第39話 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と黒い猫

 東京から帰って来て一週間が過ぎました。




今私はお母さんと一緒に、府内城の近くのビッグホースという喫茶店で待ち合わせをしていました。11時にビッグホースを訪れると、喫茶店の中心部分にある大きな丸いテーブルに、黒いスーツを着た人たちが黙々とした雰囲気で座っているので、一目で橘さん達だとすぐにわかりました。なんだか目立たないようにしているようで、凄く目立っていました。




「いらっしゃいませ。」そう店員さんが言いながらテーブルに案内してくれようとしましたが、




「いえ。もう出ますので。」と、こちらに来てくれた柳さんが店員さんに言ってくれました。




私が「おはようございます。」とお母さんと挨拶をすると、橘さん、黒崎さん、柳さん、榛葉さん、富田さん、そしてお坊様のような人がさっと立ち上がって、




「おはようございます!」といってこちらに集まって来てくれます。




「表情が何だかいつもより表情が固いというか・・・。何かありましたか?」




と私が聞くと、富田さんが物凄い笑顔で、




「いえ、何も無いんですよ。今日は天叢雲剣あめのむらくものつるぎに関わるかもしれないという事で、皆さん、少し緊張してしまっているんです。何とかついていきますので、利律子さん、お手柔らかに宜しくお願いします!」




そう言って、ひたすらにっこりと笑ってくれています。富田さんの笑顔に、私もつい笑顔になります。




橘さんが話し始めます。




「利律子さん、利律子さんのお母様。今日は、柞原八幡宮ゆすはらはちまんぐうの安藤宮司は、浜の市というお祭りがあるので来れません。霊山寺の吉野住職が一緒に同行します。」




そう言うと、吉野住職様を紹介してくれました。挨拶を済ませると、吉野住職様は微笑みながら私のことをじっと見ていました。私はどうすればいいかわからなくて、首を傾げて下を向いてしまいました。




「これから人柱となったお宮の祠ほこらに参ります。そしてお花と線香を備えましたら、すぐに関門海峡に向かいたいと思います。では参りましょう。信号を渡って、場内をまっすぐ進んで下さい。」




私達は府内城の中へと向かいました。歩きながら、榛葉さんが話始めます。




「現在の姿からは想像できませんが、府内城は当時は海に繋がる平城でした。天守台の下には人柱になったと伝えられているお宮を祀った祠があります。以前は石垣下の犬走りを通ってお参りできたのですが、犬走りに下りられなくなってしまっています。ですから、観音像の方へ行きましょうか。」




府内城の入り口を真っすぐ進んでいくと、気の木陰に、白い観音像が見えてきました。もう誰かがお花を飾ってあげていますが、その観音像の前に花束を置くと、柳さんがお線香の束に火をつけて、観音像の前にお線香を立てました。




橘さんが話始めます。




「人柱とは、神の加護を得たり、穢れを払ったりする時に生きた人間を犠牲にして捧げる、人身供犠じんしんくぎ人身御供ひとみごくうの一つとみられています。お宮の父親は目が不自由な為に一家は貧しかったそうです。人柱の遺族には一生安楽に暮らせるよう保障するというおふれが出されたことを知ったお宮が一家を救うために立ち、弁財天の木像を抱いて人柱となりました。その後、築城は順調に進み、お宮は弁財天とともに府内城の鎮守としてあがめられたと伝えられています。」




そう話し終えると、橘さんは私の方を見ました。




「利律子さんは海の下にいるお宮を見たのでしたね。」




「はい。お宮さんの祈りが聞こえてきます。家族みんなが、お腹いっぱいご飯を食べれて、温かい冬を過ごせることが出来ますように。皆が幸せになるために、喜んで人柱になります。そう祈っている声が聞こえます。」




私だったら、海の中に沈められることを選べるのかな。そう思うと、自然と私は膝をついて足元の土に両手の手の平を付けました。今自分が経っている地面の、その下に沈められたのだと思うと、胸が締め付けられるような、悲しいような、何と言っていいかわからない気持ちでした。




その時でした。




ざわざわと波の音のような音が聞こえてきました。




そして次に、何かの動物の泣き声のような、イルカの泣き声のような、それらが混ざった声が聞こえました。




それが、だんだん私に近付いてきます。




「利律子!」ゆるりと、お母さんの声が聞こえます。「利律子さん!」ゆるりと、誰かの声が聞こえます。




私は跪いたまま、両手を土から離し、上を見ました。そうすると、この前見た、観音像を抱きしめた女の子と、クジラのような大きな魚が私の上にいます。




「ありがとう。私に心を痛めないで。私は観音様と一緒に、この海を守っているの。」




そう言ってお宮さんは、静かに観音様を優しく抱きしめ、海がある方をずっと見つめていました。




少ししてこちらに振り替えると、




「でも今から私はあなた達と一緒に、遠くにある渦を巻く海の流れの中に行きます。そこで、あなたは神聖な剣を授かることになります。私は、そのお手伝いをするように頼まれました。あのお方に。向津の姫様に。」




そう言い終えると、女の子は観音像を高く掲げ、




「この海に続く先に、この海に繋がる全てに、大きな災いが迫っているの。私はこの海を守る者。そのために、私を使って頂けることは、有難い事。」そう言うと、さっと姿が見えなくなりました。




「今のお宮さんのお話って、聞こえましたか?」




そう聞いてみると、皆さんもお母さんも目を丸くして、ふるふると首を横に振っています。私は聞こえたことを全部皆さんに話して、急いで関門海峡に行かせてほしいとお願いしました。






府内城から関門海峡に向かう途中で、柞原八幡宮の浜の市の様子を見ることが出来ました。沢山の人が御神輿を担いでいるけれど、それについていく、神主のような恰好をした中学生くらいの男子が沢山お神輿の周りにいて、その後ろを祭囃子の楽器を持った男子や女子がずらずらと並んで、その後を、半被を着た子供たちが大人数で並んでついていきます。




小さな山と山の間の道路の両道を、色々なお神輿が進んでいって、沢山の子供たちが付いていきます。




私はお祭りを羨ましいと思いながら見ていました。でもだんだん眠くなって、眠ってしまいました。






「りっちゃん、起きて!着いたわよ!」




お母さんが私を揺さぶっています。




「お母さん、ごめんなさい。私寝ちゃった。お母さん退屈だったでしょ?」




「実はお母さんも寝ちゃった。」と言われて、私とお母さんは、「おんなじ―。」と言わんばかりに、恥ずかしそうに笑いました。






関門海峡の鳴門橋の中心位に着くと、橋には私たち以外、車は走っていないし誰もいませんでした。




「あれ?車が全然いないですね。」と富田さんに言うと、




「はい。総宮が鳴門橋の随分手前位のところから通行止めにしました。」




お母さんは「えーーーっ。」と驚いていました。




私も、「わざわざ通行止めにするの?周りに迷惑すぎ!」と心の中で驚いていました。そんな感じであっけにとられていると、黒崎さんと橘さんが橋から海の渦潮を見ていました。




橘さんは黒崎さんに、




「黒崎、ヴァジュラドルジェを。」そう言いました。




「ヴァジュラドルジェ!?」柳さんと榛葉さんが驚いたようにハモりながら言いました。




私と富田さんとお母さんは、キョトンとしています。




柳さんやそのほかの人は、目を大きく開き、緊張したような、初めて見るかのような表情で、橘さんに注目していました。




私は、「なになに?」と思いながらも、興味津々で橘さんの方を見ていました。




黒崎さんは、持っていた大きなアタッシュケースを開け、桐箱を開け、その中にある変わった形をした鉄の棒のようなものを2本取り出して、丁寧に橘さんに渡しました。




橘さんはそれを小指からしっかりと包むように持ち、人差し指を小指の反対側に伸ばし、顔の前でヴァジュラドルジェを交差させると、力強くこするようにすり合わせ、両手を左右に広げました。ヴァジュラドルジェが擦り合うと、甲高いのだけれど、よく響く柔らかい音色が音を出し、どんどん広がっていきます。




8本?の線が細長い提灯の骨組みみたいになっていて、その反対側は、まるで音叉おんさが細く長く、二つに割れた剣のようになっていました。その剣の部分が少し波打っているような感じになっていているので、こすり合わせると綺麗な音が出るのかな。




同じ動作をゆっくりと3回繰り返すと、音がどんどん強くなりながら周りに響いていきます。親指でヴァジュラドルジェを持ち、肘を曲げ、顔の前位の高さで手のひらを向かい合わせ、親指以外の指を全て上に伸ばして静かに、




「マカ、カホ、オチ。」と言うと、ヴァジュラドルジェを顔の前で交差して、音を鳴らしました。




そして、


親指でヴァジュラドルジェを持ち、肘を曲げ、顔の前位の高さで手のひらを向かい合わせ、人差し指と中指だけを上に伸ばして、




「カム、イツノ、タテ」と言うと、ヴァジュラドルジェを顔の前で交差して、両手を広げ音を鳴らしました。




そして、


親指でヴァジュラドルジェを持ち、肘を曲げ、顔の前位の高さで手のひらを向かい合わせ、人差し指と中指を絡ませ、薬指を小指を絡ませ、上に伸ばして、




「カム、アマナ」と言うと、ヴァジュラドルジェを顔の前で交差して、両手を広げ音を鳴らしました。




その後で、顔の前でヴァジュラドルジェを交差して、音を鳴らし、両手を広げると同時に、




「アモリ、ムカヒ。」




もう一度、顔の前でヴァジュラドルジェを交差して、音を鳴らし、両手を広げると同時に、




「アメノ、ウツメ。」




そう言い終わる頃には、不思議なヴァジュラドルジェの音がゆっくりと何度も響き渡ります。




橘さんは左手に2本のヴァジュラドルジェを持ち、さっと右膝をついて左の膝に左手を載せ、右手の人差し指と中指で地面に何かを書き始めました。




丸を書き、それを中心として、右回りに、渦のような円を書いていきます。




「渦潮よ。御渦に居られます龍神に、我を導き給わんことを。天叢雲剣あめのむらくものつるぎを我に与えたまえ。」




そして、橘さんは人差し指と中指をおでこに付けました。一度目にそう言い始めてから、何か下から、大きな音が響いてきました。




「あ!渦潮の音が大きくなってる!」私は驚きました。




「渦潮よ。御渦に居られます龍神に、我を導き給わんことを。天叢雲剣あめのむらくものつるぎを我に与えたまえ。」


「渦潮よ。御渦に居られます龍神に・・・。」




三度目の祈りの言葉を言おうとしたときに、渦潮の音がどんどん大きくなりました。私は下を見るのが怖くて見れませんでした。




その時、観音像を高く掲げたお宮さんが現れ、




「さあ、その時が来た。私と一緒に渦の中へ。」そう言いました。私はギョッとして、




「ええっっ・・。あの大きな渦の中に?」と言ってしまいました。




その時でした。橘さんが立ち上がり、そのまま下に飛び込んだのです。橘さん、大丈夫かな?死んじゃわないかな??




「さあ、あなたも海へ。」




お宮さんがそう言うと、私の体が宙に浮かび、渦潮の中めがけて下がっていきます。




「怖い!」思わず声が出ました。




「あの人を地上に戻せるのはあなたしかいないの。龍はあなたにしか同調しないわ。」




お宮さんにそう言われて、私はぎゅっと奥歯をかみしめ、頭の中を切替えました。その時、何故かお宮さんは観音像を持っていませんでした。そして今度は、私を両手で包むように抱きしめられました。私はお宮さんと一緒に、激しく大きく渦を巻く、渦潮の中に飛び込みました。




海の奥に渦に巻かれて吸い込まれていきました。どんどん奥に潜っていきます。お宮さんが私をしっかり抱きしめてくれているので、私は不思議と怖くありませんでした。




「橘さんはどこ?!!」




そう思いながら渦に巻かれていると、海の下から鈍い光が見えてきました。その光がどんどん近付いてくるようでした。私はずっとその光を見ていると、下から誰かが大きな剣を掲げて登ってきます。




「あ!橘さん、無事だったんだ!」私はそう思いました。




すると、橘さんが私たちの近くに流れてきました。あれ?だとしたら、大きな剣を掲げている人は誰?




「さあ、私と一緒に祈るの。私の言葉を真似して。」




私は頷きました。




「天から注ぐ清らかな水が、山肌を通り海の入り江に差し掛かり、この世の全ての穢れを洗い落とすこの理を生み出したまう向津の姫よ。生きとし生ける全ての命の穢れを祓い給い清め給え。」




お宮さんの言う言葉を追いかけるように祈ると、私とお宮さんが光り始め、その光が海の下に流れていきます。そして、海の下から聞いたことのある声が聞こえました。




「これは傷つけるための剣ではない。真実を表し・憎悪を打ち消し・悲しみを打ち消し・強力な攻撃も無に帰し・時空を超え・命を繋ぐ剣。」




海の底から大きな剣を掲げて、ゆっくりと橘さんに渡しているのは、富士山の上で見えたあの女の人でした。橘さんはとても悲しげな表情で、その女の人の顔を見つめています。そして、女の人はさっと消えていきました。橘さんの、剣を受け取った手と反対の手が、何かを掴もうとして消えていく女の人の方に伸びていきます。


 


天叢雲剣あめのむらくものつるぎが竜と共に、今、舞い上がる。」




消えて行こうとする女の人が、力強く言いました。




その瞬間、剣が上を向き、私たちは下から押し上げられるように押されました。何かに乗っているるような、抱えられているような感覚でした。




大きな水しぶきを上げ、私は上に持ち上げられて海から出ました。




「利律子さん、大丈夫ですか?!」橘さんは、何かの上に立っていました。上を見ると、ネバーエンディングストーリーのファルコンのような大きな青白く光る生き物の顔の上でした。私はその生き物の腕に掴まれていました。もう片方の腕には、お宮さんが観音像を抱きしめて座っていました。




ゆっくりと回りながら、橋の上に居りていきます。道路に足が付こうとすると、その生き物は姿をさっと消し、綺麗な青白く光る鱗が大量に道路に散らばっていました。




橘さんは剣を高く掲げると、剣を見つめながら、円を描くように人回ししました。すると、鈍い音がブオンと響きます。




「真実を表し・憎悪を打ち消し・悲しみを打ち消し・強力な攻撃も無に帰し・時空を超え・命を繋ぐ剣。天叢雲剣あめのむらくものつるぎが再び私の元に戻った。」




私とお母さん以外は、




「はっ!」と大きく返事をしていました。




その時、黒崎さんの後ろ辺りから、さっきまで何処にもいなかった黒い猫が現れました。そして、私は金髪の女性の姿が目の前に浮かびました。何かの歌声が聞こえてきます。




ラララ、ラララ、ララ〜。


ラララ、ララララ、ララ、ラララララ〜


りーと、迎える優しい朝〜。




外国語みたいだけど最後だけ日本語になった?


黒猫のこと?




でも次の瞬間、何かにはじかれるように、その女の人の姿は見えなくなりました。




私は何故か自然と黒崎さんの側に近付き、ハミングでその歌を口ずさみました。




「リーとむかえる優しい、あ〜さ〜。リーって猫ちゃんのことかなぁ。」




そう言うと、黒崎さんが今まで見たことの無いような驚いた顔で、私を見ました。

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