第4話 初陣

(もう、駄目だ……)


 重力に引っ張られるみたいにして意識がどんどん暗闇に引き込まれているのに、体は思うように動かないし、思考だって滞っている。目の前に見えている一筋の光はどんどん遠ざかり、手を伸ばすのも億劫なほど距離が開いてしまった。


 そんなときだ、私の手が不意に誰かに強く引っ張られる感覚がした。


「……ちゃん! ……ん、起きて! しっかり……!」


 ……何? 誰か、私のこと、呼んでる……?


「……ちゃん、正……ん!」


 煩いなあ……。もう、休ませてよ……。良い夢、見られそうなんだからさ……。


「正華ちゃん!」


 正華ちゃん……。そう呼んでくれるのは、私の大事な……の麻衣だけだ。……麻衣? 麻衣って、誰だっけ……。麻衣、麻衣……、麻衣!


 そのとき、私の意識が一気に水面の上へと引き上げられるのを感じ、急に視界がクリアになったと思うと、そこはいつの間にかたどり着いたらしい昔遊んでいた近所の公園だった。


「わ、私は……」


「良かった。君に桜木麻衣の名前を聞かせ続けたら、どうやら効果てき面だったみたいだね」


 いつの間にか私の足元にいた兎モドキは、さっきのペンダントを手に持っていなかった。私の首元に触れてみると、そこには例のペンダントの冷たい感触があり、どうやら彼は気絶同然の状態にあった私の首にこれをかけたらしかった。


「あなたが私を呼び戻したの?」


「そうだよ。その人に対する強い思い入れがあればトリップ状態からでも戻って来ることはあると思って」


 それで、私に大切な人の名前を思い浮かべろって指示したんだ。こういう状態になって戻って来れなくなる人が過去にもいたということを暗に口にしているのと同じだけどね。


「それにしても、あの子が桜木麻衣か……。これも数奇な運命だね」


「何の話?」


「さあね、そのうち分かるよ。それより、どうかな? 何か変わった感覚はある?」


 露骨に話を逸らされてモヤモヤはしていたが、今は問い詰めるよりも先に自分のバイタルの方が大事だ。謎の注射をされて、その上、麻薬使用者みたいな幻覚幻聴のオンパレードを体験させられて、無事でいる方が不思議だけれど……。今のところ、特に変わった感覚はない。


「あんた……。私に何をしたの?」


「魔法少女にするための治療行為だよ。そして、おめでとう! 君は魔法少女の適合者として選ばれたんだ! だから、今君は意識を保ってここにいる!」


「治療行為? それって、私に何か良からぬ成分を注入したってことだよね?」


「おっと、これ以上は話せないかな……。それよりも、あれを倒す方が先じゃない?」


「っ!」


 いつの間にか、公園の入り口には先ほどの黒い怪物が出口を塞ぐように立っていた。色々と聞きたいことはあるけれど、この状況を何とかしてからの方が良さそうだ。


「ねえ、あんた。ここから先はどうすれば……って、あれ?」


 目を離した隙に、あの兎モドキは足音一つ立てずに消えてしまっていた。どうやら最初から私とはまともに話をする気はなかったらしく、自分の用事を済ませたら正しく脱兎のごとく逃げたらしかった。


「嘘でしょ……。わけわかんない治療行為? をされた上にとんずらって……。しかも、あんな怪物を置き土産にするなんて最悪!」


 そう言えばあいつ、私の心が読めるんだった……。都合の悪いことを聞かれる前に逃げてしまおうなんて凄い腹が立つけれど、こんな状況で怒り散らしたところで仕方ないし……。私は目の前の怪物を睨みつけると、バシッと人差し指を真っすぐ突き出して言ってやった。


「あんた! あんたが何者かは知らないけど、こんな訳の分からない状況になったのは全部あんたのせいだ! だから、取り敢えずは私のサンドバッグになってもらうから! 魔法少女、上等! 変身でも何でもやってやる!」


「ウアアァァ……」


 怪物はのしのしと鈍足でこちらに接近してくる。全力疾走すれば逃げられそうだけれど、私としては魔法少女というのがどんなものか試したいという思いがある。


「けど、どうすりゃいいの本当に……。変身、とか叫んでも意味無さそうだし……。ともかく、攻撃とかしてみれば何か分かるかも……」


 危険なのは分かっている。けれど、何もできずに嬲られるよりは百億倍マシだ。


「こんなの、やる全一択でしょ……。覚悟を決めろ、私! うおおおおおおお!」


 柄にもなく雄叫びを上げながら怪物に対する恐怖をかき消しつつ、拳を振りかぶって全力で怪物に向かって駆けていく。のっそり歩く怪物との距離はすぐにゼロに近づき、直前で足を引きつつ上半身を捻って力を溜め、自身が繰り出せる全力の拳を怪物の体に打ち込んだ。


「っ!」


「……」


 しかし、怪物から伝わってきたのは鉄筋コンクリートを殴った時のような感触で相手はビクともしない。代わりに、怪物は右腕を高く振り上げて私を薙ぎ払おうとしたので咄嗟に身を引いたのだけど、予想以上に動きが速く躱しきる前にボールみたいに弾き飛ばされてしまった。宙を浮遊した感覚がした直後、背中にどっしりと鈍い痛みが叩きつけられ肺の中の空気が一気に体外に排出される。


「がはっ……。げほっ、げほっ……!」


 公園の木々がクッションになってくれたおかげで場外に飛ばされて壁のシミになることは避けられたみたいだけど、打たれた体にはジンジンとした痛みが残り、口からは……。


「……血が、出てる……。私、もう少しで本当に……、死んでたんだ……」


 まともに食らっていたら、間違いなく体がバラバラの肉片になっていた。そう思わせるくらい、あの怪物は桁違いに強い存在だ。


「理屈じゃない……。これはもう、万に一つも勝てないんだ……」


 実際に攻撃を受けたからこそ、本能で理解することができた。何度か殴り続ければとか、そういう次元の話ではなく、根本的に力の差があり過ぎて勝ち目なんてない。


「でも、それがどうした……。私は、まだ死にたくない……」


 そうだ、私はまだ死にたくない。魔法少女になるためとかいう理由であんな訳の分からない注射をされて、それでも麻衣が連れ戻してくれた命をここで散らすなんてできない。それに、私はもっと麻衣と一緒に楽しい学校生活を送っていたいし。


 のし、のしとこちらへ近づいてくる謎の怪物の体が徐々に大きくなる。怪物への恐怖よりも、今はあれに対する攻撃的な感情の方が高まっている感覚がする。ドクン、ドクンと全身の血脈が激しく打ち続け、体が沸騰すると共に「奴を倒せ、奴を倒せ」と脳内から絶えず何かに命令されるかのような幻聴が聴こえてくる……。


「そうだ、倒すんだ……。これを、倒すんだ……」


「ウアアァァ……」


「お前を、倒すんだ!」


 バチン! と雷が落ちた時のような轟音が鳴り響き、全身に稲妻が宿ったかのような感覚が駆け巡る。視界は白く染め上げられ、心臓の鼓動と稲妻が体を走る速さが重なり、やがて目が視力を取り戻すといつの間にか公園の中央を通り過ぎて怪物と反対側の端に立っていた。そして、私の着ている服が制服ではないものに変わっていた。


「嘘……、何これ? 服も違うし、髪も、まさか靴も……?」


 白を基調とした袖や淵がコバルトブルーの、スカート短めなドレス衣装、髪色は銀髪、靴も白いハイヒールと本当のプリ○ュアみたいな感じになってしまった。


「これ、どういう現象? 一瞬で服が変わるとか、あり得ない! でも、実際に起きてるし……。ってか、私今、どうやってここまで来たの!?」


 一瞬の間に起きた出来事が超常現象過ぎて、異世界にやってきたことすらも可愛く感じられるほど凄まじい衝撃が脳裏に刻み込まれた。


「意味が分かんない……。意味が分かんないけど……。これなら、あるいは戦える……?」


「ウアアァァ……」


 この力が何なのか、今の私には知る術はないけれど……。これなら勝てる、何となくだけれどそれが分かるのは確かだった。


「まずは、えっと……。こうかな……?」


 生まれた時から呼吸の仕方を知っていたように、私の体にバチバチと青白い稲妻が迸る。左手の平を敵に向かって突き出して照準を合わせつつ、正拳突きの構えを取って気を溜める。


「この距離で拳を構えるのは初めてだけど……。さっきの動きができた私なら……」


 力を入れて握った拳には体の奥底から溢れるように湧き出てくる電気エネルギーが充填されていき、同時に両足の裏にも体全体を高速移動させるのに必要なエネルギーが蓄積される。のし、のしとこちらに近づいてくる黒い怪物が公園の端からこちらに近づいてくる。あと三歩、二歩、一歩……。


「今だ……! やああああああ!」


 足の裏に溜めれられたパワーを解放すると伸びきったゴムが自身の復元力で元の形に戻ろうとするように体が弾かれ、黒い怪物へと一直線に突き進んだ。光の速さと同化した私の拳は稲妻を宿した山をも砕く一撃であり、光速移動により生み出された運動エネルギーが拳へと乗せられることで威力は更に上がる。


 怪物に衝突する直前で突き出した拳は怪物の体内を突き進み、やがて拳による衝撃に耐えきれなかった怪物の体は崩壊、私は彼の体を貫通していた。


「はあ、はあ……。や、やった……? やったの……?」


 怪物とぶつかったことで推進力が妨げられ、難なく静止することができた。怪物がどうなったかを確認しようと振り返ると、胴体に私サイズの風穴が空いた巨体は燃える紙切れのように端から徐々に崩壊していき、やがて一つの宝石のようなものを残して跡形もなく消滅した。


「……これで、良かったのかな?」


 命のやり取りという緊張感から解放されて途端に力が抜けそうになるのをグッと堪えて、怪物が落とした物の正体を探ろうとそれに近づいた。


「これは、宝石かな?」


 見た目はひし形に近い海の底を覗き込んでいるような群青色の物体で、最初の印象通り、これはあの怪物から排出された宝石と見て間違いなさそうだ。試しに拾い上げて感触を確かめてみると、石のように固く無臭で、やはり宝石と称して差し支えない代物だった。


「でも、何だろう……。凄く、欲しい……。食べたい……」


 この石を見ていると、何故か体の中が熱くなって無性に食欲が湧いてくる。目の前のこれに噛り付きたくて、噛り付きたくて仕方がない……。


「いやいや! 何言ってんの、私! こんな石、欲しくも何ともないのに!」


 身の危険を感じてすぐに手放そうとして、宝石を持った手を高く掲げて放り投げる態勢に入った。しかし、私の体に起きた異常なのに、このまま原因も分からないまま手放すのは惜しいと思ってすぐに止めた。


「……私の体に起きた変化と、関係がある……。なら、これを手放すわけにはいかない。これが何なのか知るには……」


 怪物がいなくなりシンとなった公園を見渡す。使い古されたブランコ、遊びっぱなしになっている砂場、塗装の剥がれかけたジャングルジム、そして……子供が大好きなはずの滑り台の頂上に居座る兎モドキ。


「……やっぱり、見てたんだね」


「勿論だ。魔法少女としての最初の一戦、僕が見逃すはずがないよ」


「人に法外な治療をした上に、何も伝えずに真っ先に逃げた奴がよく言うよ」


「悪かったって。けど、余計なことを聞かれる前に逃げた方が良いって判断したんだ。話せないことの方が多いからね」


「秘密主義なんて、良い度胸じゃん。このまま逃がすとでも?」


「逆に聞くけど、捕まえたところで僕は何も喋らないよ。ただ、そうだね……。君はアレを倒したわけだし、君の知りたいことの幾つかで答えられる質問に答えてあげる」


 カーバンクルは滑り台を滑らずに飛び越えて地面へと着地を決めると、私に捕まらないという意思表示なのか余裕な表情で私の目の前までやってきた。


「心を読めるから、大体聞きたいことは分かるよ。そうだね……。まずは、あの怪物について教えてあげようか。あれは、眷属。君たち魔法少女に立ちはだかる敵だよ。そして、世界を滅ぼす存在の一端でもある」


「世界を滅ぼす?」


「そう。そして、眷属を使役しているのは魔女と呼ばれる存在だ。つまり、魔女たちが君たちの住む世界を滅ぼそうと画策している元締めと言っても過言じゃない。魔法少女は世界を守るために、彼らを倒さなきゃいけないんだ」


「……」


 正直、話のスケールが大き過ぎてついていけない。けど、実際に向かい合ったからこそ分かったこともある。あの怪物……眷属は人間が勝てる存在じゃない。私がこちらの世界に来れたということは、あれもこちらの世界にやって来れる可能性は十分に高い。そんなことが実現してしまったら……。


「君の想像通り、あれはこちらとあちらを行き来することができる。魔女はちょっとした事情があって、今は向こうの世界には行けないんだけど、だからこそ眷属を使役しているのさ」


「自分たちが向こうに行けないから、代わりに滅ぼしてもらおうって?」


「まあね。大抵は、魔法少女に阻まれてしまうし、あわよくば向こうの世界に行けても結局は討伐されちゃうけどね」


「あわよくば?」


「いや、こっちの話さ。ともかく、君たちには眷属が向こうの世界に行くのを阻止してほしいんだよね。それが、君たちの役割だから」


「断ることは?」


「できるけど、いいの? 君たち魔法少女は、生きていくためにその宝石……M結晶が必要なんだよ?」


「えむ、けっしょう?」


「そう。大文字のMに結晶で、M結晶。君たち魔法少女はそれを定期的に摂取できないと、やがて死に至る」


「……冗談でしょ?」


「冗談だと思うなら、それでもいいけどね。君の体に今後どんな変化が起きるのか、その身をもって確かめるといいよ。それじゃあ、僕は行くから」


 カーバンクルは一方的に話を切り上げるとぴょん、ぴょんと地面を飛び跳ねながら公園の入り口へと向かっていく。まだまだ聞きたいことが山ほどあるのに、このまま逃がすことなんてできないと慌てて追いかけるも足が速くて追いつけない。


「待って! 私の体に何をしたのかとか、M結晶についても、魔女ってのについても聞きたいことが山ほどあるんだけど!」


「いずれまた。その時が来たらね。あ、そうそう。帰り方は来た時と同じだから、頑張って出口を探してねー」


 ぴょん、ぴょんと塀を登り、やがて屋根へと登り、そして無風のこの世界で風のようにどこかへと消え去ってしまった。


「速すぎでしょ、あいつ……。私、そんなに持久力ないのに……」


 肩で息をしながら額から流れ落ちる汗を拭い、一度、息を整えるために立ち止まる。格闘技で技術ばっかり磨いて、あとは全部頭脳に回してしまったせいで持久力だけ致命的にないのが今の私の弱点だ。魔法少女に変身しているときはそうでもなかったから、きっと基礎的な身体能力が向上しているのだと思われる。


「まあ、変身してるときだけ持久力が高くても仕方ないんだけど……。それより、今は出口を探さないといけないか……」


 また一歩を踏み出そうとして、自分の右手に握り締められた例のM結晶を見る。彼の言うことが本当だったとしても、これはまだ摂取するわけにはいかない。これがないとどうなるのか、自分の体で実験してみないと事の深刻さが私には分からないからだ。


「ちょっと、怖いけどね……。飲むのも、飲まないのも……」


 それも当然だ、どんな効果があるか分からない薬をいきなり飲めと言われても躊躇するのと同じだと考えればね。そして同時に、正体不明の病に侵されいつ死ぬのか分からないという恐怖も感じている。


「……帰ろう。今はともかく、帰ろう」


 色々なことが短時間で起こり過ぎて、もう疲れてしまった。とやかく考えるのは明日にでも回して、温かい我が家に帰って美味しい晩御飯を食べたいところだ。


「確か、戻り方は同じって言ってたけど……。そもそも、その入り口がどこにあるのか分からないじゃん。まさか、本当に自分で探すわけ……?」


 はあ、と溜息を吐いたはいいけれど、それで出口が都合良く現れてくれるわけもなく、私は魔法少女になったことで得た身体能力を用いて周辺地域を探し回ってみた。


 すると、出入り口というのは案外すぐに見つけることができ、住宅街の十字路の交点にそれは形成されていた。こちらに来たときとは違って、絵の一部をナイフで破いたみたいな裂け目が空中にできていて、どうやらここから向こうに帰れるらしかった。


「本当に裂けてる……。入り口が宙に浮いてるってのも、変な感じ……」


 魔法というよりSFチックなのが若干世界観に合っていないような気がするけれど、この通り魔法は実在しているわけで、この程度の不思議現象が一つや二つ重なって起きてもあまり驚くことはないだろう。


「ちゃんと、帰れますように……」


 この向こうに何が待っているのか分からないけれど、私はただ切実に元の世界に帰れることだけを願って裂け目に手を伸ばし、やがて体を裂け目の中に飲み込ませたのだった。

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魔法少女ロジカル 黒ノ時計 @EnigumaP

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