第30話 私でない何かからのビジョン

 ある土曜日の朝、私は利律子さんを迎え入れるビルの改装の設計図に目を通しつつ、各国の防衛省機密情報管理部との会合に備えて、会合の資料に目を通していた。




 米国と英国はいち早く、鳥獣鏡の影響を察知したようで、あからさまに機密情報管理部が会合を申し込んできた。全く面倒な話だ。




コーヒーを飲みながら少し休憩をしているところに、電話が鳴った。泉八基子いずみや もとこ様からだった。




「はい。橘でございます。」




「橘さん、ごきげんよう。泉八いずみやです。今、お電話で話せますの?利律子ちゃんのことでお伝えしたいことがあるんですわ。」


 


「基子さま、大丈夫でございます。ご連絡をくださり有難うございます。お体の調子など、いかがでございますか。お変わりございませんでしょうか。」




「私は元気ですわ。京都はいい天気で、今日は秋季例大祭・崇徳天皇祭に参加するんですわ。ほほほほほ。私のことはどうでもいいですわ。」




 基子様は大変ご機嫌が良い様子だ。




「では、本題に入ります。」基子さまが話し始める。




利律子さんが青い体のレダの夢を見たとのことだった。この夢は私が利律子さんに送ったものだから特に問題はない.






だが、ルシファーとイブのビジョンは私ではない。






呪術、魔法、催眠、などは通常の精神状態に「異常な変化や悪影響」をもたらすものだが、我々が使用する過去や記憶への介入は祈術きじゅつを使う。




祈術きじゅつは人間に対して行う場合、封印されてしまった人間本来の身体能力や精神や記憶の回復能力などを開放させるために行うことが多い。おそらく祈術きじゅつの影響が強く出てしまったのだろう。






「基子様、レダのことは私の方での影響かと思いますが、その後の話は、私は一切介入していないのです。祈術きじゅつ的に精神と記憶に大きく刺激を与えたような状態ですが、利律子さんは向津姫だったことからも、何かもっと広い範囲のものが働きかけを始めたのかもしれません。」




基子様は「あらまぁ。」と少し驚いていらっしゃった。




「ただ、気になるのは、聖書の最初の部分を否定するような内容です。他の者には知られないほうが良いと思います。後半の話はここだけの話としないと、バチカンは非常に厄介ですから。」




再び基子様は「あらあら。」と呆れるように驚くと、


「あれはあきませんわ。ほな、私から利律子ちゃんにそう伝えましょうね。」 とおっしゃった。




「基子様、今日は予定がおありですから、私の方から連絡します。お心遣いありがとうございます。」




「まあ、気が利きますなぁ。ではお願いしてもよろしいやろか。」




「もちろんでございます。京都の秋祭りを是非楽しんでこられてください。崇徳様もお喜びのことでしょう。」




「利律子ちゃんの話を聞いてからは、堀川さんに御参拝する事も増えましたわ。利律子ちゃん、今日も伏せってるようですから宜しゅう御頼み申します。ごきげんよう。」




「承知いたしました。ありがとうございました。失礼いたします。」




 今から利律子さんの所へ行き、戻って来るのにどれ位かかるだろうか。東京と九州では片道1時間半かかる。往復でざっと3時間、移動時間含めたら4時間、利律子さんの自宅にお伺いして話を聞くのに2時間、利律子さんの家族につけた警備の者に会うのに1時間。多めに見て8時間はかかるということか。




私は黒崎に連絡する。




「ああ、黒崎か。これから利律子さんの所へ行こうと思うのだが、一緒に来てもらえるか。柳とバチカンの聖典に詳しい榛葉京介しんば きょうすけもつれて来てくれ。」




「総宮そうぐう、承知いたしました。今、四谷のソフィア大学にいますが、すぐに向かいます。しかし、榛葉しんばは話の長い奴ですから、お時間の見積もりを長めにとる必要があります。民間機に乗るよりは、ジェットを準備しましょうか。」




「そうだな。そうしてくれ。来週の会合の資料にしっかり目を通したいからな。時間が欲しい。羽田までヘリで頼む。私は改装予定のビルの部屋にいるからそこに集合してくれ。屋上にヘリを付けてくれ。利律子さんのご家族に連絡もしてくれるか。」




「承知いたしました。」






 1時間もしないうちに、黒崎と柳と榛葉がやって来た。榛葉はそわそわしているように思える。




「総宮そうぐう、そろそろヘリが到着します。屋上の緊急離着陸場へ参りましょう。では皆も。」




そう言うと私を案内するように黒崎が先に進みだす。皆がヘリに乗り、ヘリが離陸する。その時、柳が神妙な面持ちで私を見ていた。




「総宮そうぐう、ジェットに乗る際に、客室乗務員は同乗するんですか?」




「そうだが、どうかしたのか?」




「あまり外部に聞かれたくない話をしますので、利律子さんの世話係に決まっている富田夏樹とみた なつきに飲み物など準備させます。宜しいでしょうか。」




「ああ、問題ない。今日同乗する予定だった客室乗務員にはきちんと手当を渡すように。急な配属替えで何か思われるよりは、ましだろう。」




「あ、あの、総宮そうぐう。」申し訳なさそうに榛葉が右手を上げて言う。緊張しているのか。あまり会話したことが無いからな。




「どうした?」




「利律子さんは12歳という事ですが、カ、カトリック信者ですか?」




「いや、ご両親は日蓮正宗と聞いているが。」




「そんな子、、、いや、そういった子に聖書を知ってもらうには、まずは漫画が良いかなと思い、漫画の聖書をお持ちしました。」




「ああ、今時らしいな。いいんじゃないのか。」




「しっ、、、しかし、大変興味深い話ですねぇ。イブしかいないなんて。じっくり話をお聞きしたいなぁ。」




榛葉が話を始めると、黒崎と柳が少し嫌な顔をした。柳が口を開く。榛葉は柳より3つ年上だが、柳と同期だ。




「榛葉さん、。お気持ちはわかりますが、今日は時間があまり無いんです。利律子さんは体調も完全でないらしいですし、長い話は控えたほうが。」




榛葉は少し目を大きく見開き、顔を窄めた。




黒崎が言う。




「榛葉。君は聖典の知識が豊富で、調べろと言ったことは的確に調べ、回答する内容も、期待以上の解説をし、仕事の処理能力は早いと評判が非常にいい。ただ、解説が長い分、話も長い。うんちくも多い。もう少し凛とした立ち振る舞いや、自分以外の者の都合を考えることが出来れば申し分ない。」




「は、はい。気を付けます!」そう言うと、今度は体全体を窄めたような動作をする。黒崎と柳は腕組をして下を向いていた。




そうこう話しているうちに、羽田に到着する。




急いでジェット機に乗り込むと、客室乗務員から引継ぎを受けている黒いスーツを着た富田夏樹とみた なつきがいた。ボブヘアーで細身の背の高い富田は、見た目非常にクールに見える。こちらに気が付くと急ぎ足でこちらに向かってくる。




「本日はお声がけいただき、ありがとうございます!」




「君、機密保持契約書の内容はよく理解しているか?」




「はい!もちろんです!」




「よし。機内では、恐らく今まで聞いたことの無い話が聞こえてくるだろうが、全て一切口外しては駄目です。君はこれから、その中心人物のお世話係となる。君は見た目がクールだが、後で化粧を落とし、シャープな雰囲気を少しでも無くすように心がけてくれ。今日はそれでいいが、今後の服装は淡い色を基調として、優しい雰囲気を出すように。」




富田は幾分か瞬きが多くなった。




「はい!承知いたしました!」




その後、皆席に着き、ジェット機は離陸した。私は柳の話が気になった。




「柳。」




「はい。総宮そうぐう。先程JAXAの同胞から連絡がありまして。」資料を出してくる。




「火星のマリネリス峡谷で、少し形が変わったところがあるようです。」




「一番南側のか?」私は資料に目を通した。




「はい。そうです。」




 火星の赤道上には、非常に大きな裂け目がある。その一番南側の峡谷には、外観から逸脱しないような形で、レダを監視するための巨大な電波望遠鏡が設置されているが、ここのところ数千年は動きが無かった。恐らく、それが反応したのだ。




「チッ。」




思わず私は舌打ちをした。周りが凍り付いたようになったか。すまないな。




「感づかれたな。それが動いたという事は、奴らは気が付いている。だから会合の招集が行われたんだ。レダを押さえつけるために、もっと強い電波が地球に送られてくるだろう。今後、気候変動、生態系の異常、今迄活発でなかったバクテリアやウィルスの大量発生は避けられないだろう。」




黒崎は顔色を変えた。




「会合の後は、国内の各省庁ですね。」




「ああ。急いで対応を始めよう。忙しくなるが、皆、よろしく頼む。」




「はっ!」という声の中に「はいっっっ。」と浮いた返事が聞こえた。榛葉だな。




富田はぽかんとした表情だった。




皆の表情が、頭の中で色々な情報を錯綜させているように、緊張した表情に変わった。




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