自称ドSのヤリ○ン王子が、わたくしの可愛い妹を狙ってるですって!?

亜逸

自称ドSのヤリ○ン王子が、わたくしの可愛い妹を狙ってるですって!?

 今年二〇歳を迎えたばかりの、ローアイン公爵家長女のシーナには五歳下の妹がいる。

 名前はフレミアといって、天使のように――否! 天使よりも愛らしい少女だった。


 そのフレミアを、社交界においてはヤリ○ン王子と陰口を叩かれているダグラス王子が狙っている。

 そんな噂を耳にしたシーナは、ダグラスも顔を出すという情報を聞きつけて単身、王城で開催されている社交パーティーに出向いた。


(ヤリ○ン王子の分際で、わたくしの可愛い可愛いフレミアを狙っているですって!? 不敬にも程がありますわ!)


 立食形式のパーティで紅茶を堪能しながら、不敬にも程がある独白を心の中で吐き捨てる。


 ダグラスはヤリ○ン王子と陰口を叩かれていることからもわかるとおり、王子という立場を利用して貴族の令嬢に関係を迫り、ヤりたい放題ヤっているクズ野郎だった。

 しかもこのクズ野郎ときたら、あろうことかドSを自称している。


 これは友人伝手で聞いた話だが、ダグラスにヤられた令嬢は肉体的にも精神的にも傷つけられ、部屋に籠もりきりになってしまっている娘も少なくないとのことだった。


 肉体的であろうが精神的であろうが、可愛い可愛いフレミアを傷つけられてしまったら殺人事件に発展させる自信があったので、それを未然に防ぐという意味でも、ダグラスには妹のことを諦めさせなければならない。


(そもそもSを自称する人間の多くが、勘違い野郎ばかりなのが困りものですわ。Sに最も必要とされているのは相手を労る気持ち。相手が求める苦痛を理解せずに、ただ自分が気持ちよくなるためだけに相手を痛めつける輩を、わたくしは断じてSとは認めませんわ――って、わたくし何の話をしているのかしら?)


 小首を傾げながらも、紅茶を啜る。

 気分的にはシャンパンを飲みたいところだったけれど、そろそろ現れるであろうダグラスと酒が入った状態で対峙したら、それこそ本当に殺人事件に発展する恐れがあったので、ぐっと我慢する。


 しばらくして、ようやくダグラスがパーティー会場に姿を現す。

 腐ってもこの国の王子というべきか、会場に足を踏み入れただけで多くの紳士淑女の視線を集める中、当のダグラスは獲物を物色するような視線を淑女限定で巡らせていた。


 シーナはあえて、ダグラスなど見ていないとばかりに、素知らぬ顔をしながら優雅に紅茶を啜る。

 ダグラス側の視点を想像した場合、多くの者が自分に目を向ける中、ガン無視している人間がいればさぞかし目立つだろうと思ったから。

 そしてその人間が、次の獲物に定めている少女の姉だとわかれば、無視はできないだろうと思ったから。


(ヤリ○ン様が、わたくしの顔を知っているかどうかは賭けになりますが……まあ、それならそれで、こちらから接触すればいいだけの話ですわ)


 敬称をつけたことで余計に不敬さが増したことはさておき。

 どうやら賭けには勝ったらしく、ダニエルが真っ直ぐこちらに向かってくる様子が視界の端で見て取れた。


 ほどなくして、傍までやってきたダグラスが話しかけてくる。


「やあ、シーナ。こんなところで会えるなんて、僕は嬉しいよ」

「これはこれは、ヤ――ゲフンゲフン、ダグラス様。ご機嫌麗しゅう」


 完全に初対面なのに旧知の仲のようなノリで話しかけてきたダグラスにイラッときて、思わず「ヤリ○ン様」と呼びそうになるも、咳払いで無理矢理誤魔化ごまかしてから、持っていた紅茶を近くのテーブルに置き、うやうやしく一礼する。


 淑女の中にはシーナが言わんとしていたことを察した者が何人かいたようで、噴き出すのを誤魔化すためか、シーナと同じように「ゲフンゲフン」と咳き込んでいた。


「フレミアのことで君に相談したいことがあってね。ちょっと別室まで付き合ってくれるかい」


 は? 何わたくしのかわいい妹を呼び捨てにしくさってるんですの?――という、理不尽極まりない心中はおくびにも出さず、笑顔でダニエルに応じる。


「ええ。喜んで」


 そうしてダニエルとともにパーティー会場を後にしたシーナは、城内にある客間の一つに案内される。

 中に入って扉を閉めると、ダニエルはすぐさま話を切り出した。


「単刀直入に言うよ。シーナ……僕とフレミアの仲を取り持ってくれないかい?」


 ほらきた――と、害虫でも発見したような物言いで心の中で吐き捨てながら、シーナはやんわりと固辞する。


「フレミアは、最近ようやく社交界にデビューしたばかり。言ってしまえば雛鳥のようなもの。雛鳥にダニエル様の相手を務まるとは思いません。ですので今しばらくは、温かく見守ってはいただけませんか?」


 これで引き下がってくれるとは、シーナも思っていない。

 だがそれでも、こちらの返事に対してダニエルが鼻で笑って返してきたことは、さしものシーナも想定外だった。


「雛鳥だからいいんじゃないか」

「と申しますと?」

いも甘いも知らない雛鳥ほど、痛めつけたら良い声で鳴いてくれんだよ!」


 クズ極まりない発言を、ダニエルは満面の笑顔で語り始める。


「僕はね、『やめてください』『許してください』と懇願する女性を痛めつける瞬間が、この世で最も楽しいんだよ!」


 せめて心の内に留めておけよヤリ○ン様――と、心の中で口汚く罵っていると、


「特に、酸いも甘いも知らない少女を痛めつけることが大好きでね! 特にフレミアは見た目が小動物のように愛らしいから、どんな顔で泣いて、どんな声で鳴いてくれるのか楽しみで仕方ないよ!」


 シーナの内に眠る虎の尻尾を盛大に踏みにじられ、彼女の顔から表情が消える。


「なぁに。君はただ王子である僕に妹を差し出すだけでいい。王子にいたぶられるなんて滅多にできない経験を、君の妹に味わわせ――ぶばぁッ!?」


 気がつけば、目の前にいる王子の右頬に平手打ちをかましていた。

 それも、王子の首が九〇度以上曲がるほどの威力で。


「な、なにをする!? 僕はこの国の王子だぞ!? はっ、待てよ……これを理由に、フレミアを僕のペットとして差し出すようにローアイン公爵に命じ――えばぁッ!?」


 今度は左頬に平手打ちをかます。

 今度は、一〇〇度くらい首が回ったような気がした。


「こ、このクソ女! こうなったらお前を僕のペットにしてやる! 僕がやられた以上に痛めつけてやるから覚悟をしとけよ!」


 ダニエルは叫ぶだけ叫んで防御姿勢をとるも、一向に平手打ちが飛んでないことに気づき、おそるおそる訊ねてくる。


「……たないのか?」

「ええ。わたくしが言われる分には」

「なっ!? 自分のことはいいというのか!?」

「ええ」

「ならばフレミ――ばぁッ!?」


 右頬に平手打ちをかましたら、ダニエルは錐揉み状に回転した末に床に倒れ伏した。


「…………なんで?」


 今際いまわきわを思わせるほどに弱々しい声音で訊ねてくるダニエルに対し、シーナは事もなげに答える。


「あなた様が、フレミアの名前を口にしようとしたからですわ」

「理不尽すぎるだろ……それ……」


 その言葉を最後に、ダニエルは気絶する。

 ほんの少し前までフレミアの名前を呼ぶことを許されていた分、なおさら理不尽に感じたことだろう。


 シーナは、完全に気を失っているダニエルを見下ろし、


「……やってしまいましたわね」


 ダラダラと冷汗をかく。


 このヤリ○ン様ときたら、言うに事欠いてわたくしの可愛い可愛い妹をいたぶるだのペットにするだのとほざいたのだ。

 プッツンいってしまうのは仕方ないし、気絶するまで平手打ちをかましてしまうのも仕方ないですわ――と、ものの数秒で開き直ったシーナは、気を失っているダニエルを担ぎ上げ、ソファに寝かせる。


「よし。これならどこをどう見ても泥酔して倒れたようにしか見えませんわ」


 これでフレミアのことは解決できたかどうかは微妙だが、このろくでもない王子様に〝痛み〟を刻みつけることはできた。

 これならしばらくの間は〝痛み〟が脳裏にチラつき、ひいてはわたくしの顔が脳裏にチラついてフレミアに手を出そうとは思わないだろう――と、ツッコみどころしかない結論を下したシーナは、ダニエルを放置して意気揚々と部屋から出ていった。




 そして、シーナは何のお咎めもないまま、当のシーナはそのことに何の不審も抱かないまま数日が経ち――




「わたくしに届け物? ヤ……ダニエル様から?」


 またしても「ヤリ○ン様」と言いそうになったことはさておき。

 私室まで届け物を持って来てくれたメイドを労った後、シーナはテーブルの上に置いたダニエルの届け物を「むむむ……」と睨みつける。


 届け物は細長い形をした箱だった。

 そして箱の上には「親愛なるシーナ様へ」というおぞましい一文が書かれた手紙が貼り付けられていた。


 まずは手紙を読むことにしたシーナは、封を開けて中に入っていた手紙に目を通す。






 ※ ※ ※


 親愛なるシーナ様へ。


 あの日わたくしめは、シーナ様に打たれたおかげで目を覚ますことができました。


 これからは心を入れ替えて、あなた様に尽くしていきたいと思います。


 それから、不遜にもあなた様に数々の非礼を働いたお詫びとして、ささやかな品をプレゼントさせていただきました。


 気に入っていただけることを、次にわたくしめとお会いする際にその品をご持参していただけることを、心より願っています。


 ダニエル・ルマ・オルディアより


 ※ ※ ※






「……なにこれ」


 率直な感想が口をついて出る。


 理解できなかった。

 手紙の内容もさることながら、あのヤリ○ン王子がどうして自分にここまでへりくだっているのかが、全くもって理解できなかった。


「まさか、わたくしの平手打ちをくらって、頭がおかしくなってしまいましたの?」


 もしそうだったならば、さしものシーナも罪悪感を覚えずにはいられなかった。が、そんなものを覚えるのは、ダニエルの言う〝ささやかな品〟を確認してからだと開き直り、卓上にある細長い箱の蓋を開けた。



 箱の中には入っていたのは、鞭だった。



 革紐がいっぱい付いている、バラ鞭だった。



 シーナはバラ鞭を手に取り、マジマジと見つめてからフッと微笑む。

 そして、


「って、目を覚ますことができたって性癖そっちの話かい!」


 ツッコみを入れながらバラ鞭を思い切り床に叩きつけた。


 こうして自称ドSのヤリ○ン王子は心を入れ替えてドMになった。

 その結果、シーナは可愛い可愛い妹を守ることができたわけだが。


 以降、ヤリ○ン王子にしつこく付きまとわれることになることも、


 そこそこに遠い未来に、紆余曲折を経てヤリ○ン王子と結婚することになることも、


 ヤリ○ン王子を更生させた手腕も含めて、賢母として名を馳せることになることも、


 プレゼントされたバラ鞭が結婚前も結婚後も大いに活躍することになることも、


 この時シーナはまだ知る由もなかった……。

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