第34話 橘視点 悲しみの歌
私達は救急処置室の隣りの部屋に通された。
目の前にいるのは、昔から私も知っている、歌手の岡本典子だ。公にはなっていないが、彼女は我が国が南北朝に分かれて争っていた時に、南朝となり敗北して没落した、天皇家の末裔だった。
南朝。
我々、物部の血を引く者よ。まさか、私がこんな光景に遭遇するとは。
そして、このウイルスは、火星からのよからぬ影響を受けて生まれた、かなり厄介なものだ。そんなウイルスに、我が物部の者が最初に命を奪われるとは・・・。
利津子さんがいなければ、ここにいる事もない。こんな偶然はあり得なかっただろう。本当に、利津子さんが繋ぐものは尊い。
看護師たちの動きが早くなって来た。しかし、岡本典子の家族は、典子の側に行く事ができなそうだ。何という残酷な状況なんだ。
私がため息をついていると、岡本雅史が苛立ちを募らせ、看護師を引き留めて言う。
「典子はどうなっているんですか?何故すぐ近くに行けないんだ。側に行かせてくれ!」
好感度ナンバーワンのアナウンサーは、大声を張り上げて怒鳴った。こんな姿は、誰も見た事がないであろう。
女性の看護師は、身を震わせ、泣きながらこう言った。
「このウイルスは、未知のウイルスです。感染していない人が感染者の近くに行くと、すぐにその人も感染して、命の危険もあります。私達医療従事者は、隔離を守らなければいけません。」
そう看護師が言った瞬間、岡本雅史は、非常に驚いていた。
「典子は、もう長くないんですか?典子は、どうなるんだ!」
看護師は、両手を握りしめながら、震えて泣きながら話はじめる。
「今の典子さんは、大変危険な状態です。」
「ならなぜ、家族を側に行かせない!手を握ってあげることも、抱きしめてあげることもできないなんて、あなた方は一体何を言っているんだ!」
看護師は、震えながら続ける。
「万が一の場合には、荼毘に付されるまで、お体はご家族の元にはもどれません。触る事は出来ません。これが、これが規則なんです。」
そう。未知のウイルスに感染した者は、荼毘に付されるまで家族の元には戻されない。
利津子さんが話し始める。
「私に何か出来ることがないかな。何か・・。」そういう利津子さんは、もう涙を流していた。少し考えて、
「橘さん、出来るかわからないけれど・・・。鳥獣鏡を貸してください。」
私は箱から鏡を出し、利津子さんに渡した。
利津子さんは、向津姫と同じように、右手の中指に紐を通し、左手を鏡に優しくかかげ、ぱっと鏡を回した。小さな声で、
「届いて。届いて。典子さんの声が皆さんに。皆さんの声が典子さんに。」
何度か鏡が回った時、まるでレコードが回って音を出すように、歌声が聞こえて来た。典子の歌声だ。
どんなに幸せだったか
時が経つのも 早いくらいに
生まれ変わったら
私を見つけて
また貴方の側にいたい いつまでも
その歌声が聞こえたのか、岡本雅史が
「典子が作った新曲だ。私にプレゼントしたい曲だと、サビだけしか聞かせてくれなかった歌だ。なぜ??」
利津子さんは答える。
「これは典子さんの心の中です。今、歌っているみたいです。」
皆が、泣きながら歌を聴いていた。ハスキーなキャンディボイスが響き渡る。
人は永遠に生きることは
出来ないけど
今ある幸せが
ずっとずっと続きますように
輝く大空 美しい花
あなたの笑顔
どれ程幸せだったか
時が経つのも 早い位に
生まれ変わったら 私を見つけて
またあなたの側にいたい
いつまでも
命の灯火が 今
消えてしまわないように
この指も この頬も
その手で 包んでいてほしい
繋いだ手と手が 離れていくのを
止められない 離さないで
離さないで
私が
旅立つ時には 私を看取って
ただ貴方の側にいたい 最後まで
ただ貴方の 側にいたい
いつまでも
美しい、伴侶に対する感謝と、最後に自分を看取って欲しいと願う歌だった。愛しい人に、最後まで側にいてほしいという、愛の歌だった。私も胸が締め付けられるような気持になる。
「典子さんに、話しかけて下さい。出来るだけ、出来るだけ。」
利津子さんが皆に言うと、岡本雅史は
「典子、皆んな側にいるよ!一人じゃない、麗美もしるよ!典子、頑張って!頑張って!」
「お母さん、お母さん、お母さん。。。ああ。。」
家族が一生懸命話しかけていた。
その声が届いたかのように、岡本典子は涙の溜まった目を静かに開き、頷いていた。静かに何度も頷くうちに、何度か、息をしようとしているが、出来ないのだろうか・・・。何度か息が止まっては息をし、息が止まっては息をしを繰り返すと、そのまま眠るように動かなくなった。
その時だった。典子の体から離れたかすかな光が、典子の家族の元に飛んできた。普通の人間には見えないが、典子の家族には見えていたようだ。
「ああ、典子。典子。傍に来てくれたんだね。」
「お母さん、おかあさん!・・・。」
利律子さんは口を強く閉じ、強く鳥獣鏡を回していた。もう涙だらけの顔の、その目は優しく、そして真っすぐに典子の姿を見ていた。
「聞こえて!」利律子さんが呟く。
「ありがとう。幸せにしてくれて。」
そう言うと、優しく家族を見つめた典子の姿が、上に上るようにゆっくりと消えていった。
岡本雅史は嗚咽していた。
「ああ、私たちの最後の別れが、こんなにも、隔てられたものになろうとは・・。」
鳥獣鏡を回す利律子さんに、皆が気が付いた。
利律子さんのお母様は何とも言えない複雑な表情で利律子さんを見ていた。
その目は、我が子が大きな使命を持った者であることを、強く感じ取っている様だった。
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