第38話 ニコライ2世とタルタリア
「総宮、今の声はあのお方の声ではないですか?」黒崎が私に尋ねる。
「ああ。そうだ。あれが向津の姫の声だ。」
「なんとも言えない淑徳美声の優しい声ですね。初めてお聞きしましたが、総宮が忘れられないとおっしゃる理由がよくわかります。」
他の部下たちは、まだ目を丸くして、お互いの顔を見ていた。部屋の雰囲気を変えたほうが良いだろう。ちょうどお昼時だ。
「利律子さん、お母様、私たちと一緒に、ルームサービスですがランチを食べませんか。」
利律子さんは少し嬉しそうに「はい。」と答えた。
部下にも指示を出した。「柳、富田にメニューを聞いて頼むように言ってくれるか。」
「はい。すぐ伝えます。」柳はすぐに富田を呼び、富田は皆の注文を受けていた。
「利律子さん、お母様、ちょっとロビーに用事がありますので、こちらの部屋で休憩されてください。皆も少し休憩しなさい。」
私は少し気持ちを落ち着かせるために、部屋を出ることにした。
私は景色が見渡せる場所へ行き、空を見上げた。秋晴れの空に、高積雲こうせきうんが広がっている。まるで天叢雲剣あめのむらくものつるぎにある模様のようで、それが今、目の前に広がっていることが偶然には思えなかった。
「渦潮の下に・・。そこに、あなたがイザナミに奪われた剣が眠っています。それが、地上に再び現れる時が来たようです。お宮に想いを馳せ、その地から、渦潮へ向かってください。」
私の剣。天叢雲剣あめのむらくものつるぎ。それはレダの故郷からこの地球に持ち込まれた、地球に存在しない元素で出来ている剣だ。我々だけが、レダの本当の親である宇宙人から天野浮舟と一緒に与えられた物だ。神獣鏡と天叢雲剣あめのむらくものつるぎが揃うとき、レダの故郷の存在は、恐らく我々に意識を向けることになるだろう。
あれはレダのお守りであり、両親とレダが繋がる電波塔であり、普通の人間には到底取り扱う事は難しいだろう。唯一言えるのは、Apocaripseを開放させる鍵の一つであることは間違いない。
古来より、ヒヒロガネと呼ばれるその剣は、現在では製造方法すらわからなくなっている。それもそのはずだ。これは地球で作られた物ではない。
叢雲むらくものような、現代でよく使う高積雲こうせきうんのような。
金にも銀にも光る模様を持ち、深緑色で艶があり、全長が2メートル近くある大きな剣だ。
またあの剣を手にすることが出来るのか。
利律子さんが我々の前に現れて、まだ3か月だ。この物事の流れの速さ---。この時代に利律子さんが現れたことが、如何に偶然でないかを、この私が身震いするほど思い知らされる。
お宮に思いを馳せるとはどういうことか。とにかく、出来るだけ早くお宮が沈められた場所に行く必要がある。
お宮は府内城で人柱となった。では大分に行く必要がある。そこから関門海峡、来島海峡、鳴門海峡を順番に行くとしよう。
宇佐神宮の大迫権宮司ごんぐうじは知識が豊富で、北九州、大分、宇佐神宮宇関連の地域の歴史には非常に詳しい。ちょうど利律子さんも榛葉も同席しているから、電話で色々聞くといいな。榛葉に任せれば、詳しい話を引き出してくれるだろう。
私が部屋に戻ると、すでにルームサービスのランチが用意されていた。
「1件電話をしないといけないので、私のことは気にせず、皆さん、食べられてください。」
私は大迫権宮司ごんぐうじに連絡をした。
「もしもし。ご無沙汰しております。橘でございます。」そう言うと、
「あー!ご無沙汰しております!橘さんが連絡してくるなんて、どうしたんかえ!?」と相変わらず声が大きい。
「ちょっと調べたいことがありまして。大分の府内城と、関門海峡に行きたいのですが、豊後史にお詳しい大迫さんに、天叢雲剣あめのむらくものつるぎとその二つの場所について、お話を聞かせて頂きたいと思っているのですが。」
そう話すと、榛葉がめを輝かせて、
「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ!?」と大きな声で言った。
わたしはジェスチャーで「静かに。」と合図する。
大迫権宮司ごんぐうじが電話先で、珍しく小声で話始める。
「今、私は宮司と揉めてるんやわ。天叢雲剣あめのむらくものつるぎの事やったら、宇佐八幡の分祀の柞原八幡宮ゆすはらはちまんぐうの安藤宮司と、霊山寺の吉野住職に尋ねてくれんかえ?あの二人は歴史好きで仲が良いけん!詳しいわ!特に、吉野住職の先祖は平安まで遡ることが出来る古い家柄やけど、秘密にしちょるんです。こっちで電話しちょくけんな!」
そう言うと、ガチャリと電話を切ってしまった。連絡しておくとのことだから、そのうち連絡が来るだろう。
「橘さん、一緒に食べませんか?」と利律子さんが言う。
「承知いたしました。是非ご一緒させてください。」そう言うと、私は足早に席に着いた。
「橘さん、イブの様子を見ていた時に思ったんです。イブって、何も食べていないし、雪が降っていても寒くないみたいだったんですよ。何でなのかなーって思うんです。」
「恐らくですが・・・。空腹や寒さ、暑さ、などの辛い感覚は、最初は与えられていなかったのではないでしょうか。まあ、私は創造主本人ではないので、恐らく、の話ですが。」
利律子さんは、「そうなのかも~!」と言って目を丸くし、頷いていた。
「それに関してですが!」と、榛葉が話始めた。
「旧約聖書の中では、蛇がリンゴを与えてから、様々な欲に気が付いていくと書かれていますが、先日の利律子さんからの話からすると、イブやアダムに介入しないと誓ったことにより、欲からくる苦しみを経験するようになったのだと推測できます!それまで創造主が人間の全ての苦痛の出来事に介入して、痛みや苦しみなどに晒されないようにしていたのではと思います!要するにかなり過保護だったんです!創造主が人間にとっての自由を認めることは、人間が生きていくために苦しみを享受することと、自分で生きていく責任を背負っていくこととイコールであったと!創造主と我々の関係は奥が深いと感じさせられます!ルシファーに関しても・・。」
「榛葉。」、「榛葉さん。」黒崎と柳が目で訴えるように榛葉を見ながら、同時に榛葉を呼んだ。榛葉はまた口を窄めていた。
「榛葉さん、とても勉強になります。」と利律子さんのお母様が言う。利律子さんも頷いていた。
利律子さんは、「うーん。」と嬉しそうに頷きながら食事を食べていた。あのお方の生まれ変わりの、あのお方に姿が似た彼女が、隣で食事を食べている様子を見ることが出来るということは、こんなにも嬉しい事なのだな。
「美味しそうに食べますね。利律子さん。」
「よく言われまふ。」
と、食べながら答える様子は、あのお方も幼い頃はこうであったのかと思わせてくれる。食事がこんなに楽しいのも、もう何年ぶりだろうか。
「こところで総宮、日本の龍は世界でも有名だった事はご存知でしょうか?」榛葉が続ける。
「ああ、知っていますよ。でも何故ですか?」
黒崎と柳が目を丸くして榛葉を見ていた。
「大丈夫だ。続けてくれ。」
「昔、龍の刺青を日本で彫ることが、ヨーロッパの金持ちの中で流行っていたことはご存知ですか?
その流行っていた刺青を、『ムラクモジュラン』と呼んでいたんです。剣を丸く包み込んだ龍の絵が、よく刺青で彫られていたんです。WHOのロゴに似ています。『ジュラン』はタタール語で龍を意味します。『ムラクモ』は、天叢雲剣あめのむらくものつるぎから来ているのではないかと思っていました。タタール語はタルタリア文明の名残と言われていますが、あの旧ロシアのニコライ二世は皇太子の時代、よく日本を訪れ、やはり『ムラクモジュラン』を掘りに来ているんですよ。そして日本に、ニコライ二世の 非嫡出子ひちゃくしゅつしがいるという記録が残っています。」
「 非嫡出子ひちゃくしゅつし?ニコライ二世にですか?それは初耳だな。」
「タルタリア国の国旗や近代以前の日本の国旗には、龍が描かれていたという記録が、ヨーロッパに残されています。タルタリア文明のあったとされる時代は、交通手段が舟ですが、大分や北九州は、大昔から漁業が盛んでした。何か接点があればいいですね。」
榛葉はめをキラキラとさせて、嬉しそうに私を見ていた。
「そうだな。九州には榛葉も来てもらうから、柞原八幡宮の安藤宮司と、霊山寺の吉野住職に、色々聞いてみると言い。」
榛葉は割れんばかりの笑顔で、「承知いたしました!」と答える。黒崎と柳は目を合わせると、観念したような表情で肩を窄めた。
さあ、ランチを食べ終えたら、段取りを決めて、利律子さん親子を空港までお送りしないといけない。悠長にもしていられないな。
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