1.果てしない後悔
どうして、なのだろうか。
「ラウラ・ボタニーア。聖女としての義務を怠った罪で、地下牢に幽閉する」
どうして私は、こんな黒くてジメジメとしたところに閉じ込められているのだろうか。
「本来は敵前逃亡は死罪に値する。だが、いままでの功績を踏まえて、すぐ処刑されることはない。よかったな、ラウラ」
檻の前にスカーニャ帝国の第二皇子であり、私の婚約者のアルベルト様がいる。
彼は碧い瞳に、嘲笑を滲ませていた。
「まったく。後ろに下がっていろという指示を、逃げろと捉えるなんて。聡明なはずの聖女様が、どうしたんだろうねぇ」
そう言ってわざとらしいため息を吐いたのは、カルロス・ボタニーア。私の上の兄だ。
二人は、皇室第二騎士団に所属していて、私も聖女として同じ騎士団で働いていた。
「カルロス。ラウラだって、怖かったんだろうさ。つい、逃げ出してしまうほどに」
言い返したいのに、喉が焼け付くように熱くて、言葉にならない。
私はアルベルト様の指示に、従っただけなのに。
思い返すのは、一週間ほど前のことだ。
森の中の野営地が、盗賊に襲われた。盗賊とは名ばかりで、敵国が扮していたらしい。
私やアルベルト様を含めて、第二騎士団の一部隊がそこにいた。一度前線から身を引いて、体勢を立て直すために。
野営地には火が放たれ、多くのテントが焼ける火事に見舞われた。
盗賊団は思ったよりも手強かった。騎士団員の数人が犠牲になり、私は一人でも多く助かるように傷を癒そうとしたのだ。
だけどその時、アルベルト様に腕を掴まれた。
「なにしてんだ、ラウラ! 逃げろ!」
「逃げたら多くの騎士が死んでしまいます。私は聖女として、一人でも多くを救わないと」
「この盗賊団はなんかおかしい。このままここに居たらおまえを護ることができないかもしれない。まだ戦争は続いているんだ。聖女を死なせるわけにはいかないんだよ!」
「アルベルト様は、どうされるのですか!?」
「俺もカルロスも、すぐ追いかけるから。後で合流しよう!」
いつになく必死なアルベルト様に押されるように、私はまだ火の手が回っていないところから森に逃げた。火はまだ森には引火していないように見えた。これぐらいの火ならお兄様やほかの騎士たちの水魔法で消火できるだろうし、ただの盗賊団相手なら第二騎士団が後れを取ることはないはずだ。
盗賊団は手強いらしいのに、逃げてもいいのだろうか。
一抹の不安がありつつも、私はもしもの時の合流地点に向かった。
だけど翌日になっても、アルベルト様やカルロスお兄様、他の騎士団の面々もやってこないので、野営地があったところに戻ると……。
「ラウラ、残念だよ。まさか聖女であるお前が役目も果たさずに、敵前逃亡をするなんてな」
アルベルト様とカルロスお兄様、それから生き残った騎士たちが恨みがましい瞳で、私を待ち受けていたのだった。
騎士に捕らえられた私は、すぐに口輪をされてしまい、本当のことを訴えることもできなかった。
そのまま帝国に帰還した私は、敵前逃亡の罪を問われて、牢に入れられてしまった。
「アルベルト、様。どうして……?」
口輪はもうとっくに外されていたけれど、喉が焼けるように熱い。
絞り出した声に、アルベルト様はクッと笑った。
「戦争が、終わったからだ」
「……え?」
「隣国と手を組んでいた大国が、一週間前にこちらに寝返ったんだよ。それで隣国もやっと、やあああっと、全面降伏を宣言したんだ」
隣国との戦争は、幾度の停戦を挟みながらも、何十年も続いていた。
四年前に大国と手を組んだ隣国が、スカーニャ帝国に攻め込もうとしてきて再び起こった戦争は、聖女である私や皇室騎士団も前線からほとんど離脱できないほど、苛烈さを極めていた。
それが、やっと終わったんだ。
安堵する気持ちと同時に、私は気づいた。
「一週間前……」
それって、私が敵前逃亡をしたとして捕まった頃なのではないだろうか。
「それにしても不思議なこともあるよね。
「しかもその賊が、隣国の紋章の入った盾とか剣を持ってたんだから驚きだ」
カルロスお兄様の気安い口調は、第二皇子――に対してではなく、親友としてのものだろう。騎士団長と副団長、または皇子と公子としての立場の場合はきちんと礼儀を持って接しているが、それ以外だとこうして砕けた口調で冗談を飛ばし合っている。二人の会話がただの冗談だったらよかったのに。
「たまたま、
「ああ、ほんとうに、あの国が
ふたりの会話を聞いて、頭の中にとある仮説が浮かび上がった。
もしかして、あれは――アルベルト様たちの……。でも、だとしたらどうして仲間の騎士を見捨ててまで……。
喉の奥がカッと熱くなって、大きな咳が出る。
ゴホゴホと咽る私を、二人はただ冷たい目で見下ろしていた。いつもは優しく微笑みかけてくれるのに、人が変わったような瞳に見つめられて、胸の奥が冷たく凍りつく。
「そういやあ、そろそろだな。おまえの妹――クララに子が産まれるのは」
「ああ、皇太子との子だから、男児が産まれたら未来の皇帝になるかもしれないね。いまから楽しみだよ」
「戦争も終わったし、聖女もいなくなるから、女児だったらもしかしたら次の聖女かもしれないぞ」
「たしかに、そうかもね。でも、次の聖女は俺の子だといいなぁ」
「はは、見た目に似合わず欲深いお前らしいな」
クララの懐妊の知らせを、数カ月前にみんなで祝ったこと思い出す。あの時は私も嬉しくて、クララの幸せを心の底から願っていた。アルベルト様もお兄様も、みんな笑顔だったはずなのに。
どうして、こうなったのだろうか。
「ああ、そうだ、ラウラ。犯罪者のおまえとは婚約を破棄したから、もう俺のこと名前で呼ぶなよ」
「いや、呼べるわけないよ。熱で喋るのもやっとだし」
「罪人を診てくれる医者なんておらんからな」
「どうせ死刑になるし、いま死んでも同じじゃない?」
「はあ、兄上がごねて死刑を先延ばしにするから……まだこの顔を、見ないといけないじゃないか」
「レオナルト殿下も、困ったお方だよね」
レオナルト様。この国の皇太子で、クララの夫。
でもレオナルト様は、私のことを嫌っているはずなのに。……いいえ、そうね。嫌いだからこそなのだろう。
嫌いだからこそ、罪を犯した私を厳格に裁こうとしているのだ。レオナルト様はそういうお方だ。
「じゃあね、ラウラ。俺たちはもう行くよ」
「カルロス、俺はこの後寄るところがあるから、報告は任せたぞ」
「ああ、侯爵令嬢のところ? 大変だね、ご機嫌を取るの」
「四年もまともに会えてなかったからな。でも、やっと戦争が終わってよかったよ」
最後に私を一瞥すると、アルベルト様は背を向けて、扉から出て行った。
去り際、聞こえてきた声に、私の胸はさらに冷たくなった。
「このまま戦争が続いていたら、対外的にもラウラと結婚をしなきゃいけなかったからな」
扉が閉まる音が、やけに頭の奥に響く。
アルベルト様、戦争が終わったら私と挙式をする約束をしていたのではなかったのですか?
声にならない問いかけは、誰にも届くことなく消えてしまった。
喉の奥は焼けるように熱いのに、体はなぜか寒かった。
牢獄に収監されてすぐ流行り病に罹ってから、ずっと治まらない咳に全身の悪寒。
魔力を封印された状態だから、自分で病を治すこともできないし、いまの私は無力なのだ。
私はもうすぐ死ぬ。
それだけは、わかっていた。わかってしまった。
朦朧とした意識の中、どれだけ時間が経ったのかはわからないけれど――。
死の間際まで、私はただ、果てしない後悔を味わっていた。
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