記憶を失くした雷
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記憶を失くした雷
今年は雷が無いので、看護師の鈴木
だが、病院を訪れる農家を営む、お婆さんは残念がった。
理由を訊くと、「稲妻ひと光で稲が一寸伸びる」という先人の教えを話してくれた。
雷が多いと豊作になると言われ、雷が田に落ちると良いお米が取れると言われている。
この伝承は、日本全国にあり、科学的に研究されている。プラズマを照射した稲は、照射していない稲と比べて、根や葉の数が多くなっているのだ。
雷に、そのような力があることを波香は初めて知った。
突然降り出した雨。
梅雨の時期に見られる、ゲリラ豪雨というやつだ。
一人の患者が運び込まれた。
細身の青年だ。
処置によって意識を取り戻すが、青年は記憶喪失だった。
彼は落雷現場で倒れていたと言う。
警察は、身内からの捜索願が出てないか調べたが、該当する人物は見つからなかった。
困った警察だったが、とりあえず青年を病院に置いておくことにした。
看護師の波香は、そんな青年に対して同情した。
青年は物静かな性格なのかあまり喋らず、大人しい印象がある。
自分の名前すら分からず不安なはずなのに、弱音を吐かず必死に耐えているように見えた。
いつも窓から空を見上げていた。
そんな姿を見ていたせいだろうか。ある日を境に、波香は積極的に話しかけるようになった。
少しでも気が紛れたらいいと思っての行動である。
最初は戸惑っていた青年だが、徐々に笑顔を見せるようになり会話をするようになっていった。
ある時、看護師の間に妙な噂話が囁かれるようになった。
それは、鬼の影についての噂話だ。
なんでも夜中に窓の外を見ると、黒い大きな影のようなものが見えるのだという。
しかし、ただそれだけの話であり多くの者は信じてはいなかった。
波香も同じだ。
その日の夜、波香は夜勤であった。
時刻は深夜2時過ぎ。
消灯時間が過ぎており院内は静まり返っていた。
廊下を歩く者はいない。
巡回に行くために、波香はナースステーションを出た。
ふと廊下の先を見る。
そこには月明かりに照らされた人型の何かがいた。
一瞬だけ驚いた彼女であったが、よく見るとそれが患者であることに気付いた。
例の青年だ。
青年は階段へと向かう。
屋上へと続く階段を上っていくようだ。
こんな時間にどこへ行くつもりなのだろう。
ふと嫌な予感が過った。
このまま放っておいて良いものだろうか?
波香は青年の後を追うことにする。
青年が向かった先はやはり屋上だった。
フェンスを乗り越えようとしているところを見て、慌てて駆け寄る。
「ダメよ!」
そう声を掛けたところで、波香は足が止まった。
なぜなら、月明かりに照らし出された青年の影が長く大きく床に伸びていたからだ。
そして、影の頭には二本の角のようなシルエットがあった。
その光景を見て驚くと同時に恐怖を覚えた。
(これは何。何が起きているの!?)
波香は混乱した。
そして、青年が振り返る。
「……僕、思い出したんです」
その言葉を聞いて、波香は理解する。
(この人は人間?)
直感的に悟ってしまった。
青年の姿が変わっていく。
手足が伸びていき、肌の色が白く染まっていった。
そして、額からは二対の長い角が生えてきた。
顔も恐ろしい形相に変わっている。
その姿は、まるで――鬼。
波香は恐怖から、その場に座り込む。
「僕は雷神だったんです」
青年――雷神は、人間とは異なる太く低い声で、そう言った。
「な、何を言ってるの?」
波香は問う。
「僕は帰らないといけない。それで、ずっと探していたんです」
雷神の視線が波香に向けられる。
赤く
「何を……」
波香は震えながら後退りをした。
「たより木」
雷神は言った。
【たより木】
雷神は、日本の民間信仰や神道における雷の神。
民間伝承では
雷神は雲の上で雷を司るが、時として地上に落ちることがある。
再び空に帰る時に木を使う。
足場になる高い木を、たより木と呼ぶのだ。
熊本に伝わる『
雷神はフェンスの上に立つと、病院の敷地に生えた木を見下ろす。
それから、波香の方を見た。
「それでは」
そう言うと雷神は、フェンスから飛び降り木の頂部分を踏む。
木は大きくしなると、雷神はそのたわみを利用し、大きくジャンプして矢が放たれたように空へ飛び上がった。
雷光が天に
波香は、呆然とした。
「私は、夢でも見ていたの……」
翌日、病院の庭にある一本の木の根元に、落雷によって焼け焦げたような跡が見つかった。
その年の秋。
波香の住む地域では例年にないほどの豊作となり、良い米が収穫することができた。
夏の雷雨が、その理由だと言われている。
波香は、彼が雷を轟かせながらも決して人や建物に被害を与えず、逆に守ってくれたのかもしれない。
そう思った。
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