湊くんの顔写真をこっそりスマホのホーム画面にしていれば、元気が出ると思うの。取引先との交渉に失敗しても湊くんの笑顔を見れるなら、それで」


 ふふっと笑みを溢す葉月美乃梨。

 新卒で入社した際の元教育係である彼女のことを、間宮湊は完璧に理解した。


「葉月さんってストーカーですか?」


 間宮湊は論理的な男である。

 謎の怪奇現象が起きれば怖がるものの、その現象が起きた原因が分かってしまえば、意外と整理が付くタイプだ。

 小学校時代に起きたポルターガイスト事件も、実は教室内に鳥が侵入し、バタバタと動いていただけと知ってからは、怖がる素振りを見せなかったものだ。


「ストーカー? ナニソレ?」


 とぼけたところで無駄である。

 間宮湊には、もう見抜かれている。

 自分の上司が面倒な鬱陶しいストーカー女だということは。

 それさえ分かれば、もう怖くない。

 得体の知れない恐怖は襲わない。


「私、湊くんの彼女だよ?」


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