第35話 海と人間の契約

 岡本典子さんは天国へと旅立ってしまいました。私やお母さんや橘さん達は、ご家族の方々に挨拶をすると、先に病院を離れる事になりました。




夜間出口を出る前の所で、橘さんが心配そうに、お母さんに尋ねました。




「もう20時ですね。飛行機はこれから空港に向かっても間に合いませんから、念の為東京ドームホテルを取りましたが、お疲れでしょう。夕食を取りますか?それともホテルに戻って休憩しますか?」




早く家に帰りたいけど、帰れないなら、少し休憩したいから、私はお母さんより早く答えました。




「少し疲れてしまったので、休憩したいです。」そういうと、






「そうですね。でしたらホテルまでの車を準備します。」橘さんは続けました。  




「明日、戻る際は何時位に出発されますか?まだ決まっていないようでしたら、決まりましたら連絡を頂けますか?」




「すいません。今日中には連絡しますので。細かいところまでありがとうございます。」お母さんは頭を下げてお礼を言うと、少しふらっとなりました。




「お母さん?」小さい声でお母さんに声をかけると、お母さんは「大丈夫よ。」と小さな声で答えてくれました。




橘さん達がそれに気がついたようで、富田さんが、




「お母様、お疲れでしょうね。車が到着するまで、ロビーの椅子に座ってお待ちください。私が車を待ちます。利津子さん、ロビーはこの通路を左に行くと見えて来ます。さあ、こちらへどうぞ。総宮、こちらへどうぞ。」




そう言うと、富田さんは皆んなをロビーまで案内してくれました。




ロビーの椅子に座ると、お母さんが、




「典子さんはね、お母さんが若い時から凄く人気があってね。新曲が出るたびに、お友達と一緒に歌詞や振り付けを覚えて、皆んなで歌っていたの。アイドルでね。」




お母さんが、昔のことを懐かしく思い出しているような表情じなりました。




「皆んなで歌って、髪型を真似して、本当に、お母さんの青春時代は典子さんと共にあったの。よく私のお母さんにねだって、レコード買ってもらってたわ。私はお父さんが早くに他界したから、そんな時期でも、典子さんの歌を聞くと、気持ちが明るくなってたわ。」




「お婆ちゃん?お爺ちゃん?」




「そう。私のお母さんに、お父さん。利津子にとっては、お婆ちゃんとお爺ちゃんね。」




そう言うと、お母さんははらはらと涙を流して、




「典子さんが息を引き取る瞬間に、立ち会う事になるなんて。あの頃は思いもしなかったわ。」




私はお婆ちゃんはよく遊んでもらったけれど、お爺ちゃんは私が生まれた時にはもういなかったし、お爺ちゃんのことを詳しく聞いたことが無いので、とても気になりました。




「お母さん、お婆ちゃんは知っているけど、お爺ちゃんについてはあんまり聞いたことが無かったね。お爺ちゃんはどんな人だったの?」




「お母さん、一番末っ子でね。お爺ちゃんはね、とっても優しかったわよ。怒ったところを見たことが無いの。漁業と海苔業をやっていてね。漁業組合の組合長さんで、一番上の立場の人だったの。なんだか羽振りが良かったみたいね。いつも真っ黒い大きな車でお仕事行っていたし。でも、製鉄所が出来ることになって、反対する組合の人を説得したり、政府の人と会ったり大変だったみたいよ。製鉄所が建設され始めた時に、脳梗塞で天国に行ってしまったけど。」




私はお爺ちゃんが漁業をしていたことも知らなかったので、




「そうなんだー。お爺ちゃんのこと、もっと教えて。」とお母さんにお願いしました。




「お爺ちゃんはね。私のことを、よく海から頂いた賜物だから。って言ってたみたいなのよ。すぐ上のお兄さんと凄く年が離れていたからかもね。製鉄所が出来る前は、あそこは海の神様を祀っていたらしいの。漁業組合の組合長はその神社の管理もしないといけなかったみたいよ。」




私は、そのままお母さんの話に聞き入っていました。




その時でした。私は体が動かなくなりました。




「暗い・・・。何処?プールの中にいるみたい。海の中?」




私の目の前が海の中になりました。いつもの薄い映画の映像のような感じではなくて、海の奥に引きずり込まれていくような、引っ張られる感覚があります。




海の中に、大きな木の柱が沢山あります。その柱の中に、女の子が縛られていました。その子は目を閉じています。胸元に、観音様を抱きしめて・・・。息をしていませんでした。その後、私は海の上に引っ張られました。




「お宮・・!お宮・・・!許しておくれ・・。お宮!!」




そう叫んで泣いている着物を着た男の人と、女の人がいました。その周りには、侍の姿をした人が沢山います。海の近くの昔の何かの建物を建てる途中のような場所でした。




海の中から、光が飛び出て出てきました。




さっきの女の子でした。女の子は泣いている人達を優しく見つめていました。その子の側に、大きなクジラのような生き物がいます。




「人柱となることを、親や兄弟のために自ら望んだこの娘の真心と共に、我々はこの海を荒らすことを防ごう。この娘の優しさと共に、この海を見守り続けよう。」




大きなクジラがそう言うと、海から大きな竜が現れました。その竜の姿だけは、泣いている人達も、侍の姿をした人達も、見ることが出来たみたいです。




その後、私は、空高く上に上りました。日本列島が見えます。




九州の頭の位置の少し左の方の位置にあるところと、以前みんなで行った下関の近くと、四国の上の海。その3つの海の渦巻いているところから、竜が飛び出てきました。一斉に、お宮さんのいたところに集まってきました。




「日本て、九州の上の方って、竜の住処だったのかな??あの海の渦には、竜がいるの?」




そう思っていると、次はまた体がどこかに吸い寄せられるような感覚になりました。




私の目の前に、写真で見たことのあるお爺ちゃんの姿がありました。朝の海?夕方?どちらかわからないけれど、とてもきれいなオレンジ色の空の、海岸でした。海から声が聞こえてきます。




「わが友よ。海を守る者よ。お前はもうすぐ新しい命を授かるだろう。それは女の子だ。」




「海神様。いつも私たちにお恵みをありがとうございます。私はもうこんな年ですし、それはないでしょう。」




「海を守る者よ。この海を守る限り、お前たち人間に、私たちは海の幸を分け与えよう。向津の姫の頃より、この海は我々と人間の豊かさを共有する約束の地である。」




お爺ちゃんは海岸に跪き、両手を合わせて何かを祈っている様でした。






そして、目の前の景色が変わり、女の子が生まれる光景が見えてきました。お爺ちゃんが嬉しそうに言います。




「ああ。本当に女の子だ。この子は、海神様からの授かりものだ!」そう言って、お爺ちゃんは嬉しそうに赤ちゃんに手を合わせていました。




その後でした。




映像が変わり、何年か経った後の様でした。




海に大きな鉄の建物が建てられようしている様子が移りました。




また、お爺ちゃんが海岸に居ました。そこも、もうすぐ何かが建てられるのか、海岸の端の方に大きな鉄の棒が沢山きれいに並べられていました。そして海から声が聞こえてきました。




「我々のこの海を、守らなかったのか。」




「お待ちください!私は努力したのです!でもこれは国の方針で、私達にはどうにもできなかった・・・!私は努力したのです!」




おじいさんはとても何かにおびえている様でした。




「海神様!どうか、どうか私をお許しください・・・!」




そう言って、お爺ちゃんが跪き、顔の位置まで両手を上げて両手を合わせてお願いしていました。






また景色が変わりました。


白人の人達が、広い立派な部屋で、日本人のとても偉い立場の人みたいな男の人達に、強い口調で何か怒鳴りながら言っています。




「製鉄所を増やせ。この地図の赤い印の場所に、製鉄所を建てるんだ!そうすれば、竜も身動きが取れなくなるだろう!これは結界となるだろう!この日本の守り神など、叩き潰せるんだよ!その後は、お前たちが好きに統治すればいい!」




そんなひどいことを言う白人の人に、ニンマリと嫌な笑顔を浮かべている、日本人の偉い立場の人みたいな人達。でも、この人達、本当に日本人?嫌な話に何故笑っていられるんだろう。






また、お爺ちゃんと海岸の景色になりました。




「お前の家は没落するだろう。お前の一番大事な娘は、お前が海を守ったならば、この地で一番の裕福で恵まれた家に嫁ぎ、子々孫々、繁栄する運命だったのだ。だが、私はお前の一番大事なあの娘を呪う。この海で、あの熱い鉄の下敷きになり、光を遮られ、死んでいく我々海の生き物の無念を思い返すがいい!!」




「あああ・・・。お願いです!!咲子を許してください・・・・!咲子の代わりに私の命を奪ってください!お願いです!お願いです!」




「ならば海を我々に返せ。それが出来ない限りは、何も変わらない。」




その時でした。最初に出て来た海の中にいた女の子が現れました。その女の子が、抱きしめている観音像をお爺ちゃんの上に掲げ、こういいました。




「咲子ちゃんが、守られますように。」




海から声が聞こえてきます。




「お宮よ。介入するな。お前は介入するな!」




お宮さんが答えます。「ちゃんと幸せな人生を送れますように。何も悪いことはしていないのだから。」








富田さんの声で、「車が参りましたよ!」と聞こえてきました。




私はお母さんの顔を見上げました。




「りっちゃん、どうしたの?」お母さんが不思議そうな顔をしています。




「お母さん、お宮さんて知っている?海に観音様を抱きしめたまま沈められた人がいる?」




そう聞くと、お母さんは考え込んだ後、




「急にどうしたの?・・・・・ああ、昔江戸時代に、府内城の人柱になった女の子のお話ね。」






私は、少し血の気が引いた気がしました。




「やっぱり本当にいるんだ。」




私は橘さんを見ました。橘さんは私の顔を見て、何かに気が付いたような表情をすると、私の方に走って来ました。

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