3.新たな未来


 スカーニャ帝国の四大貴族のひとつであるボタニーア公爵家。

 多くの回復士や騎士、大臣などを輩出してきたボタニーア公爵家に、レオナルト皇太子殿下との婚約話が持ちかけられたのは私が十六歳になった年の頃だった。


 その話を聞いた妹はたいそう喜んで、デビュタントを控えた十四の頃だというのに、淑女の慎みを忘れて右へ左への大歓声を上げて走り回っていた。


「ねえ、お姉様。あたし、レオナルト様の婚約者になりたい! いいでしょ?」


 本来なら長女である私に持ちかけられる縁談のはずなのだが、皇室から送られてきた手紙には、ボタニーア家の令嬢を将来の皇太子妃に迎えたいということが書かれていた。つまり、私と妹、どちらでも構わないということである。

 妹と一緒にお父様の書斎に呼ばれた私は、妹が喜ぶのならと婚約話を断った。


「本当に構わないのかい? 皇太子殿下とは幼い頃、仲が良かったじゃないか」


 幼少期に父に連れられて皇宮に行った私は、皇太子殿下と話したことがある。でもそれから数度同じようなことがあったぐらいで、たまに皇宮の舞踏会で顔を合わせて少し話をするだけの顔見知り程度の関係でしかない。


 それに私は六年も未来から過去に戻ってきたのだ。過ぎ去りし未来でも、私はこの婚約を妹に譲っていた。あの時は妹が喜ぶのならその方がいいだろうと考えてのことだったが、今回は違う。

 過去に戻ってきたからには私はこれからの人生を変えるためにやらなければいけないことがある。その為には、皇太子殿下の婚約者という座はあまりにも自由がなさすぎる。


 ――それに、過ぎ去りし未来、皇太子殿下との仲は良いとは言い難いものだった。彼はある日を境に私を無視したり、すれ違いざまに嫌味を言われたりもした。婚約したところで良好な関係を築けるとは思えない。


「私は特別殿下をお慕いしているわけではありません。それに私はもう十六ですし、聖女の覚醒の兆候も全然ありません。きっとこの時代の聖女はクララだと思います。それならなおさら私ではなく、妹の方が皇太子殿下の婚約者として相応しいはずです」

「たしかにそれもそうだが……」


 父が難色を示すのには、恐らく妹の性格を思ってのことなのだろう。妹はお世辞でもこの帝国を導いていく未来の皇帝の隣に並ぶのに等しい淑女とはいいがたい性格をしている。末の妹として愛くるしく、両親や私、兄たちからも甘やかされて育ったから少しわがままなのだ。

 だが、すぐに顔色をポーカーフェイスに戻すと、低い声とともに頷いた。


「わかった。ラウラがそう望むのなら、私からはクララを推薦しておこう」


 それから少しもしないうちに、皇太子殿下の婚約者として、私の妹――クララ・ボタニーアは華々しくデビュタントに臨むだろう。これは過ぎ去った未来でも見てきた光景でもあった。

 そして私はこの婚約話の一か月後、皇太子殿下のお誕生日&婚約者披露舞踏会の三日前に、私は遅咲きの聖女として力を覚醒することになる。



 ボタニーア公爵家は古くから皇族とも付き合いのある家系だ。その理由は、ボタニーア家に一世代にひとり、特別な回復能力のある回復魔法士が現れるからだ。

 他の回復魔法士とは比較にならない並外れた回復能力。それから膨大な魔力。

 その力を持つ者は女性に多く、皇族の次に尊い存在として、【聖女】と人々は敬い称えてきた。


 聖女は、スカーニャ帝国になくてはならない存在だ。

 だが聖女にできることは傷や病気を癒すぐらいで、過ぎ去りし未来でも戦闘面で役に立ったことはほとんどなかった。そもそもスカーニャ帝国は、皇室騎士団を筆頭とした優秀な軍隊を持っている。聖女の力だけで威厳を保っているわけではない。


 聖女の多くは十五歳までに能力を覚醒させる。だけど私の能力が覚醒したのは十六歳のいまの歳だ。

 それまでの私は並以下の回復能力しか持ち合わせておらず、小さな傷を治すだけでも精いっぱいの魔力しかなかった。

 だけど妹は私よりも優れた回復能力を持っていて、誰もが私ではなくクララが【聖女】になる運命だと思っていただろう。


 だけど本当に運命は数奇だった。いまとなっては残酷なことなのだけれど。


 聖女は代々皇室に忠誠を誓うことが約束されていて、いかなる場合でも騎士団に所属することが決まっている。

 私が【聖女】だと知った周囲は驚いたが、両親も妹も、兄たちも私のことを祝ってくれた。

 「皇太子殿下のお誕生日&婚約者披露舞踏会」が「皇太子殿下のお誕生日&婚約者披露&聖女のお祝い舞踏会」になったのはいうまでもないだろう。まあ他にもいろいろひっくるめて、「皇宮舞踏会」と呼ばれていたけれど。


 人々に称えられる中、私は戦争に赴かなければいけない恐怖に震えていた。

 そんな私の不安を拭ってくれたのが、第二皇子であるアルベルト様の『ラウラ嬢。あなたを、傍で護らせてはくれないか?』という甘い言葉だった。


 ――だけど、それはもう過去のこと。もしくは過ぎ去りし未来の話。

 いまの私は聖女としての力を覚醒していないどころか、まだアルベルト様の婚約者ですらない。

 だから私はいまのうちに、二度目の人生を、私のこの未来を変えるために、自分の力でできる手立てを打っていくのだと決めていた。




「お姉様! 先ほどはありがとうございました!」


 父の書斎を出ると、天真爛漫な笑顔で妹が腰に抱き着いてきた。

 白い絹に菫の花びらを浮かべたような薄い菫色の髪が目の前で舞う。


「いいのよ、クララ。皇太子妃はあなたみたいな人にお似合いよ」


 私がそういえば、クララは屈託なく笑った。

 その愛くるしい笑顔はあと何年見られるのだろうか。


 ふと過ぎ去った未来のことを思い出し。私は首を振った。

 皇太子の婚約者として社交会デビューしたクララは、最初の頃こそこの愛くるしい笑みで周囲を魅了していた。それでも年を重ねるにつれて、多くの令嬢がそうなるように、社交界のどす黒い闇に触れて次第にあどけない笑顔を見せることはなくなってしまった。


 それでも私や家族――特に上の兄はクララを可愛がった。そうしていれば、いつかまた元のような笑顔に戻ってくれるだろうと信じながら。

 実際、皇太子と婚姻をして、しばらくして第一子を身ごもった頃から、次第にクララは落ち着きを取り戻したらしい。私は戦場に居てその様子を見ることは叶わなかったけれど。


 私はもう一度首を振る。


 いけない。また彼女が同じ道を進むのだとしても、それは私とは関係のないこと。

 私にはやらなければならないことがあるのだから。


「お姉様? どうかなさいましたか?」

「なんでもないわ。あなたが幸せそうで、私も嬉しいのよ」


 クララの頭を軽く撫でると、私は自室に戻った。



 ――せっかく過去に戻ってきたのだから。

 散々利用されたあげくに、要らなくなったからと嵌められて捨てられる未来ではなく、自由に生きていける幸せな未来を目指したい。


 そのためにしなければいけないことは少なくとも二つある。

 一つは聖女としての力を隠すこと。

 そしてもう一つは、自分が自由に生きていくために、平凡でも幸せを共有できる心優しい婚約者を探すこと。


 せっかく六年の時を遡り、戻ってきたのだ。

 私は新たな未来のために生きなくてはならない。

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