005 「私の彼氏になってください」

 六時間目まで、私はちゃんと授業を受けた。

 たくさんノートを取ったせいで、シャー芯を二本も使い切ったほどだ。

 これだけ真面目にやったんだから、いいことあるよね……おまじない、うまくいくよね。

 びっしり埋まったノートのページ。

 そのあちこちから微笑みかける、猫のイラスト。

 数学の授業中、試行錯誤の末に生み出した傑作だ。

 

「うまくいきますように……!」


 落書きに願掛けをして、私は大きく頷いた。






 選んだおまじないは、赤ペンを使うもの。

 やり方は簡単。

 まず自分の机を赤ペンでコンコンと叩く。

 そうしたら、好きな人の机を反対側でコンコン叩く。それでおしまいだ。

 難易度1だから、効果は「意中の人と結ばれるかもしれない」という頼りないもの。だけど失敗時のリバウンドは「片方のキャップが無くなる」で、他のよりずいぶんとマシだったからこれにした。


 個室で時間を潰してから、私はそろりとトイレを出る。

 夕日が差し込む放課後、今のところ人影はなし。

 おまじないを見られてしまうと効果がなくなってしまうから、今のうちに済ませなきゃ。

 抜き足差し足忍び足の二倍速、カサカサカサと教室まで――――これゴキブリ頭文字Gみたいで嫌だな……普通に行こう。

 中に人がいないことを確かめてから、するりと忍び込む。机に置いたままだった筆箱から赤ペンを取り出した。


 ふぅ。

 よし。


「――――――いざっ!」


 カカッと二回、できるだけ早く天板を叩く。

 やけに大きく音が響いて、あわてて廊下を見た。……大丈夫、誰も来ないっ。


「いそげっ、いそげっ!」


 ナオの机は三列前の窓際だ。

 緊張で湿った赤ペンを握り締め、教室のぬるい風を切って私は駆け出す。

 目指せ、恋の成就! 私の目に映るのはターゲットの茶色い天板、それのみ!


「――いけっ、雨宮理珠っ!」


「――――リズ……?」


 こつん、と指先に伝わる硬い感覚。

 同時に聞こえた、小さな声に震える鼓膜…………。


 ………………え。


 ギギギ、と私は顔を持ち上げる。


「ボクの机で、何しているの……?」


「――――――あっ………………スゥーッ」


 よりによってナオが。

 私の想い人が、扉の側に立っていた。


 すーっ……と顔が冷えていく。

 指先が震える。

 持っているペンが、勝手にスタッカートを奏でていた。


 コココSコンコンコンOコココS






「え、ええっとぉ……まだ帰ってなかったんだ?」


「忘れ物取りに来たんだよ。で、何をしてたの?」


 やっべー……。

 べー…………。

 べー………………もう少しで扉ー……。


「逃げるな」


 がしっと腕を掴まれる。

 逃走は失敗――あ、でもナオの手だ……ちから、つよい……。


 じゃなくて。


「――――言えないってことは、まさか呪いとか……?」


 ぎくっ。

 思わず跳ねた私を見て、ナオは目を伏せた。


「……そっか。ボク、リズに嫌われてたんだね――」


「ち、ちがう! 違うのナオ、逆なの!」


「――逆?」


 あっ。

 気付いたときには後の祭り。私は勢いで墓穴を掘ってしまった。


 あは。

 あはは!


 ――――頭の中で、何かがぷつんと切れた。多分理性。


「――これはね、恋の魔法。大好きな人と結ばれるおまじない。私、ナオが好きなの。どうしようもないくらい、唐揚げくらいしか喉を通らないくらいなのっ」


 吹っ切れたからか、気分は高揚しっぱなし。

 最高にハイってやつだ! 今なら何でも言える!

 私は想いをぶちまけた。


「だからナオ、私の彼氏になってくださいっ!!!」


 ナオ、ナオうわあああ! ナオナオナオナオナオっ!

 私の想いよナオへと届け! 私の前のナオへと届けっ!


「――――ごめん、リズの彼氏にはなれないよ」


 届かなかった。


「エ゙ェェェ――――――」


「待ってウシガエルみたいな声出さないで」


 ――そんな。

 私の初恋が……。


 目元が熱くなってくる。

 視界もぷるぷると霞んできた。

 ずび、と鼻をすすって、私はかろうじて言葉を紡ぐ。


「…………私の、どこがだめ?」


 教えてくれたら直すから。

 ナオの好みに合わせるから。

 ナオの彼女になれるなら、私なんだってする……。


 すがるように見つめていたら、ナオは困ったような顔で――――。


「――――いやだってボク、女子なんだけど」


 スカートを指さして、そう言った。 

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