6.ホワイトドラゴン


 人が通れるように整備されている道から外れて、私はドラゴンを探していた。

 ドラゴンはそこにいるだけで他の魔物にとって脅威となる。だからいまこの森で他の魔物と遭遇するリスクは低いだろう。


 はやく見つけないと、ドラゴンが広場に行ってしまう。


 その時。

 ザッ、ザザッ。


 なにかを引きずるような音が聞こえてきた。

 耳をすませると、前方から聞こえてくるようだ。


 飛び出た枝で外出用のドレスの裾が破れるが、私は気にせず先に進んだ。

 この音の正体がドラゴンなのであれば、間に合って本当に良かった。

 もしドラゴンが先に広場に行っていたらと、そんな不安もあったのだ。


「でも、これで」


 ザッ、ザザッ、となにかを引き摺るような音がだんだん大きくなる。

 ひらけたところに出た瞬間、私は足を止めた。


「……いた」


 咄嗟に木の陰に身を隠す。

 視線の先には、白銀の鱗に覆われた巨大な生き物がいた。


 ホワイトドラゴン。

 白銀の鱗が太陽などの光に反射すると白い幻のような幻想的な雰囲気を醸し出すことから、そう呼ばれている。

 ホワイトドラゴンの白銀の鱗は他のドラゴンよりも強靭で、並の武器では傷をつけることすら叶わずに折れてしまうらしい。


 だけどいま目の前にいるのは、体長三メートルほどのホワイトドラゴンの子供。成体ほどの強度はなく、訓練を受けている人間であれば傷をつけることは可能だと聞いたことがある。


 その証拠に、いま目の前にいるドラゴンは傷だらけだった。傷口から溢れた鮮血が地面にしたたり落ちている。魔物ハンターにやられた痛々しい傷の痛みで、飛ぶこともできずに、体を引き摺って森の中を彷徨っているのだ。


「このまま向かうと、広場に出るわね」


 本当に間に合ってよかった。

 でも問題はここからだ。

 はたして、私はドラゴンの傷を治すができるのだろうか。 


 覚悟をしていたはずなのに、足が震える。

 早く傷を治さないといけないのに。そうしないと、広場にいるクララたちが危険な目に遭ってしまう。時間はほとんど残されていないというのに。


「とりあえず、ドラゴンの傍に」


 木の陰から出る。尻込みしてしまいそうになる足に力を入れて、私はドラゴンに近づいた。

 体を引き摺る音が大きくなると同時に、呻き声が聞こえてきた。

 ドラゴンの鳴き声だ。大きな声で叫ぶこともできない痛みに、呻くことしかできないのだろう。


「はやく、治してあげるからね」


 ドラゴンからも私が視認できるほど近づいたとき、呻き声がさらに大きくなった。 

 あ、と思ったときには、目前にドラゴンの爪が迫っていた。


 避けようとして尻餅をついたおかげで難を逃れたのだけれど、足が震えて上手く立ち上がることができない。

 どうしよう。せっかく過去に戻ってきたのに、このまま死ぬの? 


 それは嫌だ。

 私は立ち上がると、ドラゴンに向かった。少しでも傷を治せば、もしかしたらドラゴンが大人しくなるかも。 

 だがその期待もすぐに打ち砕かれる。

 ドラゴンの白銀の鱗に朱が差した。私は咄嗟にドラゴンから距離をとった。


 過ぎ去りし未来、広場にやってきたドラゴンは多くの人間を見つけると、その白銀の体を、太陽を飲み込んだのかと見まがうほど真っ赤に燃え上がらせた。

 そして次の瞬間、周囲一帯に炎を吐きだしたのだ。


 運のいいことにほとんどの人間が広場の入口にいた。森からやってきたドラゴンから距離があったことが幸いして即死者は出なかったものの、広場にいた多くの人間はドラゴンの息吹にやられてしまった。ただれる腕や足、顔。阿鼻叫喚な人々の中に妹のクララもいた。私も手を少し火傷したけれど、クララは顔に大やけどを負ってしまった。

 それを見て絶望した私は、体の中から温かいものが湧き上がっていく感覚とともに、聖女としての力を覚醒したのだった。


 真っ先にあの時の光景を思い出した私の横を、ドラゴンの息吹が通り過ぎて行く。

 チリッ、と頬が焼ける感覚があったが、私は息吹からなるべく離れると、木の陰に隠れた。


 どうすればいいのだろう。この様子だと、ドラゴンに近づくことすらできない。

 ただ、私は傷を治したいだけなのに。

 

 ギリッと奥歯を噛み締める。

 過ぎ去りし未来で、私は幾度も死地を仲間とともに乗り越えてきた。戦争中に、横から魔物に襲われたこともある。

 聖女と呼ばれていたが、戦場での私は傷を治すだけで、相手の兵士や魔物に攻撃を与える力すらなかった。いつの日か忘れたけれど、カルロスお兄様から「足手まといだ、あっちに行ってろ!」と怒鳴られたこともあった。


 あの時も、こうして奥歯を噛み締めることしかできなかったっけ……。

 戦争に赴くか、国から与えられた任務をこなすことしかできない、自由のない人生。死の恐怖に怯えて眠れない夜もあったけれど――それでも、なんとか乗り越えてきたのだ。


 だから、いま怯んでどうするんだ。


 横髪を止めているピンを手に取ると白に近い桃色の髪が宙に舞った。

 髪留めピンの先は尖っているが、ドラゴンに対抗できる武器にはならない。

 私は徐にそのピン先を自分の腕に押し当てると、勢いよく横に引裂いた――いや、引き裂いたつもりだった。 

 腕にみみずばれができるが、血は一滴もでなかった。

 こんなんじゃだめだ。私はもう一度、怯む気持ちを押し込めて、同じところにピンを走らせる。ナイフなんて持っていないから、自分の体に傷をつけることすら叶わないらしい。

 ふと、視線の先に木の枝を見つけた。ピンよりも先が尖っているものを手に取ると、それを再び左腕に押し当てて、勢いよく引裂いた。


「うッ」


 今度は確実に深い、傷ができた。

 血が、ポタリと地面に落ちる。

 私は木の陰から出ると、再びドラゴンと相対した。


「これをみて!」


 ドラゴンに呼びかける。知性のある生き物だから、もしかしたら私の言葉が届くかもしれない。


「私は、あなたを傷つけない」

 

 ホワイトドラゴンの瞳を見つめる。

 白く澄んだ瞳に、果たして私はどう映っているのだろうか。


「私は、傷を治すことができるの!」


 右手を、左腕の傷口に当てる。

 手に魔力を込めると、私は治療を開始した。

 その間、私はドラゴンの瞳を見続けた。


「あなたの傷も、こうして治してあげる。だから、私が近づくのを、許してくれない?」


 いくら知性のあるドラゴンだからといっても、言葉が通じるかはわからない。

 だけど、それでも気持ちは通じるはず。

 私はあなたに危害を加えないと、傷を治す力があるのだと。

 そう真摯に訴え続けたからか、それとも私の行動に虚をつかれたのか、ドラゴンの呻り声は止んでいた。白銀の体に朱が差すこともない。


 掌に付いた血を、ドレスの裾で拭う。傷は塞がったようだけど、左腕はまだ思うように動かせなかった。聖女の力が覚醒していない状態の私では、これが精いっぱいのようだ。


 それでも私は歩きだす。

 ドラゴンは私をじーと見返しているだけで、攻撃をしてくる素振りはなかった。


 一歩、もう一歩と、近づいて行く。


 ドラゴンの体が動いた。攻撃をしてくるかと身構えそうになったが、その前にドラゴンはゆっくりと足を折り曲げてその場に座り込んだ。

 昂る気持ちを抑えると、私はゆっくりとドラゴンに近寄った。

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