第5話

 もうすぐクリスマスだ。シンガポールは雨季である。ここではホワイト・クリスマスなど広告宣伝か絵本のなかでしかお目にかかれないが、ショッピングは大いに盛り上がる。色とりどりの包装紙で包まれたプレゼントを抱えて、デコレーションされた街並みを人々が往来する。オレはそんな様子を横目に見ながら、ショッピングモールを後にした。再就職活動のためとアパートの管理のことで日本と連絡を取る機会が増えて、携帯のプリペイドを買い増ししにいったのだ。帰国後すぐに元の生活に戻れることはないだろうが、なんとかなりそうだった。フェイにどう知らせようか。そのことばかり考えていた。


 マンダリンの練習にも付き合ってくれたし、二人で何度か遊びにもいった。もっとも学生割引で映画を観るとか、セントーサへピクニックにいくとか、ブキ・ティマで一緒に甘いものを食べるとか、時間もお金も無いオレたちのささやかな息抜きのようなものだ。フェイは絶対に自分の分を払いたがるし、オレも押し切れない。父親がどんぶり勘定だったので、オレがそういう風に振る舞うのが嫌らしい。結構言い合いもしたと思うが、彼女には感謝しているし、好きだ。好きなんだと思う。けれどオレは、日本に帰らなくてはならない。


 そもそも告白も約束もしていないので、長距離恋愛にすらならない。オレは卑屈な性格で、誰とも関わらず生きてきたし、生きていけることに辟易していた。生活の糧を得るためだけに働いて、世界には一点の染みを残すだけで、何の役にも立たないし、誰の心のなかにも入れない。けれどそんな意固地はシンガポールへ来て少し変わったのだ。この美しく躍動する小竜の背にしがみついて、もがいている人々のなんと多いことか。オレたちは共闘者であり、互いに敬意を示すにあたうものだ。

「シンゴ!」

 頭上から声がして驚いてふり仰ぐと、フェイが外壁清掃のためにビルからロープで吊り下がりながら、手を振っていた。雨上がりの空は銀の雲がなびき、零れる光が建物のガラスに乱反射して、フェイに降り注ぐ。綺麗だ。オレは、ぞっとした。

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