第3話

 久々に映画を堪能した気がする。第三部のハイライトは、ヤンとラウがビルの屋上で対面するシーンだ。真っ青に輝く香港の海と空を映すビルの外壁に、どちらも本当の己れを隠し、互い以外の誰にも素性を知られていない二人も映り込んでいる。私、ビルの清掃するときによくこのシーン思い出すんだ、それで、なんで二人とも幸せになれなかったのかなあ、って悲しくなって腹が立つ。パール・ミルクティーのストローをフェイはがじがじと齧る。どちらかが元の自分に戻れれば、どちらかが失墜するんじゃなくてさ、どっちもハッピーエンドになって欲しかった。酷すぎるよ。


 映画を見終わった後、二人でクラーク・キーを散歩した。おしゃれなバーやクラブの集まっている地域なのだが、オレたちには優雅に楽しむような資金も時間も無い。せいぜいパール・ティーを片手にひやかすくらいだ。

「夜明るいのは、この街が豊か《リッチ》な証拠だよ」

 生暖かい海風に髪を靡かせて、エレガントなライトアップを眺めながらフェイは呟く。私の父さんってさ、悪い人じゃないんだけど賭け事好きで、生活費まですっちゃうことがあるんだ。代金払えなくて電気止められた時は、怖かった。隣近所だってそんなに明るくはないけど、なんかぽっかり自分のウチだけ深―い穴に落っこったみたいでさ。だから母さんは苦労した。いろいろな日稼ぎの仕事してたけど、手に職をつけるのが一番だって私に言う。

 穏やかな海面は、宝石を散りばめたようにイルミネーションを弾いている。オレは何も言えなかった。電気も水も滞りはしなかったが、オレが小さい頃の家には誰もいなかった。父は多忙でほとんど帰ってこず、母は不信感と孤独に苛まれて逃げ出した。離婚調停は長かった。学校では暴力こそ振るわれなかったが、無視されていた。成績だって運動だってそこそこどころが、どれも半端にできなかった。よく自分こそ物語の中にいて、現実には存在していないのではないかと思ったものだ。毎日悲しいことが続くと、感覚が希薄になっていく。


「ここにはだから、チャンスだってきっと有る」

 フェイは顔を上げて指差した。いつか、あそこにだっていけるはず。閃光を放って夜空に浮かぶのは、マリーナベイ・サンズのインフィニティ・プールだ。摩天楼を泳ぐ巨大なガラスの船。今はとても届かない。けれどいつか、一緒にあそこへ行こう。約束だよ、とこちらに手を伸ばすフェイの瞳が、星のように煌めいた。

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