作りすぎちゃったんですけど……

「あの……作りすぎちゃったんですけど……」

急なチャイムの音を聞きつけて玄関にやってきた青年の眼前には、大きな鍋があった。どうやら最近隣に越してきた女子大生がカレーを作りすぎてしまったらしく、おすそわけしてくれるとのことだ。漫画などで見たことはあったが、実際にこのような場面に遭遇するとは。だがどこか様子がおかしいようにも見えた。目が泳いでおり、明らかに落ち着きがない。

「よかったら食べてください、それじゃ」

女性はそう言って鍋を青年に半ば押し付け、足早に去っていってしまった。青年は鍋を持ったまま唖然としてその場に立ち尽くしてしまった。しばらくして気がつくと、青年は鍋が非常に重たいことに気づいた。


青年はキッチンまで鍋を運び、鍋のふたを開けた。中には具沢山のカレーがぎっしり詰まっていた。見た目はおいしそうだ。だがおかしい。彼女は自分で食べるためにカレーを作ったはずだ。ならなぜこんなにぎっしり詰まっているのだろうか? もっと大きい鍋で作っていて、これに移し替えたのだろうか。だがこれより大きい鍋にぎっしりとなると、明らかに「作りすぎ」の域を超えている。

疑問は尽きないが、とりあえず食べてみることにした。ちょうど晩飯をコンビニにでも買いに行こうというところだったのだ。ちょうどいい。

青年は米を炊き、カレーに火を入れ、皿いっぱいに盛り、食べた。

「うまい」

青年はそれを深いコクと野菜のうまみが凝縮された非常に美味なカレーであると感じた。ひとつ気になったのは、福神漬けの代わりに梅干しが入っていて、しかも付け合わせではなく混ぜ込まれているという点だった。しかしそれを考えてもそのカレーは青年の好みの味だった。そして、あっという間に皿の中身を完食してしまった。

満腹になった青年は再び鍋の中身を開けた。だがカレーはまだ大量に残っている。

「いくらうまいとはいえ、もう食えないな」

今日作ったのだろうから、冷蔵しておけばもう1日くらいはもつだろう。そう考え、青年はカレーの入った鍋を冷まし、冷蔵庫に入れた。そして気持ちよく寝た。


次の日、青年が仕事から帰り、自炊の準備を始めた。彼は週の半分を自炊するようにしているのだ。料理は好きだったので、趣味のようなものだった。今日作るのは肉じゃがだった。材料は既にそろっている。にんじんとジャガイモ、玉ねぎ、そして豚肉。彼は嬉々として冷蔵庫の野菜室を開けた。

そこにはキュウリとレタスしか入っていなかった。

「えっ」

いや、確かにこの間買ったはず。なぜ無いんだ? これじゃあ肉じゃがを作れない。そういえば、昨日貰ったカレーを保存していたことを思い出した。なんだ、最初からそっちを食べればよかったんだ。そう思い、冷蔵庫から鍋を取り出し、火を入れた。だが何か違和感がある。昨日食べて減らしたはずなのに、またいっぱいになっていないか? 青年は訝しんだ。だがさっさとこれを食べてしまわないと。

青年は昨日以上に大盛のカレーを食べた。しかし、やはりすべては食べきれなかった。

「どうしよう」

2日目カレーはよく聞くが、3日目カレーは大丈夫なのか?

まあいいだろう。青年は余ったカレーが入った鍋を再び冷蔵した。


また次の日の夜、青年は仕事帰りに買い物に寄っていた。買ってきた野菜を野菜室に入れ、ソファに座った。今日はいつにも増して疲れていた。青年はしばらくソファの上で眠ってしまった。

ふと起きると、既に数時間が経過していた。はっとして立ち上がると、青年は部屋の中にカレーの匂いを感じた。ここ最近カレーばかり食べているからかと思い、冷蔵庫を開けた。

すると、冷蔵庫の中がカレーまみれになっていた。

「なんだこれ」

青年は反射的に冷蔵庫を閉めた。いやな予感がして、野菜室を見た。そこには先ほど買ってきた野菜の姿がなかった。

「これは……」

再び冷蔵庫を開ける。冷えていても漂ってくるカレーの匂い。なんなんだこれは。野菜を取り込んで勝手に増えるカレーとでも言うのか。あり得ない。もしあり得るとしたら、あの女はなんてもんを俺に? そういえば、彼女はこれを押し付けるようにして逃げて行った。きっと、彼女も困っていたのだ。

とりあえず青年はカレーを食べた。もちろん余った。そして、この後これをどうするか考えた。

まず、下水に流すことを考えた。だが環境にはよくないだろう。ただのカレーですら環境が汚れるというのに、こんなおかしなカレーを野に放ったら大変なことになるのではないか。

では、ゴミに出すか? その場合でも、被害が出ないとは言い切れない。結局、食べてしまうのが一番いいのかもしれない。その場合、家の中にカレーの材料になりそうなものを入れてはいけないだろう。

とりあえず、4日目は流石に厳しそうなので、タッパーに分けて冷凍庫に入れた。これからしばらく毎日カレーだと思うとうんざりだが、カレーは好きなのでまあ許せた。それに、もしかしたら凍らせることで増殖を止められるかもしれない。


そう考えたのが甘かった。次の日冷蔵庫を開けると、タッパーのふたがはじけ飛んでおり、冷蔵庫の中に凍ったカレーがこびりついていた。

どうやら凍らせても止まらないらしい。だが、何を材料に増えたんだ? カレーに使えそうな野菜は家にない。あるのはブロッコリー、レタス、キャベツ、キュウリ……これらを入れるカレーもあると思うが、少なくとも主流ではないだろう。実際もらった時も入ってなかった。そう思い、野菜室を開けると、それらはすべてなくなっていた。よく見れば、このカレーの氷河の中に、キュウリやレタスのようなものが入っている。さらによく見ると、ハムやチーズ、果ては納豆まで入っているように見える。実際それらが冷蔵庫からなくなっていた。

この調子では、やがて家の中の食材をすべてこのカレーに食いつくされてしまうかもしれない。やはり捨てるか? だが、青年はもったいないことをしたくなかった。そこで青年はあることを決意した。


全てのカレーを解凍して、貰ったときの鍋に入れた。そして鍋を持ち、あの女子大生ではない方の隣の部屋のインターホンを押した。


「あの……作りすぎちゃったんですけど……」

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