第4話 呪物系ネット怪異譚と民俗博物館
筆者は以前、某所の民俗博物館でアルバイトをしていた。
ある日、収蔵資料の整理中に裁縫箪笥の小さい
これは針山(針を刺しておく布袋)に詰めるためのもので、人毛に含まれる油脂が針の滑りを良くすると同時に錆を防ぐ。現代においても実践される合理的な技法であり、ひと昔前まではありふれた物だったろう。
とはいえ、古びた抽斗に毛髪がギッチギチに詰め込まれているビジュアルには正直ビビるインパクトがあった。
古い家の遺品整理などの際に箪笥の抽斗に毛髪の束を発見してしまったら、呪術の類と誤認する現代人は多いのではないだろうか。
「箪笥の抽斗に毛髪が詰まっている」という状況そのままではないが、鏡台箪笥、抽斗、人毛というモチーフを軸にしたインターネット怪異譚が存在する。
「パンドラ - 禁后」というタイトルの話だ。
数あるネット怪異譚の中でも特に生理的嫌悪感を感じさせる描写を含む作品であるため注意が必要だが、検索していけば全文が掲載されているサイトが発見できるほか、YouTubeにも朗読が上がっている。
(なお掲載サイトによって禁后、パンドラの表記順は前後する)
ストーリー中に、ある家系の母親から娘へと代々受け継がれる呪術的な儀式があり、鏡台とその抽斗の中に入れられたアイテムが重要な役割を持つ。
化粧品や裁縫道具が収納される鏡台や箪笥は嫁入り道具として何代にも渡り、それらを駆使する技術と共に受け継がれてきた。
性役割分担が強い家庭観のもと女性から女性にのみ継承される道具をおさめた抽斗は、確かに秘術的なイメージを纏う。
パンドラ - 禁后の作者も、古い鏡台の抽斗に人毛を見つけてしまった経験があるのではないだろうか。
現代人にとっては驚くべきことに日本でも半世紀ほど前までは、ほとんどの衣類は各家庭内で女性により布地から自作されてきた。
筆者も古民家や蔵の片付けに関わった際に、縫製で余った端切れ布や各種の糸類が大量に保管されているのを多く目にしたことがある。
物の価値は移ろいやすいが、古物のなかには本来の用途とは全く別の価値を見出されるものもあり、それは壷や掛軸といった骨董品の類にとどまらない。
上記のような古布、端切れなどがその一例だ。
現代的な大量生産品には無い質感や、経年劣化によって生じた独特な風合いの愛好者は数多く、ファッション業界でもリメイク素材として用いられる。
とくに補修の跡が幾重にも積層した「
実家や親類が古い蔵を所有している読者諸氏には、もしも蔵からボロボロの継当てだらけの半纏などが出土した場合、捨てる前にネットオークションなどに出品してみることをお勧めする。
金銭的価値以上に、それは人類の宝である。
(余談だが、古物業者から聞いた話。古い蔵の二階部分には布団類が収納されていることが多いが、その布団の間に腕を突っ込んで探ると脇差が隠されていることがあるらしい。なお日本刀の所有には警察への届け出が必要)
だいぶ話題が筆者の趣味に逸れてしまった。
ネット怪異譚にたびたび見られる描写に、悪意をもって残された呪物や忌み地が長期間封印されることで徐々に力を失っていく、というものがある。
先述のパンドラ - 禁后で問題の鏡台は、それを安置するためだけに建てられた玄関の無い『誰も入ってはいけない』とされる家屋内に置かれていた。
何世代にも渡り人目を避けて供養を続けることでそこに込められた怨念を薄れさせる。知名度の高い「コトリバコ」の木箱や「かんひも」の腕輪などが好例だ。
半減期と呼ばれる時間をかけて線量を減衰していく放射性廃棄物を連想する。
現実の博物館の収蔵庫にも、専門の研究者以外には非公開のものが存在する。
「呪い」の定義にもよるが、ある意味で呪われているため一般公開できないもの達だ。
例えば「○○と□□を離縁させてください」というように実名が明記されてしまっている“縁切り絵馬”の現物資料などがそれにあたる。
一般的な寺社で見られる馬の絵のものと違い、背中合わせに俯いて立つ男女が描かれたこの絵馬には、自分が縁を切りたい相手や、親族とその交際相手などの極めて個人的な情報が、縁切りの神に宛ててのみ切実に吐露される。
こういった本来なら人知れず焼却されるべきものを、おそらく奉納者の意に反した上、多大な労力を払って収集保存し続けるのは、それらが民俗学という学問にとって人間の文化と精神の在り様を記録した重要な研究資料であるからだ。
一般的な絵馬であっても、具体的すぎる個人情報が記されたものは収蔵庫の中に留め置かれる。
縁切り絵馬を書いた人間と、そこに名を書かれた人間は今もどこかで生きていて、そのどこかとは、これを読むあなたとも地続きの場所なのだ。
いわゆる「名家」と呼ばれる家から寄贈された資料のなかの、とある尋常小学生の日記には「お父さんが南洋から帰ってきました。」という記述とともに軍艦の絵が添えられている。
おそらく高位の軍人であったろう父を持つ、この少年の日記帳の表紙に書かれた名前をgoogle検索してみると、名の知られた大企業のWikipediaページの創業者の欄に行き着いた。
日記を書いた100年前の少年は、未だ我々と地続きの場所にいる。
父親である海軍将校の動静を絵日記に書いてしまうのは、厳密には当時の軍事情報の漏洩にあたりそうだが、そんなことは預かり知らぬ子供は何でも日記に描いてしまう。触らぬ神に祟りなしだ。
少しまわりくどかった。具体的な例を挙げよう。
遊郭から収集された資料群のなかには各種帳簿類に混じって「顧客名簿」が存在する。これがシンプルにマズイ。
江戸、大阪といった政治と商業の中心部に遊郭街が発達するのは、そこで重要な会議や商談、要人の接待が行われたからだ。
歴史教科書に見覚えのある偉人が名を連ねる高級遊郭のお得意様リスト、もう言うまでもないだろう。
その偉人達の孫や曾孫にあたる人物が現役の大物政治家であったりするのだから、国からの支援に少なからず支えられる博物館が必要以上に神経質になるのは致し方ない。
かつては合法であったモノや、かつては許容されていたコトの物的証拠として学術的な価値があるものでも、現在の法律上、所有そのものが違法となる物もある。
1951年に取締法が制定されるまではヒロポンという商品名で普通に市販されていた覚醒剤は、資料番号を振ってリスト化してしまうと煩雑な法律上の手続きや管理コストが発生する。故に収集された当時のまま、未整理のままに収蔵庫の奥で眠り続ける。
ここまできて今さらなのだが、この文章は全て筆者の創作、フィクションとして受け取って欲しい。
実は顧客名簿とヒロポンの件は古株の学芸員から聞いた話であり、筆者は実物を拝めていない。
博物館の場所は伏せたが、収蔵庫の呪物に関して、あそこの偉い人達がマジで神経質なのだ。
呪いが解けるのは、まだずっと先だ
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