第2話 これが、私の日常
四月中旬、いよいよ春の気候も最高潮を迎えているせいか、朝から暖かい日差しが通学路に降り注ぐ。
私の名前は理論寺正華(りろんじせいか)。どこにでもいる普通の高校生二年生で、多分だけど、いやほぼ間違いなく根暗で陰キャと呼ばれる類の人種である。
見た目は黒髪ロングの美少女(自称)だけれど、少しばかり引っ込み思案なところがあってコミュニケーションはあまり得意な方じゃないし、友達も今のところ一人しかないからだ。
とはいえ、雰囲気が暗いとかそんなことはなく普通だと思うし、格闘技をやっているせいか普段から背筋を伸ばして歩いているので、周囲からは「寡黙で美しい文学系美少女」って言われることも多いが、しかし残念なことに私は正真正銘の理系少女であり、俳句は読めないが円周率なら百桁以上はスラスラ言えちゃう系の女子なのだ。
私が理系の道を志したのは、偏に魔法少女の存在を証明するためだけど、このことは誰にも話したことはない。
話したところで鼻で笑われて相手にされないだろうし、私自身、実はあの出来事は夢だったんじゃないかとすら思っているからだ。
しかし、彼女に助けてもらった経験が夢であるとは到底信じたくなくて、それで今は魔法少女研究専門の科学者になるために頑張っている。
本当は自分が魔法少女になれたら……とは思っているけれど、望みは薄い。少し残念だけれど、できないことに夢を見続けても仕方がないので、今はできることを精一杯やろうという心持ちである。
さて、これで自己紹介は終わり。今度は、私の友人について紹介しようと思う。
自宅から学校までの通学時間は凡そ十五分、今はちょうど半分くらいを歩いたころだろうけれど、この時間、この場所、このタイミングで必ず嵐がやってくる。ほら、耳を澄ませば清々しいそよ風の音と共に軽快なリズムで地面を踏み鳴らす旋律が後ろから迫って来る。
「せーーーいーーーーかーーーーちゃーーーーーーーん!」
見なくても分かるくらいの天真爛漫な笑みを浮かべながら元気百億倍で誰かが私の体に力強く抱き着いてきた。豊満な双丘が背中にギュッと押し当てられ、同姓とは思えないほどに品性ある華やかな香りを漂わせている。艶やかで健康そうな短い茶髪の端が頬に触れて少しくすぐったい。いつものことでも、やっぱりくすぐったいものに変わりはない。
「おはよう、麻衣。ちょっと暑苦しいから離れてくれない?」
「もうちょっと堪能させてほしいなー? 正華ちゃんの柔らかい胸とか、肌も……。あ、今日はシャンプー変えたの? 柑橘系のいい匂い~」
「よく分かったね」
「正華ちゃんのことだもん。私が間違えるはずないよ~」
私の許可を得る前に、麻衣は慣れた手つきでグニュグニュと私の胸を揉みまくり、首筋に顔を近づけてスンスンと香りを堪能する。確かに、私は昨日から使うシャンプーを柑橘類の香りがするものに変えたけれど、それを話した覚えはないということだけは明言しておく。
「くすぐったいし……。それに、胸を揉みしだくのは場合によっては同姓でもセクハラだけど?」
「そんなケチ臭いこと言わないでよ。朝の楽しみは、正華ちゃんを体で堪能することなんだし」
「発言が既に犯罪臭凄いから、公衆の面前では控えようか」
「……仕方ないなあ。今日はこれくらいで勘弁してあげましょう」
「どうして上から目線なのか……。まあ、別にいいけど」
そんな感じで、私たちはいつものように肩を並べて通学路を歩く。麻衣のせいで紹介が少し遅れたけれど、彼女は桜木麻衣という私の幼馴染で唯一無二の親友だ。
とてもお転婆で人の胸を揉みしだくような子だけれど、それは私に対してだけで普段はお淑やかで誰に対しても当たり障りない態度を取れるクラスの人気者だ。
そして、私しか知り得ないことだけれど、彼女は桜木グループと呼ばれる王手金融機関の社長令嬢だ。本人は周囲の人には「あの桜木グループと関係ある?」と問われると天使のような誰も憎めない笑顔で「そんなことないよ~」などと言ってるけれど実際は悪魔的な虚実を述べている。
これも自衛のためだって私は知ってるし、むしろ彼女に危険があっては困るので私もこのことに関しては固く口を閉ざしている。
「ねえ、そう言えば今日ってこの間の実力テスト返却日だよね?」
「あー……。そうだった、忘れてた」
「どうしよ~、私ってば一年生の内容なんてほとんど覚えてないよ~」
麻衣は得意の笑顔を崩さないように困り顔を浮かべてはいるけれど、実際の彼女の成績はいつも学年で上位二十位以内に入るくらいには頭が良い。
彼女の父親で桜木グループの統括をしている桜木東葛社長は「時期社長の椅子を継ぐ娘がこんな成績で恥ずかしい。正華さん、もっとうちの娘に厳しくしてやってくれ」と言っているけれど、私はそんなことしなくても勝手に良い成績を取って来ると思っている。むしろ、焦りを覚えるべきは私の方だ。
「私も結構ヤバいかも……。特に文系が」
「というより文系科目しかヤバいのってないでしょ、正華ちゃんの場合。理系科目に関しては全国単位でトップレベルの成績だし。むしろ、その情熱を文系科目に注げれば、私よりも良い点取れると思うけどなー?」
「うるさい。そっちだって、もっと努力すれば上にいけるのに手を抜いてるからお父さんに色々と言われてるんでしょ」
「いいじゃん、別にー。私は勉強なんて、これっぽっちも興味ないし」
暗にまだ私の方が成績は上だぞと煽ってきているようにも聞こえるけれど、彼女の言うことは全て本当なのでぐうの音も出ない。まあ、どんな結果なのかはテストが返却されれば分かることなので、今は考えないようにしたいところだ。
「あ、そうだ」
「何? どうかしたの?」
「昨日か一昨日だっけ。スタダで新作のフラペチーノが出たの知ってる?」
「知らない」
「SNSで話題なんだよね、今。私も流行りに乗りたいし、折角なら正華ちゃんと一緒に行きたいんけど……。駄目?」
「……」
麻衣の大きな黒い瞳の輝きと上目遣いの足し算、ではなく掛け算によって生み出される可愛らしいおねだりは完全に計算されているものだと分かっていても断るのは至難の業だ。もしも相手が男の子だったら一発で惚れるレベルだろうから、私は女で良かったと思う。
「……まあ、いいよ。今日は特に予定もないし」
「やった! 正華ちゃん、大好き!」
「はいはい、分かったから離れてって」
太陽の日差しすら霞むくらい眩しい笑顔を浮かべて腕に抱き着く麻衣の喜び方はかなりオーバーだとは思うけれど、こうして喜んでくれるのが分かってるからこそ断れないのかもしれなかった。これが私のいつもの朝、いつものように訪れる当たり前の光景だった。
「よし、じゃあ今日も一日お疲れ……と言いたいところだが、最後に実力テストの結果を返すぞー」
「えええ!?」
「嫌だあ! この世の終わりだあ!」
「待って、緊張してきた!」
「絶対ヤバい点数だって!」
「はいはい、静かに。この結果をよく自分の頭に刻んで、これからの勉強に活かしていこうな」
無事に授業を乗り越えてやってきた帰りのホームルーム時、生徒たちが様々な反応を見せる中、とうとう実力テストの結果が返されることになった。
今回は校内だけの、しかも一年の内容を覚えているかどうかの総復習というだけの話だけれど、少しずつ受験に近づいている人からすればここの点数によっては焦りや危機感を覚える人も少なくないだろうと思われる。
しかし、どうにも締まりきらない緊張感が漂うのは受験がまだ二年後ということもあって「まだ大丈夫」と思っている人もまた少なくないからだろう。
「じゃあ、返していくぞ。浅野」
そこから、クラスメイトたちが順番に名前を呼ばれてテストが返却されていく。人によっては落ち込んだり、あるいは小さくガッツポーズをする人もいたりと、きっと努力の有無や勉強に対する姿勢が行動へと如実に表れているのだろうと思う。
「神藤新(しんどうあらた)。お前、凄いぞ。全教科ほぼ満点、学年順位も文句なしの一位だ」
「ありがとうございます」
「おー!」
「すげー、神藤……」
「流石、名前の通りの神童だぜ」
「しかも、イケメンでスポーツもできて、やっぱ格好いい!」
「神藤くーん!」
神藤新という男子生徒は、女子からの声援に甘いマスクを被ったスマイルで答え更なる黄色い声援をかき集める。彼はこのクラスだけでなく、学年でも指折りの神童と言われており、成績優秀でスポーツも万能でおまけに顔も良いとかいう冗談みたいなハイスペック男子だ。男子からの人望も厚いが、女子からは例の通りモテモテで割としょっちゅう告白を受けているとか、何とかと言われている。
「神藤君、また一位かー。やっぱりって感じ?」
隣の席に座っている麻衣は、他の女生徒たちとは違って彼を冷めた目で見てすぐに視線を落とした。声のトーンもあの今朝のテンションとは比べ物にならないくらい低く、頬杖をつきながら自分の返却された結果と睨めっこしている。
「前から思ってたけど、麻衣は神藤君に興味ないんだね」
「当たり前じゃん。私、正華ちゃん一筋だし」
麻衣は一瞬だけこちらに顔を向けるとニヤニヤとしながら、わざと私にだけ聞こえる声で言った。偶に、麻衣から向けられる視線に色っぽさというか、異性に向けられる熱っぽい感じに近いものを感じるときがあるのだけれど、今のところは気のせいだと思うようにしている。
最近は女の子同士でも「そういう」関係になることもあるみたいだけれど、麻衣に限ってそんなことはないと付き合いの長い私が思うのだからそうなのだろう。
「言ってることの意味は分からないけれど、取り合えずありがとう」
「どういたしまして」
「はい、最後。理論寺正華」
「はい」
クラスメイトの中でも最後尾の名前のため、私の名前は最後に呼ばれた。私が成績を受取ると、先生は眉をひそめて少し困った表情を浮かべながら溜息交じりに言う。
「お前なあ、理論寺。理系科目は全部満点なのに、どうして文系科目は赤点スレスレなんだ。英語は学年でも上位の成績なのはまだ良いが、国語と社会にもっと力を入れろ」
「すみません。理科と数学の点数を頑張って維持します」
「お前、人の話聞いてないな? まあ、理系の私立大学に進むのなら文系科目は必要ないとは思うが、後で国立を選択できないからな?」
「はい。よく考えておきます」
「よろしい。戻っていいぞ」
やっとのことで先生の拘束から解放されたので、割と速足で自分の席へと戻った。改めて自分の成績を見てみると、理数は満点、英語は九十点だが、国語は三十六点、社会に至っては三十一点と赤点が三十点なので滅茶苦茶ギリギリの点数だった。
「はい、じゃあホームルームは終わりな。今日は職員の全体会議があって部活はないはずだから、気を付けて帰れよ」
そんな感じでホームルームを終了すると、早速荷物を持った麻衣が私の成績表を覗きに来た。
「正華ちゃん、先生にも同じようなこと言われてるじゃん」
「うっさい。別に点数を取ろうと思って理系科目を勉強してるわけじゃないから。英語だって、論文を読むのに必要だったから仕方なく勉強しただけだって」
「でも、それが正華ちゃんのモットーでしょ?」
「まあ、ね。やる全一択でしょ……っていうのは、いつも言ってるから分かるよね?」
「いざという時とか、やる気が出ないときは必ず言ってるからね。やるからには全力の略って、何度聞いても可笑しいけど」
「悪かったね、可笑しくて」
「ごめん、怒らないで。正華ちゃんが何事も一生懸命なところが、私は好きなんだから」
「それはどうも」
麻衣が私のことを馬鹿にするわけがないと分かっているので怒ったつもりはなかったけど、もしかしたらちょっとくらいは表情に出ていたかもしれない。私のモットーである「やる全」は昔出会ったある魔法少女から貰った大切な贈り物なので、冗談でもあまり汚されたくはないと思っているからだろう。
「ねえ、理論寺さん」
すると、私たちの会話に割って入ってきたのは意外も意外、例の神童さんこと神藤新君だった。彼は爽やかフェイスでキラリと白い歯を見せながら優しい声音で話す。
「流石は、理系の女王って言われるだけはあるね。理数科目で満点以外を取ったことがない伝説が、まさかここでも見られるなんて思わなかったから思わず称賛しちゃったよ」
「ありがと。と言っても、別に女王になったつもりはないけどね。神藤君の方がよっぽど凄いと思うし」
「僕は平均的な点数が高いだけで、どれか一つが得意ってわけじゃないんだ。だから、ずっと理系科目だけでも満点を取り続けているのに尊敬したって話だよ。それだけだから」
神藤君は言いたいことだけ言って、それからは自分の友達のところに帰っていった。
「神藤君と正華ちゃんって親しかったっけ?」
「全然。今までほとんど話したこともない」
「急にどうしたんだろうね」
「知らない。私が聞きたいくらい。っていうか、麻衣なら何か知ってるんじゃないの?」
私が麻衣の様子を窺っていると、彼女は神藤君の方を一瞬だけ睨みつけたような気がしたけれど、すぐに笑顔になって首を横に振った。
「全然、何も知らないよ。確かに交友関係は広いけど、何でも知ってるわけじゃないから」
「……そう。ならいいけど」
多分、何か知ってるだろうとは思ったけれど、特に話すようなことでもないなら無理に効く必要性はないと判断した。知ったところでどうすることもでき無さそうだし。
「それじゃあ、気を取り直して行こうよ。スタダ」
「はいはい」
少し変わった出来事はあったものの概ねいつも通りの学校生活を送り、私たちは放課後のティータイムを楽しむために駅前の方へと繰り出していくのだった。
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