5.森の中へ
「せっかく美味しそうなものが並んでいるのに、ほとんど食べられないなんて残念です」
貴族令嬢はドレスを綺麗に着こなすために、舞踏会に向けて食事制限をすることがある。
皇太子の婚約者として紹介されるクララは、特に注目を浴びるものだから周りも気合を入れている。それでも過ぎ去りし未来の彼女よりはまだマシだろう。
過ぎ去りし未来のクララはいつの日か過剰な食事制限をするようになってしまい、手足は枝のようにやせ細り、何度も貧血で倒れていた。騎士団の任務がないときは聖女の私が呼ばれて癒したが、栄養は本人が摂取しないことには手の施しようがない。
だから何度もきちんと食事をするようにお願いしたのだけど、そのたびに冷たく「お姉さまにはわからないのです」と言われたものだ。そのクララも妊娠が判明してから食事制限をしなくなったと耳にしている。
過ぎ去りし未来のことを思うと、頬を膨らませているクララは微笑ましいぐらいだ。
このまま成長していってほしい。そう願うのが無理なこともわかっている。
社交界は純粋なままでは生き残れない。それも皇太子の婚約者――未来の皇太子妃にとって、侮れる場所ではない。
時間が経つのはあっという間だ。ひまわり広場にきてもう一時間は経っているだろう。そろそろあの騒動が起こる頃のはず。
「あら。あそこにいるのは……」
広場の隅の方――森に近い方向を目で凝らして見る。
「お姉様、どうされたのですか?」
「知り合いの令嬢を見かけたの。挨拶をしてきてもいいかしら? クララはここで待っていてね」
「わかりました!」
クララはまだ名残惜しげに屋台を見つめている。いまにでもきついコルセットを外して食べ物に飛びつきそうな勢いだ。
「食べるのもほどほどにするのよ。三日後は舞踏会なのだから」
「わかってますよ、もうっ。最近のお姉さまは意地悪なんだから」
護衛騎士を一瞥すると、そのうちの一人が私についてこようとしていた。
ここで「ついてくる必要ないわ」と首を振ると、怪しまれてしまうだろう。護衛騎士は私から数メートル離れたところにいる。この距離なら、あの騒動が起これば撒ける可能性がある。
私が緊張から生唾を飲み込むのと、広場の一角から悲鳴が上がるのは同時だった。
首だけで振り返ると、私についてきていた護衛騎士が悲鳴に気を取られている。その隙に私は走り出した。
背後から「お嬢様!」と呼ぶ声が聞こえてくる。
その声をかき消すように、広場は騒然となった。逃げようとする人々に紛れて、護衛騎士は私の姿を見失ったようだ。
過ぎ去りし未来での今日。
事の起こりは、あの日広場に来ていたとある騎士団が仲間同士で諍いを起こして魔法を使ったことだった。
その魔法が運悪くひまわりに引火してしまい、そこから一気に火は広がって広場のひまわりは半分ほどが焼け落ちてしまった。
広場は一時騒然となったものの、ひまわりの火はすぐに消し止められて人的被害は出なかったのだけれど、問題はその後に起こった。
火災騒ぎが収まると、広場に少しずつ人が戻ってきた。その中には私とクララもいた。
そこに、アレが現れた。
スカーニャ帝国の最西端にとある山脈がある。人が踏み込むことのない――いや、できないその山脈には、とある希少種が巣食っていた。
魔物の中でも優れた知能と強靭な肉体を持っている――空の支配者「ドラゴン」。
そのドラゴンの子供が広場に現れて、広場は火事以上の大惨事に見舞われた。
逃げ惑う人々。ドラゴンに襲われて傷つく人々。
その中に、妹のクララもいた。
私は妹が傷つくのをただ見ていることしかできなかった。逃げることも、助けることもできずに絶望したそのとき、心が温かくなり光が満ち溢れるようなそんな感覚とともに、私の聖女の力が覚醒したのだ。
明るい光が周囲を包み、多くの人の傷を治した。
そしてドラゴンも時を同じくして、とある騎士団の団長が討伐したと後から伝えられた。
そういえば、その騎士団の名前はなんだっただろうか。
耳にした覚えはあるのに記憶に残っていない。
何はともあれ、その事件の影響で、私が聖女であるということはいっきに広まった。そのせいで、私は第二皇子殿下――アルベルト様に目を付けられてしまうことになる。
もう彼に利用されるだけ利用されて捨てられるのは嫌だ。
だから私はこの日のために考えていたことがある。
過ぎ去りし未来のこの日に見たドラゴンは、白い鱗からおびただしい鮮血を垂らしていた。騎士団に討伐される前に負った傷のようだった。
後から伝え聞いた話だけど、ドラゴンがやってきた森の中から、魔物ハンター数名の遺体が発見されたそうだ。その遺体には刃のような爪痕があり、恐らく魔物ハンターが森に迷い込んできたドラゴンを捕らえようとして返り討ちにあったのだろう。無意味にドラゴンを狩るのは帝国法で禁止されていることのはずなのに。
子供といえども、ドラゴンは他の魔物よりはるかに強い。運よく傷はつけられたけれど、そこまでだったようだ。
だが傷をつけられたドラゴンは、半狂乱となって普段は近づかない人里に下りてきてしまった。
――これは、未然に防げることだ。
いまから魔物ハンターを見つけることは不可能だろう。
だけど、ドラゴンを広場に下りてくる前に見つけて傷を治してあげることはできるはずだ。
その為に、私は護衛騎士の目を掻い潜って、この森の中に入らなければいけなかった。
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