第19話 反撃の序章
ソールズベリー郊外に建てられた工場は、四つの建物から出来ている。
手前は厚生棟で食堂や更衣室があり、他に事務系の職場も集められていた。
その奥は二つの工場が並んでいて、核の生産から製品の組み立てまで行っている。
「一番奥は入ったこと無いけど」
二人は普段立ち入ることの無い、建物の前で様子を伺っていた。
工場内で働く社員はIDカードを所持している。マリベルたちは青色で、カードと同色のラインが入った建物に出入りを許されていた。
だが、目の前の建物に示された色は赤。
セキュリティーレベルは最高を示していた。
「看板の説明によると研究棟ですね」
リリベルが言った通り案内板には研究実験棟と書いてあった。
「さて、気配がするのはここね」
出入り口は、荒らされた様子は無いが施錠を意味するランプは消えている。
「開いてるね」
マリベルたちは、音も立てずに内部に入り込んだ。
研究実験棟の内部は、地下に向かって重要施設が設けられていた。
「さて、データーを出して貰おうか?」
どこと無く異形の存在。黒の葬儀でしか着用しないはずの祭服に身を包んでいる。二メートルを超えた長身に比べて異常に細い身体だった。
「ここで何かをやっているのは分かっているのだ。なに、おとなしく協力してくれれば、危害は加えないと約束しよう」
言葉は丁寧だが約束など信用できないだろう。その顔を見れば。
サディスティックな目は、残忍さを隠そうともしない。
(祭服を着ている。まさか聖職者? 教会が実力行使にでたの? いや……どう見てもあれは破綻している)
マリベルたちは、小柄を生かして空調のダクトを通って来た。
天井に空けられた通風孔からは中の様子が良く見えた。
人質は一人。痛めつけられた様子は見えないが、足元には手足を縛られた研究者が倒れていた。
侵入者は全部で五人だと通風孔から確認すると、マリベルは制圧の手段を考える。
見たところ武器の存在は確認できなかった。まさか素手という事は無いだろうが、大型の自動小銃などは所持して無い様だ。
確保するのは人質の安全と決め。出来るかどうか考える。
手話でリリベルに指示を出すと覚悟を決めた。
マリベルは幼少の頃から特殊だった。それでも修道院に引き取られる前は、家も家族もある生活をしていた。
だが……。
誰もが怯えていたのだ。
家族だけでは無い。
出会う人、小さな村のすべての人が怯えていた。
何かをされた訳では無い。危害を加えられる前に怖かった。
なぜなら。
無意識に人を支配するからだ。
通風孔を塞ぐ網を蹴り破った。
「ダレダッ!」
先にリリベルが飛び出す。こういう場合身体の小さな彼女は素早い。錫杖を振り上げ室内を物色していた侵入者を打ちのめす。
「グハッ!」
そしてマリベルは、長身の異形者の前に出た。他はリリベルに任せておけば良い。
「何者だ!」
言葉の影にラテン語のなまりを感じる。日常的にラテン語を使っているのか。
「それはこっちのセリフよ! 勝手に他人の家に入り込んで悪さをしないで頂戴!」
いつの間にか工場は、マリベルの家になったらしい。
「ふんっ! われわれの邪魔をするものは悪。正義を行使するのも権利なのだよ」
どうもいまいち会話が噛み合っていない。
「残念ね。古今東西、侵入者は悪と決まっているのよ! 正義なんてちゃんちゃら可笑しいわ。もっともアタシが言うセリフでも無いけどね」
「そうですね。お姉さまは悪の美学がお似合いですから」
横からリリベルの突込みが入る。
「誰が悪の美学よ!」
言い返すが顔は嬉しそうである。この場合の悪とは、マリベルに取ってほめ言葉であった。
「おお! 神よ! 救われぬ悪魔に鉄槌を! そして……」
手を胸の前で合わせ歌劇の様に歌うと、一息吸って「そして血と懺悔の苦しみを」舌なめずりした。
「うはーっ、飛び切りの狂信者ね。いや、変質者の間違えかしら」
銀の短剣を構えてマリベルのおちょくりは続いた。
さすがに勘に触れたのか「おのれ悪魔の小娘! 神に変わって成敗してやろう」顔色を変えて反応してきた。
「あれあれ? 怒っちゃうんだ?」
「黙れっ!」
相変わらずのマリベルに襲い掛かってきた。
「ふんっ! 遅い!」
つかみ掛かる手を避わすと、後ろ向きにお尻をフリフリ。
「あちゃーっ! 遊んでないで真面目にやって下さいよ」
リリベルはそう言うが、この状態のマリベルは強い。
「ウガァアアア!!!」
叫び声を上げ襲い掛かる相手を翻弄しながら短剣をぶつけた。もっとも刃が付いて無い短剣では致命傷を与えられないのだが。
「ぎゃっ!」
当てた場所から煙が上がる。
「くくくっ、やっぱり悪ね。聖剣が仕事してるわ」
空間はマリベルが支配し始めた。
※
マルタ修道院は宗教関係者に忌み嫌われている。それも上層部、俗に導く立場の者ほど嫌っていた。
理由はあきらかで、神を隠れ蓑に残虐な数々の行為を行なっていたからだ。
それは歴史の裏側に隠された犯罪行為で、要人誘拐や暗殺はもとより革命の成功などもあった。
それらを可能にしているのが悪魔憑きと呼ばれる特殊な人間であった。
生まれながらにして人外の力を持つ者。
そう……マリベルの様な。
マリベルはお願いする。
「ねえ? お願いだから、そこの怖い人を何とかしてくれない?」
人質の横に立つ、黒の祭服を着た男。
一番後ろで油断無く構えていた。
「誰が悪魔の言う事など聞くものか!」
「うんうん、気持ちはよーく分るよ。でも、お、ね、が、い」
はたから見ていれば、小娘がおちょくっているだけだ。
「なにを! ふざけるな!」
いきり立つ男達。
「いやーん! 怒っちゃやー!」
長身の異形者が憤怒の表情で立ち上がる。
身体から焦げ臭い煙をあげながら。
「うがあああああああ!!! フザケルな!」
「あらあら、怒らせちゃったかしら?」
どこまでも、からかうつもりの様だ。
「でも……残念でした」
マリベルがそう言う前に。
「ぐ、はっ! ……なっ! なに……」
後ろでマリベルに怒りの目を向けていたはずの男。
その手に握られていたナイフ。
さっきまで人質に向けていたはず。
「……ば、馬鹿な……」
長身の異形者の背中に突き立てられていた。
「な、なんで……」
刺した男は何がおきたのか理解できない。
「うわー……お姉さま悪趣味ですね。でも手間がかからず楽が出来ました」
リリベルはそう言うが、すでに他に立っている者は残っていない。
残るは、仲間を刺した男だけ。
「あ、ああああああ……なんで……どうして……」
「さーて、ちょうど壊れかけだし、少しばかり教えてもらおうかな? ねえ、アナタたち誰から指図されたのかしら?」
「っ! そ、それは……まっ! 待て! お、俺に何を……」
「うふふ、さあ! さっさと吐いて頂戴! そこの人にお礼(美味しい物)を貰わなくちゃいけないんだからね!」
助けた報酬が美味しい物とはどうかと思うが、横のリリベルも満更でない様だ。
彼女らは神など信じていないし、報酬にも興味は無い。
残るのは自分の欲望のみなのだから。
「すまない、助かった」
焔静人は日本人らしく感謝の言葉を伝え二人からおねだり(・・・・)されたベーグル──研究室に差し入れされていた──を早速振舞うと紅茶の準備をしていた。
聞きたいことは沢山あるのだが、それでも礼を失わないのは育ちが良い証拠である。
「もぐもぐ……良いって良いって」
「そうですよ、気にしなくて結構ですから」
ほお袋一杯のリスのごとく、袋一杯のベーグルが消えていく。
侵入者に付いては極秘に警備員が片付けていた。今頃はしかるべき処置を取るために連絡に忙しいのであろう。
「しかし……相手がバチカンとは……」
「結構ありますよ。あそこはヘンなのが、いっぱいいますから」
「うんうん、お金と色欲しかない世界だから」
カソリックの総本山を相手に酷い評価だ。
これも神を信じていない修道院ならではなのか。
もっとも、神を説く立場の者ほど、神の存在に疑問を持っていたのも事実である。町の教会辺りではそんなことは当然無いのだが、もっと上の立場で聖書(真実)に触れられる者は希望を失っている。
希望を失ったものが取る道は決まっていた。
欲望に忠実になるか狂信者を目指すか。
今回、襲撃して来た連中は後者である。
「ところで……。そろそろ聞いても良いかね?」
「ギクッ!」
「いやいや、そんなリアクションいらないから」
「えーでも……」
「あはは、心配しなくても大丈夫」
普通で考えれば二人は怪しいのだが、静人は特に危険は無いと思っていた。
そして静人のカンは良く当たる。
※
ソールズベリー襲撃の報を受けて、一番反応したのはやはりマクラレンだった。
「警備は何をしていた!」
彼が動揺するのも当然だろう。
いま現在アキトを取り巻くなかで、最大の利益を受けているのが英国である。
EU統合に対して、一番距離を取っていた英国が影響力を行使しているのだ。
しかも場当たりな財政的支援では無く、経済発展の投資を主導しているのだ。
これはある種の植民地支配とも言えたが、当事国からは感謝される。
その基盤がアキトなのだ。
当初、技術の秘密を奪うことも検討されたが、全面支援によっての共存を提案して成功を収めていた。
もちろんアイラのウインストーン家との関係があってこそだが、マクラレンの果たした役割も大きい。
「手を打たねば……。まずは王宮に相談してくる。緊急閣議の用意も頼む」
さて、マクラレンはどういう手を打つと言うのだろうか。
※
一方アキトと言えば。
「証人喚問?」
「いや参考人招致だってさ」
否協力的な俺の態度に、業を煮やした民政党は国会への参考人招致を求めてきた。
理由は若年性ガン治療薬についてだった。
「ほれ、薬の許認可を申請しろって言われたじゃない」
夏希が言うように欧州の発表からしばらくして、俺のところへ厚生労働省から担当者が飛んできた。
表向き父親を立ててはいるが、誰が見てもアキトが絡んでいるのはすぐ分る。
「他に温暖化への対策の協力も断ったし。恨み骨髄じゃないの」
美枝はあきれた様に言う。
特定アジアに対する配慮が透けて見える要求など受けれるはずも無いというのに。
事実、諸外国の反応は俺に好意的な流れになっていた。
「もうこうなったら、日本を捨てちゃえば?」
沙月がやけくそぎみに提案した。
「……。そうだな……そうしようか」
「えええええええ!!! マジで! うそおおおお!!」
冗談で口にしたのを真顔で返され焦る沙月。
「もちろん、日本のみんなを見捨てる訳じゃないよ」
そう答えてみたが面倒な事ばかりで、じゃっかんイラついていたのは事実だった。
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