第2話

 棚をみても、ベージュの帽子は見当たらない。

 秋冬ならいざしらず、夏服にベージュは合わせにくい気がする。

 通年つかえる帽子なのかしらん。

 女性店員に、色違いの帽子はあるか尋ねたが、甲高い声で棚に並んでいるだけしかないと返事。

 百貨店の人は、そよ風のように受け答えしてくれると思っていたのだけれど、いつから変わったのかしらん。

 購入をあきらめたわたしは、エスカレーターへと足を向けた。



 別の日。

 テレビで放送された百貨店に行くしかない、と意を決したわたしに迷いはなかった。

 小走りで下る、昼前の駅前。

 五月の風が心地よい。

 よっつめの駅を下りる。

 名古屋である。


「どなたへの贈り物ですか」

 駅に隣接する百貨店の一階。

 商品が並んでいる棚を眺めていると、黒いスーツを来た女性店員に話しかけられた。

「母です」

 相手へ顔を向けつつ、飾られている帽子へと手をかざす。

「こちらの帽子は、なかなかおしゃれですね」

 以前、番組内で放送されたときに数秒間、画面に映った、前つばが上向きになったベージュのブルトンハット。

 ただし、コサージュのデザインが若干異なる。

 ステッチの入った黒いリボンで花飾りが側面にあしらわれていた。

 同系の帽子。

 だが、おそらく、すでに売れてしまったのだ。


 棚には、『帽子を触られるときは必ず、両手でお持ちください』と書かれた札が、置かれてある。

「こちらは、職人が丁寧に作り上げたものです」

 女性店員は両手で支えるように下ろし、みせてくれた。

 さりげなく裏返して値札を見る。

 税込み、七万九千二百円。


「実に素敵な帽子ですね。夏用ですか」

「もうお使いできますよ。連休も明けましたので、今日からかぶられてもいいです。今年のような暑い年でしたら、春先から残暑までお使いになれます」

「さすがに冬は無理ですね」

「お召し物と似合わなくなってくると思います。冬服の生地にあった素材の帽子を合わせるようになりますので」


「なるほど、おっしゃるとおりですね」

 さり気なく帽子を棚に戻し、

「では、夏用で、オススメはどれになりますか」

 女性店員にたずねると、

「こちらの商品になります」

 一つの帽子を、両手で棚から下ろした。


 麦わら帽子を彷彿させる色に黒いリボンが結ばれた、釣り鐘を彷彿させるような形をしていた。

 たしか、カサブランカという名前だったはず。

「材質は麻なので、通気性も良く、深くかぶる格好になります」

 帽子を受け取り、手触りを確かめる。

「リボンが黒なのはいいですね。結び目は前なのですか」

「そうですね。ここ数年の流行りは、前に結び目がきます」


 そういえば、と思い出した宮家の人たちがかぶられている帽子。

 リボンの結び目は前だった。

「結び目が後ろのイメージがあったのですが、変わったのですね」

 さり気なく裏返す。

 税込み、四万五千九百円。


「悪くはないのですが、母の好みは黒でして」

 棚に戻しながら、他の帽子に目を向ける。

 夏用が売られているせいか、黒い帽子は数えるほどもない。

「黒でしたら、こちらの商品はいかがでしょう」

 女性店員が手にしたのは、先程と同じ形状の黒い帽子だった。

「材質は麻でできています。これからの季節、すぐにお使いなれます」 


 かぶって見せてくれた帽子の側面には、リボンのようなコサージュが飾られていた。

「涼しげですね」

 帽子を受け取り、さり気なく値札を見る。

 税込み、四万六千八百円。


「こちらは、洗濯はできないのですね」

「洗濯ができるものですと、材質がポリエステルのものがございます」

 女性店員は、台の上に飾られている帽子へと手のひらを向ける。

「こちらでしたら洗濯はできますが、ご用意できる色は展示しているものだけですので」

「ピンク系と淡い紫……、ブルー系だけですか」

「それにポリエステルですと、朝に比べて通気性が悪く、蒸れやすいですね」

「なるほど。いまの季節の暑さならいいけれど、夏の猛暑を考えると、通気性は大事ですね」


 蒸れるから、洗濯しなければならないのか。 

 かといって、通気性を選ぶにしても手持ちが心もとない。

 さて、どうしたものか。


「他に、黒い帽子はありませんか?」

「黒はあまりご用意がないのですけれども」

 女性店員は、棚の下の引き戸を開ける。

 数十の帽子が、きれいに横向きに並べられて収められていた。

 その中から、黒い帽子を一つ取り出した。


「こちらの帽子は通気性に優れ、紫外線を抑える素材が使われています」

 浅めのつばが幅広に巻き上がった、ブルトンハットである。

 帽子をかぶる部分は、メッシュ状になっており、ワンポイントにコサージュが側面にあしらわれていた。

「通気性もですが、軽い素材をつかっておりますので、非常にかぶりやすいです」


 持たせてもらう。

 いままで持った、どの帽子よりも軽かった。

 さり気なく裏返す。

 税込み、二万二千円。


「軽くて通気性がいいですね。だから洗濯はできないのですね。なるほど」

 じっと、帽子をみつめる。

 気になるのは、メッシュ生地部分だ。

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