7.聖女の力
こんなに近くでドラゴンを見るのは初めてだ。近づくとその巨体の大きさに圧倒されてしまう。過ぎ去りし未来でも、ドラゴンは遠目でしか見たことがない。
「触るわね」
右手で白銀の鱗に触れる。
ドラゴンは私をジーと見つめるだけで、なにかをしてくる素振りはなかった。
安堵からため息が出る。
「ありがとう」
ドラゴンの体には夥しいほどの傷があった。浅いのから深いのまで様々だったけれど、どれもが致命傷には至っていなかった。
剣で切られた傷は浅いが、槍に刺された傷は少し深い。翼の辺りにある傷はドラゴンの空の脚を切り落とそうとしたのだろう、しつこいぐらい切り刻まれている。
だけど特に酷い傷は、脇腹の傷だ。おそらく魔法を使って強化した弓矢でできた傷だろう。見た目よりも深く、血がまだ止まっていない。
この傷から治した方が良さそうね。
傷は治せても、流れ出た血を戻すことはできない。いまの私の魔力だけだと時間はかかるだろうけれど、そろそろ私の聖女としての力が覚醒する時間のはずだから大丈夫。
「痛いけど、我慢してね」
◇
「……どうして」
血を止めることはできた。だけど傷が深すぎて、なかなか塞がらない。
「聖女の力があれば、すぐに治せるのに」
目を閉じて、体中の魔力を搔き集める。集中したまま、傷を治していく。
ドラゴンの体が身じろいだ。痛いのだろう。傷を治すとき、時間がかかればかかるほど痛みが出てしまう。聖女の力であれば一瞬で済んで痛みはほとんどないのに。
奥歯を食いしばる。
三十分後、なんとか弓矢に刺された傷を塞ぐことができたけれど、魔力はあまり残されていない。
「次は、翼の傷ね。翼の傷が治れば、飛んで家に帰ることができるから」
ホワイトドラゴンの白い瞳と目が合う。
疑われているような、憐れまれているような眼差しに、私は自嘲気味に返す。
「ごめんね。傷をすべて治してあげられないかもしれないの」
魔物狩りたちが、生きたまま魔物を捕まえるのにまず初めにすることは、その魔物の脚をそぎ落とすことだ。四足歩行の魔物なら前足と後ろ脚を。翼のある魔物なら翼を。
だから、ホワイトドラゴンの美しい白磁のような翼に、しつこい傷が沢山あるのだろう。ドラゴンは生きて捕らえることができたら裏で高額で売買される。死んでいてもそれなりの大金になるらしいから。
「せっかくの美しい翼が台無しよね」
傷に触れ、魔力を込める。
目を閉じると、自分の体を巡る魔力がもう残りすくないことを、頭の痛みが教えてくれた。
「大丈夫、もうすぐよ」
ある程度翼の傷は治し終わったけれど、もう魔力は雀の涙ほどしか残っていない。
これで、後どれだけの傷を治してあげられるのだろうか。
「なんで、聖女の力が戻らないのかしら」
もしかして、未来を変えようとしているから?
過ぎ去りし未来では、このドラゴンは騎士団に討伐されてしまうはずだった。だけど私は生かそうとしている。
「……でも、死ななくてもいい命を放っておけないもの。それに、クララたちが傷つくのをみたくはないわ」
悲惨な未来があるのなら、それを阻止したいって考えるのは傲慢なのだろうか。
「ねえ、あなたはどう思う? ……って、私の言っている意味なんて、判らないよね」
自嘲気味に笑う。いくらドラゴンが他の魔物と違って知能が高いと言っても、人間の言葉を理解できるわけがないのだ。
槍で刺された傷に触れると、痛いのかドラゴンが体を震わせた。
「大人しくしていてね」
穏やかに問いかけるが、ドラゴンはそのまま立ち上がってしまった。
「あ、ちょっとっ。まだ傷、治ってないわよ!」
ホワイトドラゴンは私に向かって低く唸ると、傷が塞がったばかりの翼を大きく広げる。
翼を広げた際に巻き起こった風で、私はまた尻餅をついてしまった。
数回翼を動かすと、子供のドラゴンは甲高い鳴き声を上げてから、飛び上がる。
「傷は塞がってるけど、まだ安静にしてなくちゃ駄目よ! もうっ、言葉が通じればいいのに」
バサッ、バサッと羽ばたき、子供のドラゴンはしばらく私をじーと見つめた後、彼らの住む西の山脈に向かって飛び去ってしまった。
あっという間の出来事だった。
大きな傷は治したし、翼の傷も治してあげることができたけれど、まだ他にもたくさんの傷があったのに。
「力になれなくて、ごめんね」
立ち上がろうとしたが、魔力の使いすぎで上手く脚に力が入らない。
どうしよう。早く森から出ないと、クララたちが心配しているだろう。
空を見上げると、澄み渡るほど青い空に少し陰りが生まれていた。私が森に入ってから、かなりの時間が経っているようだ。
魔力の使い過ぎの所為か、次第に視界がぼやけていく。
「……どうして、聖女の力が覚醒しないのかしら。もしかして――」
過ぎ去りし未来と違って、私は聖女になれない?
それならそれでもいいかもしれない。
でも、ならどうして、私は過去に戻ってきたのだろうか。
背後にある木にもたれかかると、意識が遠のいていった。
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