一回ヤッただけで、彼女面する上司がウザい

平日黒髪お姉さん

第1話:女上司が付きまとってくるんだが

 間宮湊マミヤミナトの人生は順風満帆であった。

 一般的に頭が良いと評される大学を卒業し、有名な専門商社に入社。


 現在、社会人三年目の彼は持ち前のトーク力と顔立ちの良さを武器に、数多くの取引先との交渉を勝ち取ってきた。成績上位者として何度も表彰されたほどである。


 だが、そんな彼は一つの過ちを犯した。社内で美人と評判の女上司と一晩だけ寝たことだ。


「お疲れ様。湊くん」


 定時までに全ての業務を終わらせ、残るは家に帰るだけ。そう思い、椅子から重たい腰を上げた直後だった。

 やけに明るくて胡散臭い声で喋りかけられたのは。


「葉月さん、今日もお疲れ様です」


 後ろを振り返って、やっぱりと思ってしまう。

 間宮の後ろに居たのは、腰先まで伸ばした長い黒髪と、強気な瞳を持つ女上司——葉月美乃梨ハヅキミノリであった。


「それでは……失礼します」


 足を急がせる間宮なのだが……。


「私も一緒に帰るよ」


 美乃梨に捕まってしまう。

 迷子の子供を離さないように、湊の腕は美乃梨の胸元に収まってしまった。

 社内に残る人たちからの目線が気になるものの、美乃梨は全く動じなかった。


「ダメなの? 私と一緒は……」

「ダメなわけじゃないですけど……一緒に帰ってたら勘違いされちゃいますよ」

「勘違いされてもいいよ、湊くんなら」


◇◆◇◆◇◆


 仕事終わりの空は開放感に満ち溢れていた。木々や電柱間を行き来するカラスを見ても、嫌気が差すことはない。

 朝見ると、呑気な彼等に腹が立つが。


「どうしたの……? こっちを見て」

「いや……別に何もないですけど」


 傍ら見れば、間宮湊と葉月美乃梨はお似合いのお二人さんかもしれない。美男美女カップルだと評価され、怒り狂う非モテ集団が現れてもおかしくないはず。


「湊くん、今日一緒にどこか行く?」


 だが、二人はカップルではない。

 ただ一日だけ一緒に寝ただけだ。

 それにも関わらず……。


「あのぉ〜。俺、今日予定あるんで」

「予定? 何それ? 私聞いてないよ」


 女上司はグイグイ来るのである。

 たった一晩ヤっただけで。

 たった一晩性の悦びを知っただけで。

 雌の顔を晒して、媚びてくるのだ。


「その予定って私よりも大事なの?」


 挙句の果てには、セックスした=付き合ったと勘違いしているのか、彼女面までする始末である。


「はい。大事ですね」


「…………私より大事なんだ。私よりも大事な予定が湊くんにはあるんだ。へぇ〜知らなかったなぁ〜。湊くんには、私よりも大切な予定があったんだぁ」


 語尾が若干上がっていた。

 苛立ちが節々から感じられる。


「は、葉月さん……あのぉ〜」


 ブツブツと呟き続ける女上司を止めようとしたが、無駄であった。


「その予定って何? 私が居たら気まずいことなの? もしかして、女に会うの? あぁ、そうなんでしょ? どうなってるの? 答えてよ、お願いだから」


「は、葉月さん……あのお怒りを」


 道端でヒステリックになられても困る。突然立ち止まって、ブツブツ呟かれるのは大変周りから見られるのだ。


「湊くんも男だもんね。若い女が好きだもんね。私みたいな年齢だけ重ねちゃったアラサーなんて興味ないよね……」


「俺は若い女なんて興味は——」


「あぁー。そーいうウソは要らないから。どんなに頑張っても、若い子には負けちゃうから」


 今にも泣き出してしまいそうな表情。

 美人が赤目になる姿というのは、さぞかしフェロモンを分泌するらしい。


 間宮湊には無言の矢が突き刺さる。

 こんなに可愛い彼女を泣かすなと。


「今日は家でゆっくりしたいんです!」


 サブスク時代が到来している昨今。

 大量の娯楽作品が溢れ、日々消化していかなければ、追いつかないのである。

 故に、早く自宅へと帰り、映画の一本ぐらいはゆっくり視聴したいのだ。


「ということで、俺は帰ります」


 家に帰ってゆっくりしたい。

 それは歴とした予定だ。

 明日に備えての体調管理でもある。

 間宮湊は自分に何度もそう言い聞かせ、葉月美乃梨から離れようとするが。


「ねぇ、待ってよ」


 万乳引力に引き寄せられたら最後。

 離れようにも離れられないのだ。

 腕を脇と胸に挟まれてしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。


「別にそれって私が居てもいいよね?」

「はい……?」

「いや、だからね。それってさ、別に私が居ても何も問題ないよね?」

「俺は家でゆっくりと」

「だからさ、そこに私が居てもゆっくりできると思うんだけど」


 顔を顰めてしまいそうだが、間宮湊は営業スマイルを絶やすことはしない。

 営業という仕事をする以上、今まで面倒な客に当たったことは何度もある。

 今回もそれと同じ対応をすればいい。


「俺は一人でゆっくりと見たいんです」

「大丈夫だよ。私は気にしないから」

「俺は気にするんですよ!」

「うん、だからその間は湊くんの部屋を掃除したり、使った茶碗を洗ったり、その他諸々湊くんのために働くつもり」


 話が絶妙に噛み合わない。

 それもそのはず、葉月美乃梨はもう家に来る気満々なのである。我が物顔で家の敷地内に入り、部屋を物色するつもりなのだろう。獲物を見つけたヘビのように、舌を出して落ち着かない様子だ。


「葉月さん。俺の家に来る気ですか?」

「逆に行っちゃダメなんですか?」

「ダメですよ」


 キッパリ断ってみると……。


「……や、やっぱり他の女を」


 親指の爪を噛みながら、葉月美乃梨は想像上の女に闘志を燃やしている。どんな女性像を考えているかは分からないが、若くて可愛い系だろうか。


 ともあれ、間宮湊は続けて言った。


「葉月さんみたいな美人が家に居たら、全く休めないじゃないですか」


 先程までのお怒りはどちらへ?

 葉月美乃梨は顔を真っ赤にさせた。

 今までも美人とか可愛いとは言い慣れているはずだが、不意打ちで言われるのには慣れていないご様子だ。

 現に、真っ赤な顔を押さえながら、手足をガクガクと震わせているのだ。


「それじゃあ、家に行こっか」

「あのお話を聞いてました??」

「大丈夫だよ、全部私に任せて!」

「任せてと言われましても……」

「湊くん、大切なのは慣れだよ、慣れ」


 入社したで、右も左も分からないときも、葉月美乃梨は同じことを言っていた。

 大切なのは慣れだと。でも、その慣れを覚えるには、何度も反復練習が必要だと。夜通し、以前は練習してたよな。


「安心して。今後も私は湊くんの家に通う予定だし。美人さんが家に居て心が休まらないのは、慣れで改善できるから」

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